By Myself



 別に、ことさら手酷い扱いを受けた覚えもない。
 軽口を叩くのは、決まって002の方で、彼の方はと言えば、始終だんまりのまま、必要最低限のことしか言わない。
 冷たい瞳の色をしていた。銀色の髪によく似合う、淡い水色の瞳。ふと怒りを含んだ時に、ぞっとするような灰色に変わるのを、一度見たことがある。彼に向けられた怒りではなかったけれど、背筋が凍るような気がした。
 微かな怖れ、それが、彼に対するスタンスだった。怖れながら、けれど魅かれている。好意では、決してなかったけれど。
 彼は、滅多に服を脱がなかった。少なくとも、002の目の前では。
 必要以上に触れられることも嫌う。伸ばした手を、静かに振り払われたことも、1度や2度ではなかった。
 それに傷つくほど初心でもないけれど、理由に思い当たるまで、自分を汚物とでも思っているのだろうかと、少しばかり気には病んだ。もっとも、002を、露骨に汚物扱いするのはむしろ他の連中で、彼はただ、機械の体にまだ多少の嫌悪感があるせいなのだと、じきに知れた。


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 ここにいる、生身の人間たちに対して、自分が持つ能力を使用することは、一切禁じられている。たとえかすり傷でも、廃棄処分のりっぱな理由になるのだと、自分の体をおもちゃのようにいじり回す科学者たちから、散々忠告されていた。
 それを知っての上で、ここにいる生身の人間どもは、002に、まったく容赦がない。サイボーグに対する嘲りがあるのは、もちろんのことで、002が年若い白人であるということも、刑務所などと同様に、002に対する暴力の理由になった。
 女っ気のない、規律のやたらと厳しい集団の中で男たちが最初にすることは、自分の欲求不満の捌け口を探すことだ。
 選択は、いたって単純だった。自分より力の弱い、年の若い、階級が下の、反撃される怖れのない、誰か。
 拳や武器や屈辱で、恐怖を叩き込む。屈伏すれば、その瞬間から、まともな人間とは見なされなくなる。ただの、連中のおもちゃに成り下がる。屈伏しなければ、這いつくばって負けを宣言するまで、暴力のレベルがエスカレートするだけだ。最悪の場合は、死に至る。
 自分の身を守るために、か弱い連中がすることは、強い連中に媚びを売って、お気に入りになることだった。誰か---群れのボスなら、いちばんいい---のおもちゃになってしまえば、少なくとも殺されることからは逃れられる。ほんの、一時にせよ。
 すでに、生身の人間ではない002に、生身の男たちは、劣等感と優越感の両方を、同時に刺激されるらしかった。
 002が、もうまともな人間ではない、という事実と、改造によって優れた能力を身につけた、という事実とが、彼らの中に、軽蔑と嘲笑、畏怖と憧憬を生み出すらしかった。
 彼に対する蔑視は、もちろん暴力の直接の原因だったし、彼への怖れと奇妙な賞賛は、サイボーグ風情に、人間さまが劣るわけがない、という彼らの強迫観念を暴走させ、より陰湿で悪趣味な類いの、暴力の理由になった。
 こんな状態を見越して、わざわざ自分を選んだのだろうかと、ふと思うことがある。
 汚物の底で這いずり回っていた自分なら、こんな、男たちの卑怯な暴力にも耐えられるだろうと、彼ら---誰と、特定できるわけではないけれど---は考えたのだろうかと、ふと思うことがある。
 確かに、と思う。賢明な選択ではある。すでに傷だらけなら、傷のひとつやふたつ増えたところで、どうと言うこともない。
 今の状態と以前の生活と、違う点があるとすれば、飢えずにすむ、という程度のことなのかもしれない。もう、機械の体に必要とも思われない、彼だけのためのベッドも、ある。それに、薬欲しさに、盗みをすることも、売人や、他の連中に躯を売る必要もない。
 もっとも、今は金ではなく、自分の身の安全のために、おとなしく人間の連中の言いなりにならなければならないのだけれど。
 ここまで堕ちても、廃棄処分という結末は、あまりに惨めすぎるように思えた。


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 引きずり込まれたのは、人気のない倉庫の奥だった。長期保存のきく食料の箱が積み上げてある、半分は空のままの、警備の連中しか見当たらない、倉庫の奥だった。
 いつも何人かがたむろって、勤務中は禁止されている煙草やマリファナを吸ったり、たまに、生意気な誰かを痛めつけるための私刑、そんなことが行われたりする場所だった。
 上官たちも、そこで何が行われているか重々承知の上で、けれど厳しい規律の中では、そんなガス抜きが必要なのを知っていて、見て見ぬふりをしている。
 つまりは、ここでどんな音や気配があろうと、誰もわざわざ---参加する気でもない限り---、顔を覗かせることは、まずない。
 抵抗はしなかった。すれば、向こうに怪我をさせることになる。
 服を剥がれ、押さえ込まれて、何の前置きもなく、いきなり侵入が始まる。
 3人。多すぎる数ではなかった。ひとりが、一度で終わってくれれば、だけれども。
 最初のひとりが終わり、ふたりめは、002の口を使った。
 膝立ちになり、彼が動くのに合わせて、舌を動かす。あごをつかまれ、思い切り引き寄せられるたび、噛み切ってやれたらどんなにいいか、と思う。
 男の息遣いが、荒くなってゆく。喉の奥に当たれば、吐き気を誘うのは今も変わらない。人間の時と同じだ。それでも、早く終わらせたくて、002は、目を閉じて、喉の奥を開いた。
 唾液が、あごを伝う。いいかげん舌が疲れた頃、ようやくふたりめは、002から体を外すと、それに自分の手を添えて、呻き声を漏らした。
 002の口の中に射精したがるほど恥知らずではなかった代わりに、彼は、002の頬と胸元を汚した。
 嫌悪感に、思わず首を振ると、肩を突き飛ばされ、床に転がされた。
 3人目が、正面からのしかかって来る。
 「大した見せ物だな。」
 不意に、声がした。
 足音もなく、影が近づいて来る。男たちは動きを止め、一体誰かと、そちらに一斉に視線を向けた。
 赤い防護服が、影の中から現れた時、驚きに息を飲んだのは、男たちだけでは、なかった。
 ここで何が起ころうと、誰も口出しはしない。人間たちの、上官でさえ。それなのに、この、見知らぬ闖入者は、彼らの上官どころか、人間ですらない、002と同じ、サイボーグ。
 驚きの後、002に対するのと同様の、ただの機械人間に対する嘲りが、人間たちの口元に戻ってきた。
 「人間さまのお楽しみをジャマすると、廃棄処分になっちまうぜ。」
 揶揄するような口調にも、彼は無言のままでいた。ただ、彼らを、冷たい色の瞳で睨みつけているだけだった。
 「それとも、一緒に楽しみたいんなら、歓迎するぜ。サイボーグでも、出来るってんならな。」
 別のひとりが、下卑た笑いに、歯をむき出す。
 彼の口元が、ふと笑いに歪んだ。
 「生憎と、俺はあんたら人間ほど、悪趣味じゃないんでね。」
 この野郎、と、最初に終わっていたひとりめが、拳を振り上げて、つかみかかろうとする動きを見せた。もちろん、本気で手を出すわけはなかった。殴ったところで、痛むのは生身に拳の方だ。
 人間たちはもう、この、もうひとりのサイボーグの出現で、すっかり気をそがれていた。
 だから、彼が、機械が剥き出しのままの掌を、見せつけるように顔の前に上げ、そして指の間から、彼らひとりひとりを、凄まじい瞳の色でもう一度睨みつけると、彼らは、互いに顔を見合わせ、口々に悪態をつきながらも、わらわらと立ち去り始めた。
 ひとりが、彼を睨み返そうとして、さらに凄みのある視線に射抜かれ、ちくしょう、と小さく吐き捨てるのが、002にも聞こえた。
 あれは殺気だ。人間たちがすくみ上がったのは、彼の全身にまといつく、殺気のせいだ。002は、寒気を覚えた。
 人間たちが去ってしまうと、彼はゆっくりと002の方へ振り返り、歩けるか、とだけ訊いた。
 穏やかには程遠い瞳の色は、そのままだったけれど、殺気だけは、消えていた。
 体の前に腕を回して肩を縮め、彼の視線から、汚れたままの自分をかばう。人間たちに、どんな姿を晒そうと、笑っていられたけれど、仲間に、同じサイボーグに、こんな姿を見られたくはなかった。
 「大丈夫だ。ひとりで戻れる。」
 一瞬、002の言葉を推し量るように目を細めた後、
 「せいぜい、気をつけるんだな。」
 そう言って、くるりと背中を向けた。
 登場と同じだけ唐突に、彼は影の中に消えて行った。
 気配が消えてようやく、詰めていた息を、002はゆっくりと吐き出した。安堵の息だった。
 


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 静かな1ヶ月の後、同じ連中が002を半壊寸前にしたのは、実弾を使わない---はずの---演習の最中だった。
 うっかり、本物のレーザーガンを使ってしまった、などという言い訳が、彼らの上官には通用しても、002の修復をしなければならない科学者たちに通用するわけもなく、彼らが謹慎を食らっている間、002は、しつこく事情を尋かれた。
 「君に対する、彼らの暴力沙汰については、耳に入らんでもないが、しかし、君の両足を破壊して、墜落したところを、さらに撃とうとしていたというのは、穏やかではないね。」
 「連中は、うっかりだったって、言ってるんでしょう。」
 「あれがうっかりだとすれば、彼らは薬か何かの影響下にあったとしか思えんね。それより、君の方に、何か思い当たることでもあるんじゃないのかね。」
 穏やかに、けれど執拗に、彼らは002を追求した。
 破損した両足の修復に、また長い時間がかかることを考えれば、こうなった原因を突き止めて、同じような被害が起こるのを、未然に防ぎたいのは人情だった。
 けれどどうしても、自分の口から、何故あの連中が、002を破壊してしまおうとするほど、彼を憎んだのか、言う気にはなれなかった。
 「銀色の髪の、機械の手の、サイボーグが、いるでしょう。そいつに尋いて下さい。」
 「004に?」
 2週間、身動きもままならずに、様々な機械に、宙吊りで身をつながれたままで、同じ質問を繰り返されるのに、ついに根負けし、002はついになげやりに彼のことを口にした。
 何時間か後には、004と呼ばれた、あの冷たい瞳のサイボーグが、002の前に連れて来られた。
 倉庫での、初対面の時以上に惨めな002の姿に、彼も一瞬ひるんだように見えたけれど、すぐに無表情に戻ると、殺気は込めずに002を睨みつける。
 「一体、何のつもりだ。こんなとこに呼び出しやがって。」
 「呼んだのはオレじゃない。オレはただ、オレのこのざまは、アンタのせいだって、言っただけだよ。」
 「どういう意味だ。」
 002は、薄く笑って見せた。
 004の背後で、科学者たちが、ずらりと顔を並べて、事の成り行きを見守っている。
 「あの、倉庫にいた連中が、演習中にオレを壊そうとした。アンタに、恥をかかされたのを、オレに逆恨みしたってわけだ。」
 視線を下にずらし、まだ破損部分が剥き出しままの、002の両足---片方は膝から下がなく、もう片方は、腿の部分が半分残っているだけ---を見やって、けれど004は、表情を崩さなかった。
 「俺の知ったことじゃない。」
 くすっと、002は声を立てて笑った。
 「もちろん、アンタの知ったこっちゃないさ。だけど、また同じことが起こる。誰もアンタには手出ししない。みんな、アンタを怖がってる。でも、オレは違う。オレは踏みつけにされる側だ。アンタに手出し出来ないとばっちりが、オレに来る。今回は足ですんだ、でも次は、頭を吹っ飛ばされるかもしれない。」
 「だったら、闘えばいい。」
 「人間に手を出したら、即廃棄処分だ。」
 「こんなになってまで、まだ生きる価値があると思うのか。」
 怒りを抑えつけたような口調で、004は言った。彼が、機械の拳を握りしめたのが、ふと目に入る。
 「オレは生きたい。死ぬような目には散々遭ったよ。もう、たくさんだ。」
 笑顔で、必死の笑顔で、002はそう言った。
 少しの間---ずいぶん、長い間のように思えたけれど---、004はまた、002を睨みつけていた。そうしてから、ようやく、ふっと瞳に色をやわらげ、それで、と言った。
 「俺にどうしろって言うんだ。」
 今度こそにっこりと、002は微笑んだ。
 「アンタの後ろにいる連中に、倉庫であったことを、全部話してくれよ。隠さなくていい、アンタが、見た通りのことを、言えばいい。」
 「それだけか?」
 笑いを崩さないで、それから、と002は言った。なるべく、軽く聞こえる口調で。
 「こっちの方が大事なんだ。アンタに、オレがアンタの持ち物だってフリをしてもらわなきゃならない。」
 004の仏頂面が、見事に崩れた。ぽかんと口を開け、両目を驚きに見開いて。
 「おまえ、一体------」
 何のつもりだ、と言いたかったのだろう。その前に、002がその先を引き取った。
 「言ったろ、アンタは大丈夫なんだ、誰もアンタにちょっかいなんか出さない。だから、オレも、アンタとつるんでる限りは、チョッカイ出されずにすむってわけだ。」
 「下らんな、虎の威を借る狐、か。」
 「何とでも言えよ。オレは、生き残るのに必死なだけだ。」
 下らん、もう一度吐き捨てて、004はくるりときびすを返した。科学者たちに肩を押しのけるようにして、肩をいからせて、立ち去ってゆく。その後を、ばらばらと科学者たちが慌てたように追いかけ始めた。
 取り残された静けさの中で、002だけが、穏やかに微笑み続けていた。
 

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 いつも伸びてくるのは、左手の方だ。機械ではない方の、腕。
 わざわざ、誰かに見せつけるためにそうする時は、彼の首に両腕を回し、猫のように体をすりつける。
 確かに、そうし始めて以来、002に手出しをしようという輩は、以前がうそのように、見当たらなくなった。
 004が、どんな報告をしたのか、002は知らなかったけれど、やっと自由の身になって最初に耳にしたのは、うっかりレーザーガンを使った連中は、処分された、という噂だった。
 除団などという手段があるはずもなく、処分というのはつまり、消された、ということだと、すぐに知れた。
 彼らの同僚が、事の次第を嗅ぎつけて、何か仕掛けてでも来るかと、警戒だけは怠らなかったけれど、今回の措置が、結局は見せしめになったらしく、報復よりも我が身が大事なのは、誰もが同じことだった。
 「他の奴の匂いをさせて、ここに来るなって、言っただろう。」
 ドアを閉めた途端、また同じ言いがかり。002はうんざりしながら、いつもと同じ台詞を繰り返す。
 「他も何も、アンタ以外、誰とも何もないって、何度言ったらわかるんだよ。」
 外ではほとんど一切口を開かない004も、自分の部屋では、少しばかりお喋りになる。もっとも、ほとんどが毒舌ばかりで、外でそのふりをしているようには、優しい言葉のひとつも、彼からは一切期待できなかった。
 「誰にでもシッポをふるような尻軽の言うことなんか、信用できると思うか?」
 体を重ねるようになって、彼がいつも002に辛く当たるのは、彼の一種のポーズなのだとわかるようになった。別に、他人にそう見せているように、好き合って一緒にいるわけではないのだと、002よりも、むしろ彼自身にそう言い聞かせているように、002には見える。
 「自分で確かめてみりゃいいだろ、オレが、アンタの思ってるような尻軽かどうか。」
 決して優しくは始まらない。まるで、憎しみの表現ででもあるかのように。
 ベッドに突き飛ばされて、彼がのしかかってくる。
 触れるのは彼だけだ。002は、両腕をシーツの上に遊ばせたまま、目を閉じる。
 一方的なようでいて、決して自分本位ではないやり方。口調や仕草とは裏腹に、彼の掌はいつも優しい。それがまるで、彼の本心を表しているかのように。
 奇妙な対比。冷たい口調と優しい腕、熱くなる自分の皮膚と冷えたままの彼の体。こちらはもう、身にまとう何もないと言うのに、彼はまだ、シャツのボタンを外しただけだ。
 壁にもたれて座った彼の膝の中に、抱え込まれる。
 背中に触れる、金属の感触。その冷たさに、ふと肌が粟立つ。
 彼の、機械の腕が胸に巻きつき、もう一方の手が、ゆっくりと、もう少し下へ降りてゆく。
 息を吐いて、002は喉を反らせた。彼の、硬い肩に頭を乗せ、声を漏らさないように、歯をくいしばる。
 指が、ゆっくりと絡みつく。
 昇りつめるのに、いつもそう時間はかからない。ことに、他人の手で、手荒く扱われるのでなければ。
 はあ、と息を吐いて、002は彼の両膝に爪を立てた。躯が浮き、勝手に彼の腕から逃れようとする。
 もう少し奥に、彼の、指が伸びる。躯が、跳ねた。
 背骨から、すとんと力が脱けてゆく。ベッドの上に躯を投げ出すと、彼がゆっくりと、背中に重なってくる。
 後ろから繋がるために、腰を持ち上げられると、圧迫された胸の痛みに、思わず呻いた。
 彼が触れる。ゆっくりと、中に入り込んでくる。
 今度こそ、遠慮もなくシーツを握りしめると、声を上げた。決して慣れることのない、微かな痛みと、それから、自分の中が、彼で満たされる感覚のために。
 彼は、決して急がない。ゆっくりと、時には過ぎるほど時間をかけて、体を繋げる。
 最初は、そういうやり方が好きなのだろうと思った。けれど、そのうち、それはなるべく002を痛めつけないためなのだと、悟った。痛みのせいで声を上げれば、彼は即座に躯を引く。
 強姦は、趣味じゃない。俺は、ああいう連中とは違う。彼はそう、素っ気なく言った。
 彼に伝えたことはない。けれど002は、彼が動き出す前の、完全に繋がった一瞬の状態が、好きだった。
 そっと、顔をねじ曲げ、背後でゆるやかに動き出す彼を、盗み見る。
 時折見る、彼の殺気を含んだ視線は、いまだ002を震え上がらせるのに充分だった。
 冷たい空気を鎧って、彼はいつもひとりでいる。こうして、躯を繋げていても、002はその冷たい空気を感じる。
 繋がっているのは躯だけだ。心ではない。彼の声が、内側に聴こえる。何者も、立ち入らせない、彼の中の扉の向こう。
 彼の、そんな内側が見えると言ったら、一体彼はどんな表情をするのだろう。彼が、そうと知らずに晒している、彼の中の、ほんの一部。
 こうして、躯の内側だけでなく、心も共有しているのだと知ったら、彼はもう、002とこんなことをするのを、やめてしまうのだろうか。
 心を通い合わすための行為ではない。ただ、我が身可愛さのために、この男と寝ているに過ぎないのに、時折、002は錯覚に陥りそうになる。人間くささの残骸が、自分の中で疼くのを感じる。
 彼の内側を覗いてみたい、欲望。躯だけでなく、心も繋げてみたいという、衝動。
 彼の息が、早くなる。彼の両腕が、動きを支えるために、002の肩のすぐ傍に伸びてくる。シーツの上の、彼の掌。そこに今、自分の手を重ねられたらどんなにいいかと、ふと思う。
 もっと、触れてみたい。そう思う自分の心の動きが、002にはよくわからない。
 自分が、生き残るためになりふり構わないのと同じほど、彼も、生き残るためには手段を選ばないように思えた。彼が身にまとう殺意は、誰に向けられるにせよ、ためらいはない。たとえそれが、同じサイボーグで、こうして躯を合わせている、002であっても。
 だから、彼を怖れている。そして同時に、微かに魅かれてもいるのだと、思わずにはいられない。
 彼が、喉の辺りの筋肉を硬張らせるのを、感じた。ゆっくりと、ふたりの間にあった波が、消え去ってゆく。それを惜しむように、002は、甘く、息を漏らした。
 終わった後には、彼の、おまえのことなんか、履き古した靴ほども気にかけちゃいない、という態度が、いちばん顕著になる。
 躯を合わせることで発生する、相手に対するある種の愛しさを、彼が必死に否定しようとしているのが、いちばん露わになる時でもあった。
 そんな彼の心の動きが見えるのも、結局は、言葉ではなく躯で、そうとは知らずに語り合っているからなのだと、002は知っていた。
 躯を離し、002に背を向け、まだ息も整わないうちに、ベッドを下りてしまう。002の視線から、自分の体を隠すようにしながら、きっちりと服を直し、後はもう、他の誰も同じ部屋にはいないかのように振る舞う。
 まだベッドに、裸のまま横たわっている002に、床に散らばった服を集めて投げ、
 「とっとと自分の部屋へ戻れ。」
 冷たい声で言う。
 彼に、憐れみを感じずにはいられない。愛しさと哀しさのないまぜになった、感情。冷たい声に応えて、002が投げる視線の中に、彼も、その憐憫を読み取るらしかった。
 いつも、その視線に合うたび、眉をひそめ、ことさら唇を歪めて、けれど視線は反らさない。反らせば、002が正しいことを、肯定してしまうから。
 同じ境遇にいる同士が、こんな風にしか庇い合えない惨めさに対する嫌悪のために、彼は、確かに存在するはずの、002に対する愛しさを、否定し続けるしかない。それを、002は憐れだと、思う。
 言葉もなく、それだけのことをわかり合っていて、ふたりはけれど、お互いのことなど、皮膚の熱さ以外興味はない、というふりをしている。
 のろのろと体を起こし、服を着けると、もう視線も合わせずに、部屋を出て行こうとした。
 ドアに手を伸ばした時に、思いもかけず、彼が声を掛けてきた。
 「おまえ、実戦演習だろう、明日。」
 ドアから、半分だけ振り向いて、ああ、と002は答えた。
 「アンタも、参加するのか?」
 「いや、俺は明日から研究室入りだ。何やら機能追加のための、検査だとか何とかぬかしてたがな。」
 「また、色んなものくっつけられて、あのサディスト連中に、色々改造されるわけか。」
 002の、あまり楽しくもない冗談に、珍しく彼が笑う。それから、なるべく深刻ぶらない口調で、だから、と付け加えた。
 「俺が消える間は、気をつけろよ。」
 それが言いたかったのかと、合点が行って、ドアを開けながら、002は素直にうなずいて見せる。
 「言ったろう、オレはどんな卑怯者に成り下がっても、生き残るって。」
 そうだったな。彼が、静かにそう言った。
 「アンタも、無事にあそこから帰って来いよ。」
 彼の返事を待たずに、ドアを閉める。薄暗い、静かな通路に人気はなく、ドアを閉めてしまっても、何故かまだ、ノブから手を離せずにいた。
 もし何か起これば、もう、逢えないかもしれない。彼に、かろうじて繋がるドアのノブに手を掛けたまま、そんな思考に捕らわれた自分を嘲笑うために、002は小さく呟いた。
 独りには、慣れっこのはずだろ。
 ゆっくりと、ドアから指を外す。名残惜しげに。
 背中を向けて歩き出す前に、まるで、自分自身と、ドアの向こうにいる彼に言い聞かせでもするように、ドアに向かって言った、声に出して。
 「オレは、どんなことをしても、生き延びてやる。」
 アンタと一緒でも、アンタなしでも。
 歩き出した長い暗い通路は、まるで、002自身の過去と今と、未来のようだった。
 ひとりきり、背を伸ばし顔を上げ、もう、振り返らなかった。
 

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