Crawling: 002
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メンテナンスの後は、いつもこうだ。
かぶせられ、元通りになった人工皮膚の下に、まだ他人の手が這い回っているような気がする。
金属とワイヤーの触れ合う音。様々な形をした器具が体の中に入り込み、冷たい音を立てて動き回る。そんな気配を、まだあちこちに感じる。
自分が、普通の人間ではないのだと、強烈に思い知る瞬間。
頭の後ろで響く、耳障りなその音を振り払うように、002は激しく身震いした。
宙を一瞬見つめてから、ふと目を伏せ、002はゆらりと部屋を出て行った。
小さなノックが2回。微かに、けれど確かに。
聞こえなければいいのに、そう思う気持ちと、気付いて欲しいという気持ちが、ちょうど半分ずつ入り混じったような、そんな叩き方だった。
こんな遅くに誰かと、ふと訝しんでから、思い当たる相手が、ひとりしかいるはずのないことに思い当たり、004は、読んでいた本を、名残惜しげに傍へ置いた。
無視しようと思えば、それも出来た。けれど、ドアの向こうにいる、まだ見えない誰かが、足を引きずるようにして、この部屋にやって来たのだと知っていたから、自分ひとりの、深夜の読書の楽しみは、ひとまずお預けにすることにする。
邪魔をされたうっとうしさと、深夜の訪問者に対する面倒くささは、ドアを開けた瞬間に、ふっと霧散する。002が、伏し目がちに、下からすくい上げるように、004を見ていた。
「ジャマなら、部屋に戻るよ。」
「いい、入れ。」
邪魔だと言われれば、もっと惨めな背中で部屋に戻るくせに。004は心の中で毒づいた。
ベッドの傍の小さな明かり以外は、もうとっくに消してしまっていた。深夜の訪問者のために、天井の明かりを点け直し、ベッドの足元近くにある椅子に、どさりと腰を下ろす。
それを見てから、002も、ベッドの端に腰掛けた。
足を長々と投げ出し、両手を腹の上で組む。話があるなら聞こうじゃないか。そんなポーズを、言葉にする代わりに、004は002に見せた。いつもの、ように。
002はまだ暗い表情で、真っ直ぐに004を見ることもしない。うなだれ気味に、ベッドの上で、体を小さくしたままでいる。
「どうした?」
002が、微かに首を振って見せる。
「どうもしない。」
「だったら部屋に帰るか?」
静かに、けれどきっぱりと言うと、002は慌てて首を振った。
「ひとりは、いやだ。今は。」
泣き出すかもしれない、と004は思った。自分が、意地の悪いいじめっ子か何かのような気分になる。
明かりが不粋かもしれないと気付いて、004は静かに立ち上がると、ドアの近くにある、天井の明かりのスイッチを切った。
おずおずと、002が、004の動きのひとつびとつを目で追う。いつ、部屋に帰れと言われるかと、怯えているのが明らかだった。
また、部屋が薄闇になる。
「メンテナンスだったんだろ、おまえ。」
ようやく視線を004に当てて、002がうなずく。
赤い戦闘服を着ていれば、歳より大人びて、冷ややかにさえ見えるのに、こうして夜遅く、薄暗い他人の部屋でうなだれている002は、両親に叱られでもした、ティーンエイジャーのように見える。
それは当然なのかもしれない。赤ん坊の001を除けば、彼は仲間の中でいちばん年若く、反政府の市民運動に関わっていた004自身や008、インディアンとして迫害され続けていた005に比べれば、人生の過酷さとは無縁なまま、突然サイボーグに改造されてしまったのだから。
拷問が日常の中に存在した004にとっては、ブラック・ゴースト団にされたことは、腹立たしくはあっても、さして傷つくほどのことでもなかった。人間でいた時の、体や心の傷の方が、ずっと深かった。
けれど、だからと言って、002が感じている苦痛を否定する気はなかった。
家族には二度と会えず、普通の人間には戻れず、戦うことを強いられ、世界中に9人しか仲間のいない、そんな境遇にいきなり放り込まれて、傷つかないはずがなかった。
「いやなんだ、体をああやって、いじり回されるのが。どんなにやっても、慣れない。」
嫌悪をあらわにして、002は自分の腕を撫でさすった。そうすれば、皮膚の下を這い回る感覚が、遠のくとでも言うように。
「体のあちこちが、冷たいままで、いつもは気にもならないのに、機械の感触が、やけに神経に触る。ひどくなる一方だ。」
「そうだろうな。」
静かにそう言った004を、002は意外そうに見やった。
「アンタも、そう思うのか?」
組み合わせていた両手を外し、ソファの肘掛けをゆったりと掴む。やや顔を傾けて002を見る。ふと、004の頬の辺りが、ゆるくほころんだように、002には見えた。
「メンテナンスに、喜んで行ってる奴はいないさ。ただ他の連中は、おまえさんより少しばかり大人で、仕方ないってあきらめてるってだけの話だ。」
「どうせオレはガキだよ。」
「・・・おまえのせいじゃない。おまえは、ブラック・ゴーストの連中のせいで、大人になる機会さえ、与えてもらえなかったんだ。おまえのせいじゃない。」
すっと、002の瞳がかげった。
「俺たちは、いろんなものを奪われた。俺たちの意志じゃなかった。俺たちの責任じゃない。だが、残念ながら、責任を取れる連中は、どこにもいない。だから、それは俺たちが背負うしかないんだ。」
「不公平だ。フェアじゃない。」
すかさずそう言った002に、顔色を変えず、004は返事を返した。
「そうだ、おまえの言う通りだよ、不公平だ。でも、世の中の別のところが、そんなに公平でフェアなところか?」
002は、唇を引き結んで、黙り込む。
004に硬い横顔を見せて、唇を噛んでいるのが見えた。
それを眺めて、しばらく何も言わず、004は、機械が剥き出しの掌で、そっと自分の頬を撫でた。
「現実は何の慰めにもならんさ、そいつは俺にもわかってる。おまえにとってフェアじゃないのが問題であって、他のことと比べるべきじゃない。そいつも現実だ。今のところの俺たちにとっての現実は、俺たちには俺たちしかいないってことだ。おまえが苦しいのは、俺たちにも苦しい。おまえだけが苦しいわけじゃない。」
一気に喋ってしまった後、004は一呼吸黙ってから、また唇を開いた。
「もちろん、俺たちがおまえのために苦しんで、それでおまえの痛みが減るわけじゃない。だから、俺たちが苦しむのは、単なる無駄だ。それが、俺たちが受け入れなきゃならない現実だってだけの話だ。」
ゆっくりと首を回し、また、顔を正面に向けて、しばらくしてから、ようやく002はぼそりと呟いた。
「アンタ、今夜はよく喋るな。」
鼻白んだ様子もなく、004もまた、ぼそりと呟き返す。
「黙ってて欲しけりゃそう言え。すぐにでも黙ってやる。」
「いいよ、別に。アンタのご大層なおシャベリでも、何もないよりマシだ。」
憎まれ口は、つまり痛いところを突かれたせいなのだとわかっていたから、004は腹も立てずに、微かに002に笑いかけた。
数秒ためらった後、002がベッドから立ち上がり、004の方へゆっくりと体を運んだ。
椅子にまだ座ったままで自分を見つめる004に、弱々しく笑いかけると、002は、彼の機械の腕を取った。
「部屋に、戻るよ。」
もう少しはっきりと、002は微笑んだ。まだ少し、痛々しくはあったけれど。
立ち去るために肩を動かすと、004が、手を握り返して来た。
怪訝な表情で振り返ると、004はさらに腕を強く引き、
「いい、まだ行くな。もう少しいろ。」
この男が、人の心を読むのにこうも長けているのは、やはり彼が自分より大人なせいなのだろうかと、ふと002は考える。
引き寄せられるまま、002は004の膝に、横向きに腰を下ろした。
一人掛けのそのソファは、ふたりにはもちろん少しばかり窮屈だったけれど、長い足を折り曲げて、002は構わずに、004の肩に頭をもたせかけた。
004の胸の中に収まってしまうと、自分が子どものような気になる。
004の、普通に見える方の掌が、髪を撫でた。
目を閉じる。皮膚の下の、いやな感触が、ゆっくりと消えてゆく。
ゆるゆると目を開けて、004の、機械の掌を探した。それに、自分の掌を重ねると、気が休まるような気がした。
また目を閉じる。今度はもう、開かないつもりで。
耳障りな音は、もうどこにもなかった。泣かずにすんだと思いながら、004の機械の手を、まるで子どもがぬいぐるみでも握りしめるように、自分の方へ引き寄せる。
今はふたりだけだと、ふと思った。
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