Crawling: 004 side



 ドアを開けると、水音がした。
 ノックをしても返事がなかったのは、部屋の主がシャワーの最中だったせいだった。
 ドアを後ろ手に閉め、少しの間考えてから、足音を殺して、バスルームへ向かう。
 バスルームの中には湯気が立ちこめて、むっと熱気が顔を覆う。シャワーカーテンの向こうの人影は、そこからは見えなかった。
 大きな鏡のついた洗面台に、ひょいと飛び乗ると、微かに見える、動く人影に、じっと目を凝らす。
 坐っているすぐ傍には、彼が脱いだらしい服が、まとめて置いてあった。きちんとたたまれたタオルも見える。
 自分がシャワーを浴びる時とは、えらい違いだと、ふと思う。バスルームへ行きながら、辺りかまわず服を脱ぎ散らかし、濡れたままでも平気でタオルを探し回る。たとえ、誰が回りにいようと、気にしたこともない。
 そんな自分を追い駆けて、服を拾い集め、タオルを投げて寄越し、頼めば、しぶしぶでも乾いた衣類を手渡してくれるのは、今シャワーを浴びている彼だった。
 彼の部屋にだけは、シャワーのついたバスルームがある。ギルモア博士にそう頼んだのだと、003と001が教えてくれた。
 機械が剥き出しの体を、恥じてはいなくても、人に見られるのを嫌がって、彼は誰ともシャワーを共有したくないと、はっきりと言った。
 水音が、不意に止まった。
 頭を振って、水気を払う彼の仕草が見えて、それからカーテンが開いた。
 湯気の向こうに、彼の輪郭が鈍く浮かんだ。目を凝らすと、彼の眉間のしわが見える。
 「勝手に入るなって、何べん言ったらわかるんだ。」
 尖った声。本気で腹を立てるのに、3分とかからないのがわかる、腹立たしげな声のトーン。
 さりげなく、濡れた体をカーテンの影に隠したまま、アルベルトはジェットをにらみつけた。
 彼の腹立ちなど知らぬ振りで、ジェットは肩をすくめて見せた。
 「仕方ないだろ、返事がなかったんだから。」
 「だったら出直して来い。」
 ジェットは、また肩をすくめた。
 追い払われるためにここに来たわけではなかった。
 

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 メンテナンスの後は、いつもこうだ。彼の、機械ぎらいが一層ひどくなる。
 部屋に閉じこもって、誰とも顔を合わせない。2、3日は、一体004が生きているのかすら、誰にもわからない。
 今日も、食事にも顔を出さなかった。
 みんなそれを、004のBad Dayと言って、冗談にまぎらわせているけれど、004自身がどれほど気持ちを痛めているのかを知っていて、そして誰も、それについて、慰めらしいことを口にしない。
 大人なのだと、001は言う。大人だから、わざわざ口に出して、彼を慰めるようなことは言わないのだと、言う。言葉にすれば、よけいに彼が傷つくから、ただ黙って、みんなでそっとしておく。まるで、壊れものでも、扱うように。
 壊れないように、どんな攻撃にもなるべく耐えられるように改造された彼の体とは逆に、彼が強くなれば強くなるほど、彼の神経は張りつめて、ふと触れれば、まるで彼の手に仕込まれたナイフのように、他人を切り裂く。だから、誰も彼に触れない。触れれば、傷ついた挙句に、それで彼をまた傷つける。
 攻撃のための機械の体は、彼の、細く壊れやすい神経を覆う、鎧のようだ。
 大人な彼らは、放っておいてくれという、004が沈黙で示すメッセージを読み取り、大人になりきれない002は、その背中に現れた、けれどひとりにはなりたくない、というメッセージを見る。どちらも、矛盾したそのまま、004から同時に発せられる、彼の本心だった。
 003にも、それはわかるらしかったけれど、彼女はなぜか、他のメンバーにそうするようには、004に母親のように振舞うことをしない。
 004には、母親は必要ないのよ。アナタや、他のみんなとは違って。
 ガキで悪かったよ、と、少しだけ鼻白んで、002は顔をしかめた。
 それが子どもの仕草なのだと、彼女の笑顔が言っていた。
 004は、きちんと自分がわかってる人だから、自分で何とかできるなら、母親の口出しはいらないの。アタシじゃ、ダメなのよ。
 少しだけ哀しそうに、003は言った。母親の、表情で。
 恐らく、003の言う通りなのだろうと、002は思った。


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 ジェットは、出て行く素振りを見せる代わりに、大きな仕草で靴を脱いだ。大きなバスケットシューズを、ごろんと床に放り投げ、とん、と洗面台から飛び降りる。
 アルベルトはまだ、カーテンの向こうに、体半分隠したまま、一層きつい視線で、ジェットをにらんだ。
 そんな視線には頓着しないふりで、するりと床を滑るように進むと、ジェットはカーテンをつかんで、さっと大きく開けた。
 不意打ちに、アルベルトが体を引く。
 驚く彼にかまわず、縁をまたいでバスタブの中へ入ると、ジェットは、アルベルトの右腕に手を伸ばした。
 「何の、つもりだ。」
 怒りを見せるつもりらしい声が、けれど震えていた。
 怯えているのだと、わかる。機械の体を晒して、そして触れられるのを、彼は死ぬほど恐れている。
 「アンタ、ずるいよ。」
 ジェットは、苦笑を刷いて見せた。
 ひとりぼっちで、ひとりになんかなりたくもないくせに、機械の体を恥じて、隠れている。機械の体を見られて、嫌われたくなくて、必死でそれを覆い隠そうとする。ムダなのに。
 無表情と、鋼鉄の体の奥に隠された、臆病な小さな心。まるで、小さな子どものような。
 アルベルトの右腕を取って、ジェットは自分の腰に回した。そうして、胸を合わせながら、彼の首に両腕を巻きつける。
 顔を、頬が触れるほど近くに寄せて、囁いた。
 「人恋しくて、仕方ねェくせに。」
 まだ濡れたままの、鉛色の金属の胸に、シャツがはりつく。水が染み通って、冷たかった。
 唇が重なると、ためらっていたアルベルトの両腕が、強く腰を抱き寄せた。
 色の薄い髪から滴る水滴が、ジェットの頬に落ちる。そこからあごに流れ、首筋を伝う。冷たい水滴が、次第にふたりの熱に温められ、また蒸気に変わる。
 唇を開き、舌が絡まる。唾液が、互いの唇を濡らした。呼吸を求めて喘ぐたびに、重なった胸が大きく動く。肩が、揺れ始めていた。
 痛いほど、奥に引き込まれた。絡まる呼吸が熱く、精一杯舌を伸ばして、喉を反らして、ジェットはアルベルトの動きに応えた。
 不意に体を離して、ジェットは膝を折った。滑り落ちるように、アルベルトの胸に指を走らせて、もっと下へ向かって、顔をうつむける。
 慌てたように、アルベルトが肩をつかんだ。
 「音が、外に聞こえる。」
 それを振り払って、鼻先で笑うと、ジェットは蛇口をひねって、水を出した。シャワーの熱い飛沫が、ふたりに降りかかる。激しい、水音とともに。
 濡れちまう、と、細くアルベルトが言った。
 「いいよ、濡れたら、アンタが脱がしてくれるだろ。」
 もう、何も言わず、ジェットはそれに没頭した。
 さっきそうしたように、舌を伸ばし、今度は喉の奥を開いて、アルベルトをあやす。優しく、すこし乱暴に、歯を立てないように、さり気なく気をつけながら。
 胸と腹が、呼吸とともにうねる。なだめるように掌を滑らせて、けれど、そそのかすように舌を動かす。
 また湯気が、たち込め始めていた。呼吸まで、湿りを帯びて、重く響く。
 「声、出せよ。」
 ふと唇を離し、ジェットは言った。見上げると、焦点の合わない、薄い水色の瞳が見えた。
 「声くらい、聞かせろよ。アンタと、3日も会ってなかったんだ。」
 立ち上がり、壁にもたれて、軽く肩を弾ませるアルベルトに、見せつけるように、濡れたシャツを脱ぐ。それから、ゆっくりとジーンズのジッパーを、音を立てて下ろす。
 シャツが、排水溝に向かって流れてゆく。
 ジーンズを乱暴に、半分だけ引きずり下ろして、ジェットはバスタブの中に坐り込んだ。
 アルベルトの視線を感じながら、濡れて硬くなったジーンズから、片足だけ抜き出して、見せつけるように、足を開く。
 「来いよ。」
 ゆっくりと、腕を伸ばして手招きする。
 「アンタだって、欲しかったんだろ。」
 何だったのだろう。湯気の向こうに見えた、アルベルトの表情は、悔しさとも腹立ちとも見える色を刷いて、固く、唇を引き結んでいた。泣き出す前の、子どもようにも、見えた。
 一瞬、まるで人形のように静かに動きを止めた後、アルベルトは、まるで倒れるように、覆いかぶさって来た。
 まるで、力づくで征服する時のように---そんな必要は、まるでないのに---、いきなり足を抱え上げ、性急に、ジェットの中に入ろうとする。
 慌てて腰の位置をずらし、アルベルトがそうしやすいように、躯を開いた。
 押し潰される。彼の体の重みが、両足の内側を打つ。ひずんだ声を上げて、ジェットは思わず、彼の腰の辺りを蹴った。
 「ゴーカンする気かよ、アンタ。久しぶりなら、もう少し優しく------」
 髪をつかまれ、頭を後ろに引かれた。言葉の途中に、アルベルトの唇が、噛みつくように重なって来る。
 黙れ、と、薄い冷たい唇が言っていた。
 繋がったまま、躯を抱え上げられ、アルベルトの膝の上に坐る形になる。彼の鋼鉄の胸と、タイルの壁の間に、押し潰される形ではさまれ、ジェットは思わず息を止めた。
 アルベルトは、ジェットを抱くこともせず、壁に肘をついて体を前に支え、容赦もせずに突き上げた。
 一点で支えられた躯が安定するわけもなく、不安定に躯を揺らしながら、ジェットは思わずアルベルトの肩のしがみついた。
 もう、彼と彼の行為の激しさに、声を殺す遠慮もなく、ジェットは叫んだ。
 痛みだけでは、決してなかったけれど、乱暴にされるのが好きなわけではないと、とりあえず伝えるために、抗議も込めて声を放つ。誰に聞かれたって、かまうもんか。全部、アンタのせいだ。
 呼吸が、荒く頬を打つ。薄目を開けて窺うと、アルベルトは目を閉じて、濡れた髪を頬にはりつかせて、動くことに没頭している。
 不意に、動きが止まった。それから、がくりと肩が落ち、また彼の体の重みが、胸にのしかかってくる。
 まだ繋がったままの体が痛んで、ジェットは思わず体をねじって、離れようとする。
 それを、アルベルトが止めた。
 ジェットの腰に両腕を回し、まるで、抱きしめるためではなく、彼を捕らえるためのように、機械の腕の輪を、強く縮める。
 アルベルトの躯から、ゆっくりと熱が引いていくのを、ジェットはその腕の中で感じた。
 あちこちが痛んで、そして痛みのせいだけではなくて、疼く場所もある。
 アルベルトは、ジェットの肩の額を乗せ、息を静めようとしていた。
 こうして抱きしめられたまま、アルベルトがまだ自分の中にいるのは、奇妙な感覚だった。
 注ぎ降る水の下で、ふたりは言葉も交わさず、互いが何を考えているのかも知らずに、抱き合っていた。
 疼いていた躯が、少しずつ冷えてゆく。なだめても触れてももらえず、一方的にされてしまった行為の中に置き去りにされた躯が、諦めたように、静まってゆく。
 ジェットが、深く呼吸を漏らした時、ひくりと、アルベルトの肩が揺れた。
 それから、それを追うように、彼の唇から、嗚咽が漏れた。
 泣いているのだと悟るのに、一瞬かかる。
 事の成り行きに戸惑ってから、そして、ジェットは彼の肩と背中に、両腕を回した。
 「アンタ、ばかだな。」
 口をついて出たのは、そんな言葉。
 誰にも会いたくないのは、醜い自分を嫌われたくないからだ。けれど誰にも会わなくて、忘れられるのは怖い。拒絶と渇望は、彼の中で、奇妙な形で同居している。けれど、それが見える形になれば、人嫌いの淋しがりやという、陳腐なものになる。
 その陳腐さもまた、彼にとっては嫌悪の対象になるしかない。
 淋しいのだと、言えばいいのに。こんな自分は、誰にも愛されないのかもしれない、それが怖い。そう、素直に口に出してしまえばいいのに。ジェットは思う。
 口に出来ないから、こんな形で、人恋しさを表現するしかない。
 可哀想なヤツだよ、アンタは。
 母親は必要ない。けれど、躯を重ねて繋がり合う誰かは必要なのだ。自分の醜さを、晒してもなお、愛されるのだと確認するために。
 嗚咽を漏らし続ける彼の肩を抱いたまま、だからここに来たのだと、思う。
 アタシじゃダメなのよ。
 フランの声が、頭の後ろで響いた。水音にまぎれながら、ああ、そうだな、とジェットは小さく呟いた。


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