Faint



 どちらが先に、好きになったんだろうかと、そんなことを思う。
 ずっと、自分の方が、先に好きになったから、仕方ないなと、向こうが腕を伸ばしてくれたのだろうと思っていたけれど、もしかすると、案外、あちらも自分のことを好きだったのかもしれないなと、最近ジェットは思う。
 人ではなくなって、半分自暴自棄に戦闘訓練をこなしながら、機械---戦闘兵器---であることを、より求められる日常の中で、少しでも人である証拠にすがろうとしたら、同じように、兵器に改造されてしまった仲間が、目に入った。
 仲間。004。死神。ハインリヒ。アルベルト。
 呼び方は、その時々で違ったけれど、自分よりも、もっともっと戦闘兵器然とした彼も、まだ人である証拠を、探していたのかもしれない。
 彼と並べば、自分の方がより人間くさく見えるから、そんな打算がなかったとは、正直なところ、言い切ることはできない。
 俺は人間じゃないと言い張る彼の傍で、そうじゃない、アンタは人間だと、そう言い続けたのは、彼がほんとうに機械になりきってしまって、自分がひとり、中途半端に取り残されるのが怖かったからなのだと、ほんの少しだけ正直に、今なら思う。
 オレを、ひとりぼっちにしないでくれ。
 ほんとうは、そう言いたかったのだ。人とは言い切れず、かと言って、唯々諾々と、兵器になりきることもできず、ふたつの間を、ひとりきりでさまようのが、怖かったのだ。
 仲間が増え、彼だけを求める必要がなくなっても、それでもジェットが欲しかったのは、いつも彼ひとりだった。
 ナンバーで呼び合っていた仲間が、次第に名前で呼び合うようになり、それから、もっと親しくなっていく。
 仲間であるだけではなく、友人になり、限りなく家族に近い関係に変わってゆく。その中で、ひっそりと、みんなの中から肩を引いて、こっそりと、手を繋ぎ合う。
 隠していられるわけはなくても、互いに、知らないふりをする。そんなことには気づいていないふりをして、そんなことには気づかれていないふりをする。
 だから、ふたりが見つめ合っている時には、他の仲間は、さり気なく席を外して、これから一体、どれほど続くかわからないふたりの時間を、ふたりだけのものにしてくれようとする。
 そのことに、一体004は---アルベルトは、気づいているのだろうかと、ジェットは思う。
 ひどく聡明なくせに、時々、驚くほど鈍感で、触れ合って初めて、居丈高な態度は、自分を知らないゆえの、臆病さのせいだと、ジェットは知った。
 アンタって・・・。
 言いかけて、やめた。見下ろされて、その瞳が、ほんとうに何をも理解してはいなかったから。
 アンタは、オレが好きなアンタを、知らない。
 そう言葉にしても、おそらくきょとんと見返されるだろうと思ったから、言葉を紡ぐ代わりに、唇を重ねて、湿った息を交わすことにした。
 本を読むのが好きで、言葉を尊重するくせに、言葉を信じていない彼は、そうやって、暖め合う肌でおしゃべりをした方が、理解が早かった。
 アンタが好きだと、ジェットが1万回繰り返すよりも、抱きしめて、優しい口づけをねだる方が、いつだって雄弁に、ジェットの想いを伝えてくれる。
 アンタが好きだ。言葉だけを、虚しく繰り返すよりも、躯を重ねてしまう方が手っ取り早い。ふたりとも、子どもではなかったから。
 それでも、そうやって重ね合った肌のすきまに、忍び込むうそ寒さがないと言ったら、うそになる。
 ほんとうに、わかり合っているのだろうかと、そう、ふと思う瞬間がある。
 躯を重ねることはたやすい。だから、そうする。けれど、そうすることで、手の中からこぼれ落ちてしまっているものが、あるような気がする。何か大事なものを、見逃しているような気がして、思わず、下からじっと、アルベルトを見返してしまう。
 どうした。
 いつもよりも、低く、いたわるような声。
 優しさは、けれど愛情とは限らない。
 一度か二度、思わず涙を浮かべて、その首にしがみついたことがある。
 アンタが好きだと、叫ぶように言って、彼が、あの冷たい硬い右手で、ずっと背中を撫でてくれている間中、ジェットは同じ言葉を繰り返していた。
 そうやって、言葉を注ぎ込んでも、どうしてか、彼の心の底には伝わらないような気がして、抱き合いながら、躯を重ねながら、ひとりぼっちで取り残されたような気がして、ジェットは、巻きつけた両腕に力を入れながら、止まらない涙を、必死で押しとどめようとした。
 どうした。
 同じ問いを、静かに繰り返しながら、けれど彼は、泣き止めとは一度も言わず、それ以外は黙ったまま、ジェットの背を撫で続けた。まるでそこに、あるはずもない白い大きな羽を、あるいはその痕跡を、見つけようとするかのように。
 オレは、アンタが、好きだ。
 一呼吸置いて、アルベルトは、背中を撫でる手を止めずに、応えた。
 ああ、わかってる。
 それからずっと後で、ジェットはやっと、好きだと言った自分の叫びの意味を、悟った。
 アルベルトを好きだ、そんなことはわかりきっている。知りたかったのは、そんなことではなかった。
 アンタは、アンタがオレを好きなんだって、ちゃんとわかってるのか。
 ジェットが好きだと言ったから、ジェットが腕を伸ばして来たから、ジェットがそうしたいと言ったから、ジェットが、ジェットが、ジェットが。
 そうではなく。
 知ってほしかったのは、気づいてほしかったのは、そんなことではなく。
 アンタも、オレを好きなんだ。
 もしかすると、ジェットが思う以上に。
 いつか、もう何万回の夜を重ねた後でなら、素直にそのことに、気づいてくれるのだろうか。死神だとか、004だとか、あるいはアルベルト・ハインリヒだとか呼ばれる彼が、彼自身がどうしたいのか、彼自身が何をどう思っているのか、何を欲しがっているのか、きちんと気づいてくれる日が来るのだろうか。
 ジェットの、言葉の、ほんとうの意味を、くみ取ってくれる日が、いつか来るのだろうか。
 アンタが好きだ。
 そう願いながら、ジェットはまた、同じ言葉を口にする。


 本を読んでいるアルベルトの膝に、そっと頭を乗せて、眠るふりをして目を閉じた。
 ページを繰る手が、目が字を追っている間だけ、髪を撫でてくれる。
 喉に触れられた猫のように、うっとりとあごを振って、ひょろりと背高い体を、床の上に折りたたんで、ジェットは、他の誰も周りにいないのをいいことに、アルベルトの足の甲---きっちりと革靴につ包まれている---に掌を乗せる。
 アルベルトに、触れたいと思っていた日々、同じことを思っていたのだろうと、問いつめたくなる自分を引き止めて、皮膚のぬくもりが伝えることを、聞き取るだけで、満足しようと思う。
 今は。
 どちらが先に好きになったかなんて、重要じゃない。でも、それが重要じゃないのは、お互いの気持ちが、まったく同じだからだ。
 自分だけが、相手を好きだと思う、小さな怯えが、確信を欲しがる。自分だけの、一方的な想いではないのだと、知りたがる。
 怯えなくてもいいのだと、ジェットは、自分の胸に言い聞かせた。
 きれいに磨かれた、つやつやとした革靴の表面を、まるで、それがアルベルト自身であるかのように、ジェットはいとしげに撫でた。
 なあ、と下を向いたままで声をかけると、アルベルトが、また本のページから視線を上げた。
 「なんだ。」
 「なんでもない。」
 そうかと、また視線が元に戻る。
 膝に頬をすりつけて、退屈だから、かまってほしいのだというポーズを崩さないまま、ジェットはまた口を開いた。
 「アルベルト。」
 「なんだ。」
 今度は、視線は動かない。
 その方がいいと、ちらりと、前髪のゆるくかかった辺りを見上げて、思う。
 「アンタが好きだ。」
 髪に、掌が乗った。
 本を読む視線は、それ以外には動かないままだった。
 「ああ、そうだな。」
 膝の上で、ジェットは、ゆっくりと、大きく瞬きをした。
 アルベルトの手が、髪から離れて、ぱらりとページをめくる音がした。
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