Merry Christmas



 クリスマスなんて、とジェットは思った。
 家族も恋人もいない人間には、ただ騒がしい一日でしかない。
 それでも、世界は、クリスマスを祝うことを、ありとあらゆる人間に、強制する。
 ふん、とジェットは、路上の土を、軽く蹴った。
 オレには、関係ないさ。
 もうひと月も、世界はクリスマス一色だった。
 街に流れる音楽は、クリスマスソングばかり、誰もがクリスマスの買い物の話をして、いつ、誰のパーティーに誰と行くか、思案中だと顔に書いてある。
 誰かのための、プレゼント。家族が集まって、暖かな食事をする。目覚めた朝には、サンタクロースと家族から、贈り物の山が、開けられるために待っている。
 家族がみんなで、クリスマスツリーを囲んで、びりびりと、包みを盛大に破る。
 笑いながら、紙くずを拾い集め、プレゼントを見せ合って、キスとありがとうを交わす。
 それから、みんなで朝食を一緒に。家族で。家族と。
 オレには、関係ないけどね。
 街を歩く。人はみな、いつもより優しげな表情で、足を早めて歩いている。
 たいてい、両手いっぱいに、色とりどりの荷物を抱えて。
 クリスマスの準備が大変でね。そう言いながら、幸せに満ちた表情をしている。クリスマスに忙しいのは、いいことだから。
 そんな浮かれ気分に乗って、ジェットも、普段より多めのチップを置いたり、顔見知りの誰かれに、メリークリスマスとあいさつを変えたりしている。
 クリスマスが、きらいなわけじゃない。
 それでも、一緒に過ごす家族がいなければ、周囲の騒ぎを、斜めに見ることになる。
 ふん、とジェットは思った。
 隠れるようにして暮らすうち、誰とも、親しくならない術を身に着けた。
 あいさつをするだけの間柄。人の中に溶け込んで、決して目立たず、決して人目をそば立てず。そうすれば、ある日突然姿を消しても、誰もジェットを探そうとはしない。
 ああ、誰だったかな、あの、赤い髪の、背の高い・・・・・・しばらく見かけないねえ。
 それで終わる。次の瞬間には、別の誰かの話になる。誰も、ジェットを覚えていない。それでいいのだと、自分に言い聞かせようとした。そう、自分で仕向けているのだから。
 クリスマス、とジェットは思った。
 騒がしい街の中で、緑と赤のあふれる路上で、自分だけが、異質だと感じる。
 クリスマスを祝わないからだけではなく、家族も恋人もいない、サイボーグだからだ。
 空を飛べる、機械の体。姿形は永遠に変わらず、時間の流れに取り残されて、変化は、改造という形でしか訪れない。
 通り過ぎる人込みの中、自分だけが、そこに立ち止まっている。
 永遠に。
 自分の回りを通り過ぎてゆく時間を、ごくまれに、その手につかもうと、腕を伸ばすことがある。
 その腕は、空回る。掌には、何もない。
 ひとところに落ち着くわけには行かず、始終住み処を変えている。注がれる好意に背を向けて、次の場所へ、逃げるように。
 異端だとばれれば、何が起こるか、わからなかったから。
 夜中に目覚めて、何度もひとりで泣いた。
 オレのせいじゃない。好きでサイボーグになんか、なったわけじゃない。
 ひざを抱えて、にせものの皮膚を撫でる。空を飛ぶための両脚を、大事に思いながら、嫌悪する。
 世界で、自分がひとりきりだと、感じる。たまらなく、ひとりきりだと、感じる。
 孤独という言葉では表しきれない、背骨が凍るような、淋しさ。
 ぎしりぎしりと、背骨がきしむ音を聞いて、夜の底で、その淋しさにひとりで耐える。ひとりきりで。
 クリスマスは、憂鬱を運んでくる。
 ふん、とまたジェットは思った。
 きらびやかな世界は、あちら側に。時間の止まった色のない世界は、こちら側に。
 今年をやり過ごしても、また来年が、性懲りもなくやって来る。そんなことの繰り返し。
 一緒に祝う家族のいない人間には、ひどく肩身の狭い頃。
 クリスマスなんか、とジェットは思った。
 風が、音を立てて吹き過ぎて行った。えりの大きく開いた、シャツの首を、ジェットは思わずすくめて縮めた。
 アパートメントの階段を上がる前に、いつものように、郵便受けをのぞく。何もないとはわかっていても、そうせずにはいられない。
 そして、そこに、ジェットは小さな包みを見つけた。
 ジェット・リンク様へ、アルベルト・ハインリヒより。
 思わず、ぽかんと口を開ける。
 クリスマスだ、とジェットは思った。
 素っ気もない、茶色い小包用の紙に包まれた、四角く、少し柔らかい何か。
 ジェットは飛ぶ勢いで階段を駆け上がり、自分の部屋へ飛び込んだ。
 上着も脱がず、靴も脱がず、キッチンのテーブルで、びりびりと包みを破った。
 まるで、誰もが、クリスマスの朝に、そうするように。
 中から現れたのは、鮮やかなオレンジ色のマフラーだった。幅の広い、長い、暖かそうなマフラーだった。
 その下に、まるでハインリヒの照れ笑いが見えるような、絵本が一冊。
 ここにだって、本屋はあるんだぜ。
 英語のタイトルの刷られた、つるつるの表紙を撫でながら、ジェットは思わず笑った。
 うさぎが2匹。おおきなうさぎとちいさなうさぎ。
 きみがすき、とチビが言う。このくらい、と両腕を大きく開いて。
 ボクのほうが、キミのことをもっとすき、とのっぽが返す。長い両腕を、長く長く伸ばして。
 チビがどれだけ、きみのことがこのくらいすき、と言っても、のっぽが、ボクのほうがもっとすき、と返してしまう。
 ろくに字も読めなかった頃、ジェロニモがくれて、読み方を教えてくれた絵本だった。
 ぼろぼろになって、何度も繰り返す引っ越しの間に、行方知れずになってしまっていた。
 一字一句、そらんじてしまえるほど、何度も読み返した、絵本。
 いつか、この本が行方不明になってしまったと、ひどくがっかりした声で電話したのを、どうやら覚えていたらしい。
 カードも何も、他には入っていなかったけれど、それはおそらく、照れ屋のハインリヒの、精いっぱいの照れ隠しだろうと思った。
 今度は、絶対に失くさない。ジェットは、心の中でつぶやいた。
 本をテーブルの上に静かに置いて、それから、マフラーを手に取った。
 手編みだとわかるそれを、ハインリヒが編んだのかどうかは、訊かずにおこうと思う。
 ふわりと柔らかなマフラーに、ジェットは鼻先を埋めた。
 メリークリスマス。心を込めて、つぶやいた。
 体を伸ばし、すっと反らした首に、マフラーを巻きつける。
 あたたかい、と思ってから、ジェットは大きく笑った。
 ひとりだったけれど、ひとりではなかった。
 マフラーのぬくもりを試したくて、また外へ出ることにした。
 カードを買おう。ハインリヒのために。
 メリークリスマスと書いて、ありがとうと、付け加えよう。
 足取りも軽く、階段を駆け下りながら、ジェットが口ずさんでいたのは、ジングルベルだった。


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