Numb


 雨の日には、何となく気が滅入る。
 それは、人工皮膚にまといつく、湿気のせいのような気もするし、雨のせいで、外に出れないせいかもしれないし、あるいは、雨をとめることさえできない、自分たちの無力さを、思い知るせいかもしれなかった。
 もう、何度目なのか、ハインリヒはカーテンをめくって、裏庭を眺めて、しとしとと降り続く雨の空を見上げ、その寒々とした灰色に、そっと眉をしかめる。
 もうひとつ、雨が降ると、体が痛む。
 特に、人工皮膚に覆われていない、右腕や両脚や、それから、原爆を抱えていると思われる、みぞおちの奥、人工胃の裏辺りが、重く痛む。
 気のせいだと、ギルモア博士もイワンも、何度もハインリヒに言ったけれど、それでも、その痛みは消えることはない。
 体を、動かしにくいような気がして、それはもしかすると、機械だと自分を卑下する気持ちが、そんな痛みを呼び起こしているのかもしれなかった。
 雨と機械は、相性が悪い。
 そんなことを、ひとり胸の中でごちて、雨の滴る窓から離れた。
 こんな日に、こんなふうに気分が沈み込むのは、ハインリヒだけではない。
 いつもは陽気な、落ち込むということを知らないふうのジェットも、いつもよりも人恋しさを剥き出しにして、上目に人を眺める。
 横に広い唇をとがらせて、どこか不機嫌な態度で、そんな自分を持て余している風に、ハインリヒに肩をぶつけてくる。まるで、猫が、かまってくれと言ってるようだった。
 雨の日には、何となく部屋に閉じこもって、意味もなく、欲情もなく、抱き合う。
 抱き合って、声を上げて、雨の音を消そうとするように、外の雨のことなど、忘れてしまったように、抱き合って、機械の手足を絡め合って、憂鬱と所在の知れない痛みを、置き去りにしようとする。
 いつもより長く感じる時間の流れを、後ろに追いやってしまうために、何度も何度も、果てては終わり、また、始める。
 スイッチを切らない限り、機械に終わりはない。そんなスイッチは、少なくとも手の届くところにはないふたりは、際限もなく抱き合って、いろんなところをこすりつけ合って、終わらないことを知っていて、小さな終結を何度も繰り返す。
 ジェットは、憂鬱だと口にはしなかったし、ハインリヒも、体の痛みのことを、ジェットに言ったことはなかった。
 それでも、雨の日には、何となく互いが必要になるのだと、互いにわかり合っていて、どちらから誘う必要もなく、まるで雨と雨音を避けるように、シーツの下にもぐり込む。
 胸と手足を開いたジェットの上に乗りかかって、膚をこすり合わせて、ぬくもりを増やす。暖め合って、互いの皮膚を濡らすのは、雨ではなく汗だ。
 そのことを、幾度も確認しながら、また躯を繋げてゆく。
 雨のことなど知らない。雨は何も為さない。雨など関係ない。
 ただ、雨が、好きではないだけだ。
 その理由を、思いつけないだけだった。
 雨の日の交わりは、いつもよりも、感覚が薄い気がする。切羽つまっているくせに、それは決して欲情のせいではなく、そうして動いていなければ、錆びついた部分が---あるような、気がする---、動かなくなってしまうような、そんな気がするからだ。
 動き続けるために、なめらかに、まるで人間のように、在り続けるために、ジェットを抱きしめて、抱き寄せて、躯の内側を重ねて、人の部分を確かめる。
 機械だけれど。人のように動いている。人のように振る舞っている。
 どちらかと言うなら、よりに人に近い。そう思える。
 雨の日には、それを、もっと強く感じる必要があるのだ。
 もう、数え切れないほど同じ事を繰り返しているのに、ジェットが、変わらない反応を返してくる。姿勢を変えても、手順を変えても、結局は同じことなのに、飽きるということなどないように、ジェットの躯が、いつもいつも同じように応える。
 まるで、機械だ。
 俺たちは、機械だ。
 俺は、機械だから、雨が嫌いだ。
 八つ当たりのように、ジェットの内側を、強く押した。ジェットの白い喉が伸びて、少し叫んだ。痛いかと訊くと、目を細めて、にらんできた。
 それを見て、ハインリヒは安堵した。
 機械が、痛みを感じるわけはないから。
 けれど俺は、機械のくせに、痛みを感じている。
 それとも、やはり、自分を人間だと思いたい、あれはハインリヒの妄想なのだろうか。
 叫ぶジェットにかまわず、ハインリヒは、ジェットの中を乱暴にかき回した。
 生身であって、こんな荒っぽい交わりでは、躯はきしんだ音を立てるのだろうか。
 声を耐えるために、シーツを噛んでいたジェットが、横顔を向けて、またハインリヒをにらんだ。
 その目元が、涙で濡れているのを見つけた途端、耳の後ろの雨音が、また強くなった。
 背骨の中心が、ぎしりときしんで、ジェットの中で、ハインリヒの躯は、やっと熱を失い始めていた。


 ハインリヒに腹を立てたのか、躯を外すと、ジェットは無言のままで背中を向けた。
 自分の肩を抱きしめて、膝を胸に引き寄せて、何か言いたげに、何度か首を振る。
 それを眺めながら、ベッドの上に坐り、ハインリヒは、口を開かないために、煙草に火をつける。
 悪かったと言えば、よけいにジェットの機嫌を損ねるだけだ。
 フィルターのぎりぎりまで吸って、ベッドサイドの小さなテーブルに置いてある灰皿に、丁寧な仕草で火を揉み消しても、まだジェットは何も喋らなかった。
 もう一度、その肩に手を伸ばすことも考えたけれど、振り払われることは、目に見えていた。
 鉛色の右手と、ジェットの白い背中を交互に眺めて、このまま背中を向けて眠ってしまおうかと、思った時に、声がした。
 「・・・こんな日じゃ、外で煙草も吸えねえ。」
 意味のない言葉の羅列だと、わかる。ただ、重苦しい沈黙を、消すためだけの、つぶやき。
 ハインリヒはようやくほっとして、ジェットの髪に手を伸ばした。
 汗に湿った髪を撫でると、ジェットの横顔が、こちらに、少しだけ向く。
 瞳の動きに誘われて、ハインリヒは、背中からジェットに寄り添ってゆく。
 ジェットの首筋に顔を埋めて、まだ眠るつもりはなかったけれど、そのままそこで目を閉じた。
 胸と背中を合わせて、腕を絡めて、ジェットが、右腕を抱き寄せるままにさせて、まだ残るぬくもりに、ふたりですがろうとする。
 それでも、雨音と、雨のせいの冷気が、部屋の中を満たしていた。
 「・・・出掛けるつもりだったんだけどな。」
 ぼそりと、言い訳のように、ジェットが言った。
 右腕を抱いたジェットの腕から、力が脱けたような気がして、ハインリヒは、まるで逃がすまいとするかのように、力を込めてジェットを抱きしめた。
 右肩が、ぎしりときしんだような気がした。
 「俺たちは、所詮機械だ。雨には、当たらない方がいい。」
 一拍置いて、ジェットがふっと笑って、ハインリヒの右腕を抱き直すと、そこにあごの先を埋めた。
 「・・・そういうことに、しといてやるよ。」
 あきらめたように、ジェットがつぶやいた。
 雨は、まだ降り続いていた。


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