Papercut



 惨めな様だ。
 何度、そう呟いたろう。こうして、身動きも出来ず、様々な機材と線に繋がれて、また、自由の身になれるのを、辛抱強く待っている。
 わずかな人工皮膚はとうに剥ぎ取られ、鉛色の、様々な部品と金属を、何の障害もなく、外に晒している。
 まるで、拷問だ。
 自分の、今の体である、機械だらけの塊を、退屈を殺すために、すみからすみまで眺めている。
 動けないのは、機材に繋がれているせいだけではない。
 両腕と、片足が、今はない。





 飛べ、と皆で叫んだ時には、もう遅かった。
 爆発まで、ほんの一瞬しか、残っていなかった。
 そして、002がさっと青冷めたのが、遠目にもわかった。
 両足のジェットの故障。
 一番最初にそれを悟ったのは、004だった。
 考えるより先に、走り出していた。
 加速装置を使えば、自分よりもずっと速く動ける009のことなど、ちらとも頭に浮かばなかった。
 走り寄って、彼の体を、つかんで投げた。遠くへ。出来るだけ、遠くへ。
 そして、自分も飛んだ。
 けれどそれは、彼も飛べたからではもちろんなく、爆発のせいだった。
 ひきちぎれてゆく両腕。吹き飛んだ右足。
 何故か、それが見えた。自分の体から、あらぬ方向に離れてゆく、自分の一部が、視界の隅に消えてゆくのが、見えた。
 高く放り投げられ、落下する。地面に叩きつけられ、体が跳ねた。
 息が出来なかった。
 必死で首を曲げて見回すと、金属線で辛うじて繋がっている、ぶら下がった右腕が見えた。
 濃い茶色の、オイルが、地面に広がり始めていた。
 チクショウ。我知らず、呟いていた。誰になのか、何になのか、それさえわからずに。
 

 足音が聞こえ、人の気配が自分の回りに集まった。
 意識は、すでに遠のき始めていた。
 繰り返し自分を呼ぶ、002の声。
 無事だったのかと、ふと安堵する。
 けれどそれを伝える力は、もうなかった。
 最後に覚えているのは、頬に触れた赤い髪と、自分を抱き上げた、005の大きな腕。
 人形のように、壊れた機械のように、どこかへ運ばれる自分。
 捨てられるためではなく、直してもらうのために。
 それだけが、救いだった。





 実は、とギルモア博士は、申し訳なさそうに言った。
 新しい素材がある。軽くて丈夫で、何より、生身の肉体に近い外見だ。
 それを、出来れば使いたい。
 ただ、今は手元にはない。
 輸送に、少しばかり時間が必要なのだと、博士は、目覚めた004に説明した。
 何でも、お好きなように。
 少しばかり、投げやりに、言った。
 博士が、声を落として、なるべく早く、君の修理にかかろう、と言った。004から、目を反らしたまま。
 意地の悪い自分を、ひとりで笑う。
 博士の罪悪感を、わざわざつつかなくてもいいのに。
 けれど、どこに怒りをぶつければいい?
 壊れて、身動きも出来ずに、様々な機材に囲まれて、宙吊りにされたまま、修理されるのを待っているのは、自分だ。
 他の誰でもなく、自分だ。
 惨めだと、舌を噛む。
 機械の体そのものではなく、壊れてしまった自分が、惨めだった。
 壊れた姿を晒している自分が、惨めだった。
 眠ろう、と思った。
 眠ってしまえば、目を閉じてしまえば、壊れた自分の姿を眺めずにすむ。
 二度と目覚めないことへの恐怖よりも、今は、自分の惨めさの方が苦痛だった。
 目を閉じた。夢を見ないことを、望みながら。





 幻かと、ふと頭を振る。
 両目をこすろうとして、そうして今は、そうすることのできる両腕がないことに、また気付く。
 幻が、そんな彼を、くすりと笑った。
 ジェット、と呼んでみた。幻は、また笑いを漏らして、彼の頬に触れてきた。
 「ひでぇツラだな、アンタ。」
 噛み癖のせいで、ぎざぎざの爪。滑らかな指の腹。そして、声。
 「やっと博士が、アンタに会いに行ってもいいって、言ってくれたよ。」
 幻ではない。彼が、ここにいる。
 彼が、少し背伸びをして、唇に触れてきた。乾いた接吻。撫でるように重なる唇。
 近づく彼の体を、抱きしめることさえ出来ない。
 唇が離れ、彼が少し遠のくのを、思わず体が追った。
 チクショウ。また、心の中で呟く。
 逢いたくて、けれど、一番、今の自分を見られたくなかった、彼。
 車にひき殺された猫の方が、まだましな見せ物なような気がする。
 自分の体を隠したくても、身動きもままならない。
 機械そのものの、自分の体。今は壊れて、動かない、自分の体。
 また、惨めさがつのってきて、そうとは知らずに唇を噛んだ。
 「そんな顔、すんなよ。」
 彼が、優しく微笑む。
 破損部分が、まだそのままなのも目に入らないかのように、いつもと変わらない、彼の笑顔。
 両腕と、片足を、醜く欠いた体。
 なのに何故、そんな風に微笑める?
 まだそんな瞳で、俺を見つめる?
 彼に、触れたかった。触れて、確かめたかった。
 同情ではないのだと。
 違うのだと、彼に触れて確かめたかった。
 出来ることなら。
 けれど、伸ばす腕がない。彼の方へ踏み出すための、足がない。
 チクショウ。また、同じ呟き。
 ようやく、口を開いた。
 「おまえを抱きたいのに、腕がない。」
 思った通りを口にする。それが、いちばん良いことのように思えた。
 彼の腕が、両腕が、大きく開いて伸びてきた。
 抱きしめられた。強く。
 彼の赤い髪が、あごに触れた。それに、必死で頬ずりする。
 「オレが抱いてやるよ。アンタの腕が、戻ってくるまで。」
 彼の両腕。両足。彼は空を飛ぶ。時折、自分を抱いて。
 別のからだ。けれど、自分と同じ、機械の体。
 抱き返せないのを、ひどく残念に思う。けれど、惨めだとは思わなかった。
 「いつになるか、わからんぜ。」
 彼が、金属板の胸に、額をすりつける。
 「いいよ、いつでも。時間だけは、どうぜたっぷりあるんだ、オレたち。」
 彼の唇が、また触れる。ゆっくりと。
 今度は、触れるだけでなく、長く。
 背中を這う掌と指。巻きつく腕。
 彼が触れる端から、癒されてゆくような気がするのは、何故だろう。
 醜い機械の体。今は、さらに醜く、壊れたままでいる。
 でも、と思う。
 醜くてもいい。かまわない。
 心は、壊れずにある。誰にも、侵させない。
 醜い自分の体を、少なくとも、愛しさを込めて抱きしめてくれる腕がある。
 夢を見ようと、思った。
 戻ってきた両腕で、彼を、力いっぱい抱きしめる夢を。


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