Place For My Head



 「また、買って来たのか?」
 ジェットが、椅子の背もたれに向かって腰掛け、ドレッサーの前に立って、腕を組んでいるハインリヒの背中に向かって言った。
 「いや、これはフランがくれたんだ。」
 横に長いドレッサーの上に、ずらりと並んだぬいぐるみを少しずつ動かして、ハインリヒは、新入りのための場所を作ろうと、頭をひねっている。
 20か30か、もしかすると、もっとあるかもしれない。
 どれもこれも、猫や犬や、うさぎやくまのぬいぐるみばかりだった。いちばん大きいものでも、せいぜい30cmほどで、大半は、大人の男の掌になら、それなりにおさまってしまいそうな大きさばかりだった。
 様々な色と形、様々な表情で、ぬいぐるみたちは、この本と最低限の家具しかない、殺風景な部屋に、不似合いにおさまっていた。
 この男が、こんなものを集めているというのは、もっと不似合いだと、ジェットは秘かに思う。
 もちろん、このハインリヒの趣味を、不思議に思っているのはジェットだけではなかった。けれどいつの頃からか、ハインリヒのやることには口を挟まない、という暗黙のルールが、仲間の間にできてしまっていて、ことにそれが、サイボーグ004としての彼ではなく、アルベルト・ハインリヒとしての彼のことなら、それはそういうこととして、受け入れてしまうという態度が、みんなの間にあった。
 そのせいで、このことについて、遠慮もなく口を開くのはジェットだけで、他の誰も、004が可愛いテディベアを買って来たらしい、ああそうか、という程度以上のことは、決して口にしなかった。
 フランがくれたという、淡い砂色の毛の、小さなうさぎのぬいぐるみを、ようやく黒いテディベアと茶色いブルドッグの間に坐らせると、よし、とでも言うように手を叩き、ハインリヒはやっとジェットの方へ振り返った。
 「一体それで、何個目だよ。」
 さあ、とハインリヒは、真面目に首をかしげて見せる。
 「もう、いちいち数えてないからな。30か、40か・・・。」
 「そこらの女の子でも、こんな持ってるのがいるかどうか・・・。」
 やや、うんざりしたように言うジェットに、ハインリヒがにやっと笑って見せた。
 「何を集めようと、俺の勝手だ。」
 「そりゃ、そうだけどさ・・・。」
 ベッドの方へ歩いて行きながら、ハインリヒは手を伸ばし、ジェットの髪をくしゃりとやった。
 ジェットが肩を上げ、その手をよけながら、何だよ、とハインリヒの方をにらむ。
 「ここに並べてるくらいのことで、ぎゃあぎゃあ言うな。もし、トラックの中に飾るようになったら、文句も聞いてやる。」
 乱れた髪を、直しながら、ジェットはふん、と鼻を鳴らした。
 ハインリヒは、ヘッドボードにもたれてベッドの上に坐ると、読みかけだった本を取り上げ、しおりの挟まったページを開いた。
 椅子から立ち上がると、椅子の向きを変え、またハインリヒと向き合う位置にする。
 またがった椅子の、背もたれに乗せた両手の上にあごを乗せ、ジェットは、本を読むハインリヒを、見るともなしに眺めていた。
 物に執着することのあまりないハインリヒが、なぜぬいぐるみを集めるのか、新しいぬいぐるみが増えるのを目にするたび、ジェットは考える。
 誰かからもらったものだとか、何かの記念だとか、そういう事情なら、理解できなくもない。けれど大半は、ハインリヒ自身が、自分で気に入って、手に入れてきたものばかりだった。
 いつかの誕生日に、フランソワーズとジョー---選んだのは、フランソワーズに決まっている---からもらったのがひとつ、それから、ピュンマが、ハインリヒが読みたがっていた本を見つけてきた時に、彼が、その本と一緒に手渡したのがひとつ、後は、ギルモア博士が、友人のところ---確か、スイスかどこかだった---から戻ってきた時に、かばんから、愛おしそうに取り出して、ハインリヒに---そして、イワンとフランソワーズにもそれぞれ---渡したのが、ひとつ。
 なぜか、いつもその場にジェットはいて、ハインリヒの、照れくさそうなうれしそうな表情を、何度も見ている。
 子どもが、無邪気におもちゃの贈り物を喜ぶのとは違う、どこか違う表情が、いつもあった。
 それが何なのか知りたくて、けれどそれを、直接訊くのは、なぜか憚られて、ジェットはいつも悔しい思いをしていた。
 ハインリヒが、機械の手で、柔らかそうな小さなぬいぐるみを抱くのは、どこかほほえましい光景ではあった。違和感が、ないわけでは、なかったけれど。
 ハインリヒが、ぱらりとページをめくった時に、ジェットは小さく声をかけた。
 「アンタさあ、どうして、ぬいぐるみなんか集めてんだよ。」
 ハインリヒが、顔を上げ、いつもの、とらえようのない無表情で、ジェットを見た。
 「好きで集めるのに、理由がいるのか?」
 「そうじゃないけど・・・でも、普通は、イイ年した男が、ぬいぐるみなんか、集めないだろ。」
 「俺はどうせ普通じゃない。だったら普通じゃないものを集めても、不思議じゃないだろう。」
 「そういうズルい言い方で、はぐらかすなよ。」
 触れられたくない部分に触れられた時に、相手を黙らせるために、ハインリヒがよく使う、普通ではないという言い方に、ジェットはやや腹を立てながら、それでもひるまずに言葉を続けた。
 今度はハインリヒが、ふんと鼻を鳴らした。
 本を、わきに置くと、両手を胸の上で組んで、ゆっくりと笑って見せた。
 何かを探しているかのように、肩を軽く揺すって、指を外し、もう一度組み直して、それからようやく、話を始めた。
 「子どもの頃、母親が、うさぎのぬいぐるみを作ってくれたんだ。ベルベットの、つるつるする生地で、濃い青の、耳の長いうさぎだった。物資がなくて、もちろん子どものおもちゃなんか、どんなに探してもどこにもない。だからオフクロが、自分のドレスを作るつもりだった布で、俺に、そいつを縫ってくれた。4つだったか5つだったか、長いこと、大事にしてたんだ。」
 で、と先を促すように、ジェットが相槌を打った。
 首を伸ばし、天井を仰ぐと、上を向いたまま、ハインリヒは話を続けた。
 「今は、自分が人形だ。しかも、人を喜ばすための人形じゃなく、人を殺すための人形だ。そういう皮肉を、自分で笑ったっていいだろう? 俺とこのぬいぐるみたちは、どこか似てるんだ。作られた目的は違う。でも、人形なのは同じだ。そうだろう? 人形が人形を集めて、自分を笑ってるだけだ。」
 ジェットは、ハインリヒから、目を逸らさなかった。
 「思い出でもあるし、そういう、皮肉な巡り合わせのせいでもある。俺がああいうものを集めるのは、そういうわけだ。」
 話は終わったという仕草で、ハインリヒはまた本を取り上げ、ページを開いた。
 その、素っ気ない仕草に、思わずジェットは笑った。
 平たい声で、表情もなく言い捨てながら、その裏で、言いたいことの大半を飲み込んでしまっているのを、ジェットはなぜか知っている。
 声が冷たくなればなるほど、そのことについて、こだわりがあることの証拠だった。
 子ども頃の思い出は、遠く失ってしまった家族への思い出に、直結する。そこにいた、生身の人間だった自分の、後姿を見ることになる。
 ぬいぐるみには、生命はない。けれどジェットやハインリヒは、生きていた。機械の体で、生き続けている。望んだ生では、なかったのかもしれないけれど。
 失ってしまったのは、自分自身。その失った自分自身のかけらを、ぬいぐるみという、本物の人形の中に見ているのだと、もちろんハインリヒは言わない。
 真実は、時として、滑稽なほど陳腐になる。
 そんな類いの滑稽さは、ハインリヒの趣味ではないのだと、その下らなさが---そして、だからこそ真摯な彼の態度が---おかしくて、ジェットは笑った。
 ハインリヒは、そんなジェットを無視したまま、本から視線を外さなかった。
 笑いをおさめて、椅子から立ち上がると、ジェットはベッドの傍へ行った。
 ベッドの縁に腰掛け、まだ少し笑いをかみ殺しながら、ハインリヒに話し掛けた。
 「まったく、素直じゃないよな、アンタは。」
 本に視線を当てたまま、
 「何が?」
とハインリヒは言った。
 「素直に、オレがいつも傍にいないから、淋しいから集めてるって、言やぁいいのに。」
 「一度、おまえのメンテナンスに立ち合うべきだな。その、予測不能の思考回路を、ゆっくり調べてやる。」
 「愛しいオレの、頭の中までそんなに知りたい?」
 おどけて言うと、バカ、とハインリヒが返してきた。
 ようやく、この部屋にやって来た理由を、上着のポケットの中に探ると、ジェットは、ひどく優しくハインリヒを見つめた。
 「フランに、先越されたけど・・・。」
 ポケットから取り出した手の上には、黄色いアヒルが、ちょこんと乗っていた。
 ハインリヒが、眉を寄せ、何だ、これはと、目顔で訊く。
 「ぬいぐるみは、オレの趣味じゃないんだ。」
 オレンジ色のくちばしに、くりくりとした目が、表情に愛嬌を添えている。
 ラバーダッキー、と、ジェットは愛しそうに言った。
 ジェットの手から取り上げて、ハインリヒは、自分の掌に乗せてみた。
 「確かに、ゴム製だな。」
 材質のせいで、指でつまむと、どこまでもへこんでゆく。表情が変わるのが面白くて、ハインリヒは、両手の中で、握っては元に戻すのを繰り返す。
 「風呂で遊べるんだぜ、それ。」
 「こんなものと一緒に風呂に入ってどうする。」
 「じゃあ、オレと一緒に入ろうぜ。オレが遊ぶよ。」
 「それが目的か・・・。」
 ハインリヒが、呆れ顔で苦笑を漏らした。
 ジェットは、ゆっくりと、ハインリヒの胸にすり寄った。
 少しの間戸惑って、それから、ハインリヒの機械の掌が、頬に触れる。
 ハインリヒはまだ、片手だけで、そのアヒルで遊んでいた。
 「一緒に、シャワー浴びて、遊ぼうぜ。」
 小さな声で、ジェットは言った。
 ジェットの髪を撫でて、
 「後でな。」
 微笑を含んで、ハインリヒが言った。
 「もう少しだけ、このまま、こうしててくれ。」
 背中に回った、ハインリヒの腕の中で、ジェットは、うんと小さくうなずいた。


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