So This Is Eden



 雨の振り続いた2日後、ジェットが、小鳥の親子を見つけてきた。
 母親らしい親鳥と、小さなヒナたちが3羽。大雨で、せっかくつくった巣が壊れたのか、地上で、ヒナをかばい、近づいてくるジェットを、怪我のふりをして、自分の方へ引き寄せようとしていたのだと、ジェットが言った。
 サイボーグの、常人の比ではない聴覚---フランソワーズほどではなくても、やはり強化されている---は、背後で、母親を探して鳴くヒナたちの声を、拾い上げた。
 まだ巣立ちしていないヒナたちと、それを守ろうと必死の親鳥を、ジェットは、脱いだ上着に、そっと包んで、ギルモア邸に連れて帰った。
 「逃げなかったってのは驚きだな。」
 鳥かごなどあるはずもなく、とりあえず大きな箱に、連れて戻った鳥を全部入れてやりながら、ハインリヒが言った。
 「オレが優しい人間だってのが、わかるのさ。」
 「鳥ってでも、何を食べるの?」
 フランソワーズが、ジェットの肩越しに覗き込みながら、言う。
 ジェットが、えっと、という表情で瞳を上に押し上げた。
 「・・・虫でもつかまえて来りゃ早いんだろうが・・・とりあえず、オートミールでも小さく砕いて、水でも置いて、様子を見よう。」
 虫、とハインリヒが言うと、フランソワーズが、何を想像したのか、ぶるりと肩を震わせる。
 珍しそうに、箱の中を覗き込むジェットを、そっとしておいてやれと、居間に送って、ハインリヒは、鳥たちのために、オートミールを探すために、キッチンの中を見回した。


 まるで子どものように、片時も箱の傍を離れず、ジェットは何度もハインリヒに怒られた。
 夜になって、ジェロニモが戻ってくると、箱の中身が何か聞く前に、鳥、と小さくぼそりと言う。
 ジェットは、さすがに、軽口も叩かずに、自分の方を見ながら、箱に手を伸ばしたジェロニモに、おとなしく場所を譲った。
 そっとふたを開け、静かに中を見る。そうしながら、かすかに微笑んで、また、箱を元通りにする。
 「怯えて、疲れてる。静かにする。」
 床に坐って、ひょろりと背高い体を丸めているジェットと、岩のように大きな体を丸めているジェロニモのふたりを、ハインリヒは、ソファで紅茶を飲みながら、横目に見ていた。
 「腹は、空かしてないのか?」
 ジェロニモの背中に、そう尋いた。
 振り返って、もう一度箱に視線を返して、ジェロニモは軽く首を振った。
 「でも、外、行きたい。巣、いる。巣箱、つくる。」
 「そうだろうな。鳥が、そんな箱に入れられて、平気なわけがないんだ。」
 巣箱をつくると言ったジェロニモに、いい考えだ、ありがとうと、言う前に、ジェットがいきなりいきり立った。
 「なんだよ! 仕方ないだろ、鳥かごがないんだから。こうやって箱にでも入れてないと、逃げちまうだろ!」
 そんなつもりで言ったわけではないのに、ジェットは、自分が揶揄されていると思ったのか、唇をとがらせてハインリヒに突っかかった。
 その唇を、ジェロニモの大きな手が、いきなりふさぐ。
 「鳥、怯える。静かにする。」
 伸びた太い腕が、そっと顔の前に差し出され、ジェットは、真っ赤になって、口を閉じたらしかった。
 珍しく、少し感情の現れた声でそう言ったジェロニモが、軽くジェットをにらんでから、箱の外側をそっと撫でた。
 「鳥、傷つけられない、知ってる。でも、静かにする。今夜、巣箱、つくる。」
 「今夜って、できるのか?」
 思わずあごを引いたハインリヒを、立ち上がりながら見下ろして、ジェロニモが大きくうなずいた。
 確かに、地下には、小さな巣箱をつくるくらいなら、充分な材料と工具は、そろっているはずだけれど、今はもう、夜の9時を過ぎている。
 作業の音よりも、ジェロニモの睡眠時間を気にして、ハインリヒは、思わずジェロニモを見返した。
 ジェロニモは、うっすら微笑んで---箱の中の鳥を、見た時と同じように---、ふたりを残して居間を出て行った。
 「巣箱、かけられるような木、裏庭にあるかな。」
 ジェットが、裏庭に続く、大きな真っ暗な窓を振り返って、小声で言った。
 さあな、とハインリヒが言うと、他には誰もいなくなった居間で、ジェットが、ソファの上に、這い上がってくる。
 膝に頭を乗せて、甘えるように、額をすりつけた。
 「明日、外に逃がしてやれるかな。」
 「ジェロニモが、巣箱をつくってくれれば、箱から出してやれるさ。」
 なぜだかうれしそうに、ジェットが喉を鳴らす。
 その、眼下の赤い髪を撫でながら、
 「朝一番で、巣箱をかけられそうな木を、探しに行けよ。」
 うん、とジェットが、膝の上で、素直にうなずいた。
 箱の中で、かさこそと、小さな音が、聞こえた気がした。


 ジェットに渡すと、何をするかわからないので、ハインリヒは、鳥の入った箱を、自分の部屋へ連れて行った。
 箱のふたの上に、中から持ち上げられないように---そんなことは、ないだろうと思ったけれど---、少し厚めの本を、重し代わりに置いて、それから、箱に向かって、お休み、と小さく言った。
 翌朝、驚いたことに、ハインリヒに言われた通り、いつもより少し早く起き出したジェット---午前中に起き出してくるなど、まずあり得ない---は、朝食もそこそこに裏庭へ出て行った。
 キッチンのカウンターには、すでに、一体いつ頃ベッドへ行ったのか、ジェロニモがつくってくれたらしい巣箱が置いてあり、小さなメモには、巣箱をかけるなら、声を掛けてくれと、記してあった。
 ジェットは、一体どこまで飛んでいるのか、30分置きに戻って来ては、鳥の入った箱を撫で、また外へ出る。
 まるで、鳥たちが、どんな木に、巣をつくりたいと思っているのか、良さそうな木が見つかるたびに、確認でもしているようだった。
 昼食に、フランソワーズのつくってくれたサンドイッチをつまみながら、ジェットが笑顔で戻ってくるのを待ち、2度ほど、箱の中に、砕いたオートミールと、小さくちぎったパンを入れてやった。
 鳥たちはもう、傷つけられることだけはなさそうだと悟ったのか、箱を開けても、上を見上げるだけで、怯えた様子も見せず、箱の中に伸びてくる、無骨な、金属の手にも、不審そうな視線も投げない。
 そう言えば、動物は、あまり人間の外見にはかまわないものなのだなと、改めて思う。
 羽をたたんで、箱の中で、寄り添っている、鳥の親子を見て、ハインリヒは思わず、その鉛色の指を伸ばして、そっと親鳥の頭を撫でてやった。
 親鳥は、目を閉じて、それから、自分に触れた固い指が去ってゆくのを、どこか寂しげに、見送ってくれた。
 「もうすぐ、外に出られる。」
 そう、話しかけて、また目を伏せた鳥を見てから、ハインリヒは、そっと箱のふたを閉めた。
 午後を過ぎて、日がいちばん高くなった頃、ジェロニモが、のそりと居間に現れた。
 わざわざ問うことはしなかったけれど、おそらく、明け方近くまで、巣箱をつくっていたに違いなく、寝坊だと、フランソワーズも、咎めることはしない。
 濃いコーヒーと、サンドイッチで、ジェロニモが、大きな胃を満たしている気配を聞き取っていると、ジェットの、エンジンの音が、かすかに聞こえてきた。
 窓の外を見やって、地上に降り立つ、細長い体が、満面の笑みをたたえて、こちらにやって来るのを見つける。
 ハインリヒは、立ち上がって、裏庭へ続くドアのあるキッチンへ、ゆっくりと足を運んだ。
 「木、見つけた!」
 ドアを開けて、入ってくるなりそう言いながら、今にもまたすぐ、外へ飛び出して行きそうに、床の上で足踏みしている。
 ハインリヒは、まだキッチンのテーブルで、サンドイッチをつまんでいるジェロニモに、ゆっくりと振り返った。
 「巣箱をかけるのに、何がいるかな、ええと・・・ハンマーと、釘と・・・」
 最後のサンドイッチを口に放り込み、きちんと咀嚼して、飲み込んでから、ジェロニモは椅子から立ち上がりながら、
 「いるもの、取ってくる。」
 大きな背中が、また地下へ向かう。
 ジェットに、ジェロニモがつくった巣箱を持たせ、ハインリヒは、ジェロニモが持ってきた、小さな工具箱を持ち、ジェロニモが、鳥の入った箱を抱え上げた。
 そうして3人で、裏庭から外へ出る。
 ジェットは、先頭に立って、ギルモア邸から、少し東に向かって歩き出した。
 「おまえ、よくどの木か、覚えてるな。」
 ジェットの後について、森の中へ入ってゆきながら、ハインリヒは思わず言った。
 「見つけた木のとこから、石落としながら戻って来たんだ。」
 そう言われて、思わず足元に視線を落とす。それでも、どれが、ジェットの落とした石かはわからず、それでも、前をゆくジェットが、地面を見ながら前を進んでいるのが見え、まんざら、冗談を言っているわけではなさそうだと思う。
 どの木かわからなくなれば、どれか適当に選んでもかまわないのだからと思いながら、前をゆくジェットを、素直に追った。
 それにしても、森の中に入れば、どの木も、さして違いはないのに、何を根拠に、その木を選んだのだろうかと、思っていたら、ジェットが、あ、と声を上げて、ようやく足を止めた。
 駆け出す先の、1本の木の根元に、ジェットの上着が置いてあるのが見えた。
 思わず、ジェットを追うのを忘れて、後ろから来たジェロニモに、するりと追い抜かれる。
 「あのバカ、見つからなかったら、上着を失くすつもりだったのか。」
 思わず口にすると、ジェロニモが、振り返り、見下ろしながら、うっすらと笑った。
 「ジェット、見つかる、知ってる。見つからない、ない。」
 軽く首を振られ、いつの間にか、しんがりになってしまった歩調を早めて、ジェロニモの後を追う。
 やって来るふたりに振り返って、ジェットが、顔いっぱいで笑った。
 「な、いい木だろ?」
 ジェットが、幹に手を置き、おそらく、ジェロニモなら、ようやく腕が回るかもしれない、その大きな木を、3人でそろって見上げる。
 他の木との違いは、ハインリヒニはわからないけれど、とりあえずは、わざわざ反論する必要もなく、ジェットに向かってうなずいておく。
 地面に箱を下ろし、ジェロニモも、ジェットと同じように、幹に手を触れ、そっと目を閉じた。
 数瞬、森の中から、音が消えた。
 しんと静まり返ったと、そう思った時には、もう、音は戻って来ていて、ジェロニモが、ジェットに向かって、ああ、いい木だ、という意味のことを言う。
 ジェットはうれしそうに、それに笑い返し、ハインリヒを振り返って、工具箱をよこせと、手で示した。
 渡した工具箱を開け、がちゃがちゃと、ハンマーと釘の入った箱を取り出して、ジェロニモと一緒に、また上を見上げる。
 「どこがいい? あのへんか、それとも、あっちか。」
 ジェットが、腕を伸ばして訊くのに、ジェロニモが視線を動かして、その太い腕を、上に伸ばして、示した。
 「あそこ、太い枝、見える、あそこ。」
 「ああ、あそこか、じゃあ、行ってくる。」
 ふたりで、意見が一致すると、ジェットは、ひとり会話から取り残されているハインリヒには、振り返りもせず、両手に、巣箱と道具を抱えて、なるべく静かに、上へ向かって、飛び始めた。
 ジェロニモの傍に立って、ハインリヒも、上に向かって首を伸ばした。
 胸の前で両腕を組んで、ほんの少し、悔しい気持ちを、噛み殺す。
 ジェットが、大きな枝に乗って、巣箱を、幹に打ちつけ始めたのが、見えた。
 「この木の、何が特別なんだ?」
 ふたりで、上を見上げたままで、尋いた。
 視線を動かさないまま、ジェロニモが答える。
 「この木、強い。この木、動物、たくさん。人、いない。」
 「それがなんで、あいつにわかるんだ。」
 ジェロニモにわかるなら、それは理解できる。けれど、ジェットが、確実に、あの鳥たちの巣をかけるのに、適切な木を選んだのが、ハインリヒニは解せない。
 ハインリヒは、少しだけ肩をすくめた。
 「ジェット、鳥の気持ち、わかる。ジェット、空飛ぶ、だから、わかる。」
 静かに、そう言われて、ハインリヒは、ほんの少しだけ、気圧された。
 ああ、そうなのかと、合点が行って、それをわからなかった自分を、少しだけ、悔しいと思った。
 「あいつも、鳥だからな。放っとくと、勝手に、どこまでも飛んで行っちまう。」
 悔しまぎれに、思わずそう言うと、ジェロニモの横顔が、またかすかに微笑んだ。
 「鳥、飛ぶ。でも、休む、必要。どこかに止まって、休む、必要。止まる場所、ある、だから、飛べる。」
 伸ばしていた首が、痛むふりをして、ハインリヒは、視線を足元に落とした。
 根元に、置いたままの、ジェットの上着が、目に入った。
 あの、ジェットが今かけている、巣箱のように、休める場所があるから、鳥は空に飛んでゆける。
 戻る場所、羽を休める場所があると、知っているから、高く遠く、どこまでも、飛べる。
 ああ、そうかと、そう思って、ちょっとだけ、唇を歪めた。ジェットが夢中な鳥たちに、空を飛べるジェットに、つまらない嫉妬をしていて、そんなことまで、考えの及ばなかった自分に、初めて気づく。
 ジェットが、また静かに下りてきた。
 「じゃあ、鳥、放そうぜ。」
 楽しそうに言うジェットに、ジェロニモが、鳥の入った箱を手渡した。
 そのまままた、箱を抱えて、上へ上がってゆくジェットを下から見送って、地上に縫い止められている自分が、ジェットの、戻って来る場所なのだと、そう思った。
 上で、鳥の鳴く声が聞こえた。
 ジェロニモに笑いかけ、それから、上から、また下りてくる、ジェットの笑顔に、ハインリヒは、優しく微笑み返していた。


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