The Time Alone With You
どうして、わからないんだろうと、ジェットは思った。
こんなに長い間一緒にいて、こんなに何度も膚を合わせて、誰も知らない互いのことを、知り合っていると思うのに、なぜ、ハインリヒは、ジェットのことを、まっすぐに見ようとしないのだろう。
ハインリヒを、見ている。彼のことなら、どんな小さなことも覚えている。知っている。
いつの頃からか、好きだと、口にしなくなった。
時間が経てば、そんなことは当たり前になって、口にもしなくなる。それだけのことだと、思った。
相変わらず、一緒に軽口を叩いて、冗談を笑い合う。
互いが、世界で唯一の生存者であるような、そんな求め方は、もうしないけれど、それでも、空気のような存在なのだと、ふたりで分かり合っている。
ごく自然にそこにあって、色のなければ味も匂いもない、だから、在るとは意識はしない。それでも、そこに在ることを知っている。そこに在るはずだと、いつも思っている。
そんなふうに、ふたりでいたのに。
おまえは、誰にでも好かれるからなと、ハインリヒが言った。
だから、俺だけが、おまえを好きなわけじゃない。俺がいなくても、おまえには、他の誰かがいる。
他の誰か、例えば、イワン、フランソワーズ、ジェロニモ、ピュンマ、ジョー、それとも、もっと他の誰か。
他の、どの誰が、いるというのだろう。
世界に人があふれていても、好きだと思える人間たちは、ごくわずかだというのに。
第一、とジェットは思った。
オレたちは、生身の体じゃない。
オレたちには、オレたちしか、いないだろう。そうじゃないのか?
生身でないことは、選択ではなかった。9人しか仲間がいないということも、選択ではなかった。
それでも、ジェットとハインリヒの間のことは、間違いなく、互いが選んだことだった。
それなのに、どうして、そんなことを言う?
世界中の人間に愛されても、たったひとり、自分が想う相手が、自分を想ってくれないなら、淋しさも悲しさも変わらない。
オレは、アンタが好きなのに。
愛することに臆病で、愛されることを疎んじる。愛を信じないふりをする。いつだって、愛がほしくてほしくて、仕方ないくせに。
アンタはいつも、そんなふうにずるい。
愛を怖がるのは、自分が愛されるに価しない存在だと、心のどこかで思っているからだ。
生身ではない体。鉛色の腕。武器だらけのサイボーグ。破壊のための機械。死神と呼ばれる、人でなし。
そんなことを並べ立てて、愛されない、愛されるべきでない理由を、数え上げる。
愛されるはずはないから、愛されてはいけないから、愛されれば、戸惑う。その想いを、間違いだと決めつける。自分がいかに、愛に関わりのない存在かを、わざと見せつける。
それでも、ジェットは、諦めなかった。
試したいなら、試せばいい。ハインリヒの無意識の拒絶を、はっきりと拒んで、ジェットは精一杯腕を伸ばした。抱き合って何度も、互いの体の暖かさを、必死で伝えようとした。
それでもまだ、ハインリヒは怖がっている。
必要もなく、意味もなく、愛を遠去けようとしている。
ジェットを、まっすぐに見ない。
ジェットの何も、知ろうとしない。
自分を好きだと言うジェットの、外側だけを手元に置いて、ジェットが注ぎ込もうとする、内側の部分は、手の届かないあちら側へ置いたまま、存在すらしないように、無視したままでいる。
ハインリヒは、ジェットのことを、何も知らない。
知ろうとしない、知りたくもない、空っぽのジェットを傍に置いて、それで満足しているふりをする。
それをジェットだと、信じているふりをする。
アンタがほしいのは、オレの形をした人形なのか?
オレにだって、サイボーグにだって、心はあるのに。アンタがほしいのは、心のない、オレの幻なのか?
ひとりの孤独に耐えられないから、ひとりでないと錯覚するために、傍に置ける、人の形をしたぬくもりだけがほしかったのか?
アンタが受け入れてくれるのは、それだけなのか?
アンタのひとりの孤独を癒すために、オレは、ふたりの間の孤独に、耐えなきゃいけないのか?
アンタは、卑怯だ。
愛すれば、愛される。愛し合えば、すべてがハッピーエンドで終わる。何もかも、うまく行くはずだ。そんなおとぎ話を信じるほど、幼稚でも純真でもないけれど、ふたりでそんなことを、一緒に夢見る愚かさを、分け合えるなら、そう悪くはない。
些細なことでいい。何も、大げさなことはいらない。ふたりで、一緒にいるという、こと。
他愛もないことに、一緒に笑い合いたい。小さな喜びも、小さな怒りも、ひとりではなくふたりで、分け合いたい。意味もない言葉を交わして、ひとりごとではなく、会話を楽しみたい。
自分の死---サイボーグに、そんなものはないけれど---を、相手が悲しんでくれるのだと、そう確信したい。
意味も理由もなく、ふたりでいることを、選びたい。
アンタと、一緒に、いたい。
いつかハインリヒは、彼自身を、彼自身として、受け入れられるようになるのだろうか。半機械の、人でなしの疫病神と、彼が称する彼自身を、いつか受け入れられる時は来るのだろうか。
自分を愛さない人間は、誰もことも愛せない。
だからハインリヒは、ジェットを愛せない。愛しているはずなのに、それを素直に受け入れられない。
それがジェットには、よくわかる。
どちらが先だろうかと、ジェットは思った。
ハインリヒが、いつか自分自身を愛せるようになる時と、ジェットが、冷たい拒絶に疲れて果ててしまうのと、どちらが先に、やって来るだろう。
置き去りにされたままの、心が痛む。
その心はいつか、朽ち果てて跡形も失くなる前に、ハインリヒに、抱きしめてもらえるのだろうか。
無限に近く許された、サイボーグの時間でさえ、それは絵空事のように思えた。
おまえには、俺じゃなくても、他の誰かがいる。
でもオレは、アンタがいいんだ。アンタじゃなきゃ、他の誰もいらない。
自分の中の、ハインリヒの幻に、そう言った。
心がまた、すれ違ってゆく。
他の誰も、いらない。ジェットは、小さくつぶやいた。アンタだけがほしい。
つぶやきは、ハインリヒの耳には届かず、薄闇の宙に浮かんで、割れるように消え失せた。
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