ドロップ
キッチンで、ごそごそと音を立てていたジェットが、ばたばたとリビングにやって来て、それから、本を読んでいたハインリヒを指差して、あーっと、大きな声を上げた。
その声を避けるように、思わず本で顔の下半分を隠し、ハインリヒは、事の次第が把握できず、目を白黒させる。
「アンタ、最後のブルーベリー味、食ったな。」
まるで、罪の告発のように、ジェットが、悲痛な声で言う。
頬の内側に入っていた、濃い青紫の、大きなキャンディを、ハインリヒは、思わずがきりと噛み砕きそうになった。
「ドロップの缶の中に残ってた、最後のヤツだったんだぜ。オレ、楽しみに取っといたのに。」
食い物の恨みは恐ろしい。ことに、子ども相手には。
今、おそらく、青紫に染まっているだろう、舌を見せたくなくて、ハインリヒは、しっかりと口を閉じた。
かちんと、まだなめ始めたばかりのドロップが、歯裏に当たって、かわいらしい音を立てる。
ジェットは、まだハインリヒを、鋭く突き出した指先で指し示したまま、赤い髪を逆立てていた。
本を閉じて膝に置き、ハインリヒは、とりあえず、悪かったと謝ることにした。
「おまえが楽しみにしてたなんて、知らなかったんだ。」
こんな大きなキャンディが口の中に入っていると、ひどく喋りにくい。もごもごとこもる発音に焦れながら、できるだけ真剣に謝っているのだと、そう必死で声にこめる。
「今度、新しいのを買って来るから。」
舌を動かすたびに、口の中から、その青紫の固まりが、転がり出そうになる。
思わず口元を押さえると、ジェットが、命令するように、腰を手に当てて、ひどく高圧的に言った。
「じゃあ、それ、返せ。」
まるきり子どもの仕草で、掌を上に向け、さらにえらそうに、ハインリヒに向かって差し出す。
「俺がなめちまったんだぞ、返せるはずないだろう。」
「いいから返せよ。オレのもんだ。」
「どうしろってんだ。」
「舌に乗っけて出せよ、オレが取るから。」
舌を突き出して、それを指差しながら言う。
ジェットの言い草に、ぎょっとしながら、それでも、今さらそんなことを恥ずかしがる間柄でもなく、ハインリヒは、数瞬躊躇した後、舌の真ん中に、もう表面がつるつるになってしまったドロップを乗せて、ジェットの方へ差し出した。
へへっと、うれしそうな顔で、ジェットが鼻先を近づけ、舌を伸ばして、ハインリヒの舌の上からドロップを、自分の口の中に移した。
憮然とした表情で、それでも少しだけ頬は赤らめたまま、無邪気にドロップを口の中で転がすジェットを見て、ハインリヒは、静かな読書に戻るために、また本を開いた。
ジェットは、傍のソファで、こちらが恥ずかしくなるほどの上機嫌で、ドロップをなめている。
ハインリヒは、それを横目でにらむように見てから、後は無視を決め込んだ。
しばらくして、ジェットが、なあ、と小さな声で話しかけてきた。
手近にあったランプでも投げつけてやろうかと思いながら、本から視線を外し、そちらを見る。
「今度は、なんだ。」
読書の邪魔をされた苛立ちを隠さずに、聞き返す。
「アンタも、ほしいか?」
「何が。」
「ドロップ。」
青紫に染まった舌先に、やや小さくなったドロップを乗せて、ハインリヒに見せる。
「人のなめたキャンディを、わざわざ奪い取る趣味は、ない。」
皮肉を込めて、そう返した。
「でもアンタ、ほしいんだろ?」
執拗に、ジェットが、それでも笑みは崩さずに、また言う。
「いらん。」
「遠慮するなよ。一緒に食った方が、うまいぜ。シェアするのは大事だって、ガキの頃に言われなかったか。」
一度、ギルモア博士に頼んで、頭の方の回路のチェックをしてもらおうと、ハインリヒは、心の隅にメモを取った。
ジェットは、そんなハインリヒの屈託には一向に頓着もせず---他人の心の機微を読むことができるのは、大人の証拠だったから---、ずかずかとまたハインリヒの傍に寄ると、いきなり唇を押しつけてきた。
舌先で無理に歯列を割られ、そこに、つるりと甘酸っぱいキャンディが、転がり込んでくる。
絡んだ唾液が甘かったのは、ドロップのせいばかりでは、なかった。
無理矢理に渡されたドロップを、また憮然とした顔でなめ始めると、ジェットが再び、唇を指差す。
「オレの番。」
どうして今日は、右腕のマシンガンに弾を込めてなかったのだろうかと、ハインリヒは、心の底から後悔した。
また、強引にあごを引き寄せられ、ジェットの舌が、つるつると転がるドロップを、ハインリヒの口の中で追う。
「な、一緒に食った方が、うまいだろ?」
かちかちと、戻って来たドロップを噛みながら、ジェットが大きく破顔した。
ハインリヒは、べたべたする唇を、シャツの袖で拭って、迫力もないまま、ジェットをにらんだ。
「なんだよ、またほしいのか。」
ジェットが、にやっと笑って、また唇を近づけてきた。
「なあ、もっと、別のもの、シェアしたくねえ?」
触れそうな息が、甘い。ブルーベリーの匂いがした。
また、かちりと、すっかり小さくなったドロップが、歯に当たる。
互いの唾液に溶かされて、舌の上に、甘い。行き交ううちに、追うのは、キャンディではなく、互いの舌先に変わっていった。
「別のもの?」
ハインリヒが、いじわるく、焦らした。
「こんな、ドロップなんかじゃなくてさ・・・・・・いつもオレら、もっといいもの、シェアしてるだろ?」
「・・・・・・ある意味、あれもキャンディみたいなもんだな。」
自分の言葉のきわどさに気づかないのは、ドロップ交じりの、深い接吻のせいだったのかもしれない。
「なあ、アンタのキャンディ、くれよ。」
ジェットの手が、下に伸びた。
「アンタに、オレの、やるからさ。」
ハインリヒの右腕を取り、似たような場所へ導く。
「・・・・・・アンタの、きっと、もっと甘いぜ。」
吐息まじりに囁きながら、ジェットが、残ったドロップを、がりりと音を立てて噛み砕く。
カラホリハジメさまへ。
リリカルなお題をいただきましたが、こいつには無理でした(爆)。どうして18禁に突入しちゃうかなー。反省しつつ、退散。
そもそも、こいつの24でリリカルって、かなりのムリが・・・(銃殺)。
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