Half & Half



 小高い丘の上だった。
 寒い北風の吹く、周囲に見るものなど取り立ててなく、淋しい場所だった。
 丘から見下ろせるのは、大きな街。光があふれ、この冷たい空気の中に、人々のざわめきが立ち上って来そうな、そんな眺めだった。
 もうすぐ、クリスマスだった。
 買い物のために街に出たいと言ったジェットに付き合って、けれど買い物もそこそこに、ハインリヒは、街から外れたこんなところに、足を運んだ。
 ジェットに抱き上げられて飛んだ上空は、突き刺すほど空気が冷たく、剥き出しにしたままの、機械の掌でジェットにつかまるのを、ハインリヒは、ふとためらった。
 丘から街を見下ろすハインリヒの後ろで、ジェットは、首に巻いた、オレンジ色のマフラーに口元まですっぽりと埋めて、自分の吐く、白い息の行方を、他にすることもなく、目で追っている。
 街の方からあふれてくる明かりのせいで、ハインリヒの、黒いトレンチコート姿は、白く縁取られて、薄闇の中に浮き上がっていた。
 物思いに沈んでいるハインリヒに、話しかける術を、誰も持たない。
 心の内側を、簡単に晒す男でもなく、硬い頬の線と、引き結ばれた唇の線で、その内を読み取ろうとするしかない。
 あまり楽しい物思いでないことだけは、今は確かだったけれど。
 ハインリヒの注意を引こうと、ジェットは、わざと音を立てて、足元の石を蹴った。
 それでもハインヒリの、肩の線さえ動かせず、ジェットは、小さく溜め息をこぼしてから、ようやくゆっくりと、その背中に近づいた。
 「アンタ、一晩中ここにいる気か。」
 不意にハインリヒが、肩を丸めた。
 こんな仕草にも、もう驚くことさえない。長い長い、付き合いだったので。
 「別に、一晩ここにいたからって、凍死するような体でもなし。」
 皮肉なもの言いは、ハインリヒのお得意だった。
 そういう気分なのかと、ジェットは軽く首を振った。
 クリスマスも近い、誰もが浮かれているこんな時に、一体何が原因で、この皮肉屋はこんなふうに、暗い瞳で明るい街を見下ろしているのだろうかと、今さら珍しくもない推理を、こっそりと始める。
 家族、過去、機械のからだ、失ったもの、手に入らないもの、こなごなに砕けた夢。確かに、クリスマスに浮かれる普通の人たちは、そんなものを、思い起こさせる。
 彼らが、当たり前のように享受しているさまざまなものを、ジェットやハインリヒたちは、斜めに見ることしかかなわない。
 生身の人間たちとは、ずれた時間の中にいる彼らにとって、家族や過去はもう、存在しないも同然だった。
 クリスマス、とジェットは思った。
 これから先、あとどのくらいの間なのか---機械として、修復不可能な段階にまで、破損するまで---、どんな時も、クリスマスを祝うのは、9人の仲間とギルモア博士とだけだろう。
 恋人はなく、子どももなく、家族もなく、それゆえに、過去も未来もない。
 クリスマスという日だけが、ぽっかりと浮き上がって、名前だけが他の日と違う、それだけの日になる。
 それでも、生身だった頃を忘れずに、今もクリスマスは、特別な日だった。少なくとも、ジェットにとっては。
 「張々湖が、まだ帰って来ないって、きっと焦れてるぜ。」
 「夕食、すっぽかしちまったからな。」
 少しだけ申しわけなさそうに、ハインリヒが言った。
 「・・・・・・アンタ、またどうせ、考えても仕方ないこと、考えてるんだろ。」
 またマフラーに顔を埋めて、その奥でもごもごと、ジェットは言ってみた。
 ハインリヒがゆっくりと振り返り、不機嫌そうに、ぴくりと唇の端を動かす。
 しばらく、にらみ合うように見つめ合ってから、息を抜くように、ハインリヒの方から、そっと視線を反らした。
 「・・・・・・俺は、無力だな。死神だサイボーグだと言ったところで、出来ることはたかが知れてる。こんな街ひとつ、無傷では守れない。死ぬのはいつも誰かで、俺じゃない。」
 ジェットは、応える言葉を探す間、黙ることにした。
 「誰のためでもない、俺は、俺自身のために闘ってる。それでも、結果として誰かを守るなら、完璧に守りたい。自分を守るために、他の誰かを危険に晒してる自分が、無能に思えるだけさ。」
 「アンタ、半分しかないって、言うタイプだな。」
 今度こそ、ハインリヒは、少しだけ驚いたように、完全にジェットに振り向いた。
 ジェットの言った言葉の意味がわからず、にやにやと笑っているジェットに、怪訝な視線を投げる。
 「コップがあります、水が半分入っています、さて、あなたはどちら? a)まだ半分入ってる、b)半分しか入ってない。」
 からかうようにそう言ったジェットに、ハインリヒは、鼻白んだような表情を浮かべた。
 「アンタはBだな、ハインリヒ。アンタはいつもそうだ、手の中にあるものより、そこにないものを見ちまう。良かったって思うより、ちくしょうって言うタイプだ。」
 「おまえに、心理学の講義を受けるとは思わなかったな。」
 「何とでも言えよ。要は、心の持ち方次第ってことさ。オレは、能天気な楽観主義者さ。まだ半分ある。まだ手の中には、これだけのものがある。オレはまだ大丈夫だ。家族はいない、でも、9人の仲間がいる。アンタも含めて、さ。」
 最後の一言を、大きな笑顔とともに、ジェットは言った。
 うっすらと、朱が、ハインリヒの頬に上がったのが、見えた。
 そうとは気づかずに、ジェットは、まるで聖母のような笑顔を浮かべた。
 「だから、オレたちは、完璧じゃないかもしれない、それでも、あの街があんなに輝いてるのは、オレたちが必死で守ったからだって、そう思えないか。少なくともあそこには、まだ光があるって、そう思えないか。」
 体を半分だけこちらに向けて、ハインリヒが、またジェットを見つめた。
 暗かっただけの瞳に、やわらいだ光が戻ってきたように見えたのは、ジェットの、思い込みだったのだろうか。
 「うらやましいくらいの、楽観主義だな。」
 ハインリヒの、まだ硬い、それでも笑顔に、ジェットは、ほっと肩から力を脱いた。
 「帰ろうぜ。オレ、熱いコーヒーが飲みたい。」
 素直に、ハインリヒが、ジェットの方へ歩いて来る。
 肩を並べながら、ふと思いついて、ジェットはマフラーに触れた。
 「アンタも巻くか?」
 「おまえが寒いだろう。」
 「一緒に、さ。半分ずつで。」
 マフラーを取り、伸ばして、ハインリヒと自分の首に、一緒に巻いた。
 肩をくっつけて、歩きにくそうに、ふたりは歩き出す。くすくすと、男ふたりが、オレンジのマフラーを分け合っている滑稽さに、笑い声を立てながら。
 ふたり分には短いマフラーの端に手を触れ、それからふたりは、互いの肩に手を回した。
 もうすぐ、クリスマスがやって来る。




英潤さまへ。
イメージを、壊してないことだけを祈ります(壊してるなら、またそれなりにセンスの合うことを祈りつつ)。
あ、それから、撃ち殺さないで下さい(泣笑)。


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