- Hell Within -



 空を飛ぶ自分の姿が、化け物じみていることに気づいて、ジェットは、ぎょっとなって、自分の全身を見回した。
 尖った爪の長い、獰猛な獣のような手足、腕の途中から伸びる、長い角、肩の皮膚は鱗状に、見るからに硬そうに見えた。
 空は赤黒く、不吉な色をしている。
 何かを探しているのだと、不意に気づく。
 この、赤い空の上のどこかにいる、誰か。何か。
 頭に浮かんだ言葉があって、突然、体が震えた。
 ハインリヒ。
 それから、こんなに変わり果てた自分の姿を見て、彼が、何と言うのだろうかと、そんなことを思う。
 もしかすると、名乗ってさえ、自分だとはわかってくれないかもしれないとも思った。
 それを、ひどく悲しいと思って、また、自分の体を見下ろす。
 青みがかった肌、爬虫類のような、硬い鱗に覆われ、ぬめぬめと光って見える。触れれば、冷たいのだろうかと、恐る恐る、爪の長い指を伸ばし、そっと触れた。
 振り向けば、長い尾まで生え、どうしてか、胸にはくっきりと赤く、十字が刻まれている。
 化け物に、十字架かと、それがどうしても皮肉としか思えず、それともこれは、神によって、地の底におとされた怪物に刻まれた、罰の印なのだろうか。
 空を飛ぶことは出来るのに、ひとまず安心して、この、奇妙な世界のどこにも、今は姿の見当たらないハインリヒを探すことにする。
 そこから見下ろす地上は、異臭の立ち込める、まるで地獄のような様相で、溶けた大地が赤くマグマを噴き出し、固まった溶岩は、黒々と、煩悶の表情を、そこに浮かび上がらせている。
 ここに、人はいるのだろうかと、何か動くものはないかと、目で探す。
 けれど、続く台地は、緑などどこにもない、延々とどす黒く、あるいは燃える赤にふち取られ、そこの足を下ろせば、あっと言う間に、焼き尽くされてしまいそうに見えた。
 歪んだ形にねじ曲がった、一体以前は、どんな姿だったのか、地上らしきそのものを、下目に眺めて、今は化け物と化したジェットは、地上と空と、見間違えることなどありえない、ハインリヒの姿はないかと、あてもなく空を飛ぶ。
 ここは地獄だろうかと、それならば、人がいないのも道理だと思いながら、なぜ自分が、こんな姿にされてしまったのかと、そんなことを考えた。
 人を殺したからか。
 意外に柔らかな、皮膚を突き破り、吸い込まれてゆく、肉と骨の間。鋭利な刃物---安物の、ナイフだったのに---は、確実に息を止め、命を奪った。
 掌に握った、ナイフの柄の感触。吹き出す汗。鼻を打つ、血の匂い。うめく声。ナイフの刃に絡んだ、引き裂かれた、人のからだ。
 あの時、この手は、血に濡れたのだったろうか。なまぬるく流れ出る血が、ナイフの刃を伝い、柄に流れ、そして、手を、赤く染めたのだったろうか。
 もう、覚えてはいない。覚えているのは、人を殺したのだという事実だけだった。
 だから、地獄へ落とされたのだろうか。化け物の姿で。
 人殺しの償いは、化け物の姿でと、神が計らったのだろうか。こんなことをしなくても、ジェットはもう、とっくに人ではなくなっているのに。
 どれほど時が経ったのか、永遠に続く、歪んだ大地と、赤黒い空の、ずっとずっと先の方に、ついに、人影を見つけた。
 その人影も、宙に浮き、どうやら、大きな羽を持っているのか、空を飛べるらしかった。
 こんな場所で出会うのなら、どういう姿かは予想はついたけれど、同じ地獄に落とされた仲間なら、慰めにはなると、そんなことを思う。
 そうして、次第に近づく人影が、白っぽく輝く肌と、大きな、こうもりのような黒い羽を持っているのだということに気づいて、ジェットは、間合いを計りながら、ゆっくりと空の上で動きを止めた。
 同じように、化け物じみた姿だったけれど、少なくとも、どこかに人間らしさの残骸を、その造形に認めて、ジェットは心のどこかでほっとする。
 攻撃される恐れのなさそうなことを確認してから、顔立ちのはっきり見える距離まで、少しずつ近づいた。
 とがった爪は、ジェットのそれと似ているけれど、ずっと短く、銀色の肌は、人のそれのようで、触れれば、あたたかみさえありそうだった。
 爬虫類じみた自分とは、少し違って、あちらは少なくとも、哺乳類のように見える。
 大きく裂けた口の、血の色の濃さに目を止めてから、ジェットは、ぎょっとなった。
 怪物の、自分の姿を認めた時よりも、大きな驚愕に、今は恐らく、色の変わった瞳を見開き、全身の鱗が、びしりと音を立てたように思う。
 ハインリヒ。
 膚の色よりも、青みがかった銀色の髪は、化け物に姿を変えた今も、触れれば、同じ柔らかさを伝えてきそうに見えた。
 ジェットに比べれば、まだしも人間の匂いを残す姿にも関わらず、全身から発する気は、ジェットのそれよりも、化け物じみている。
 ハインリヒは、まさしく悪魔に見えた。
 正気は保っているだろうかと、恐る恐る、もう少しだけ、近づいた。
 ぎらりと、今はほとんど色の見えない目が、にらむ。
 黒い羽、銀の肌、真っ赤に裂けた、唇。そこから、鋭く尖った、牙が見えた。
 抱きしめたいと思うのに、この、奇妙に長い腕と、長く鋭い爪では、それは抱擁にはなりえない。ジェットは、自分の掌を見下ろして、唇を噛んだ。
 見つめ合って、にらみ合って、互いに動かない。名前を呼ぼうにも、知っている名が、この地で正しい名前なのかどうかすら、ジェットにはわからない。
 親しむ気はなくても、いきなり攻撃する気はないらしいと見て取って、ふたりは宙に浮いたまま、ただ、見つめ合っている。
 空がまた、ひときわ暗黒の色を濃くした。
 ハインリヒが、薄く裂けた唇を、そっと開く。
 羽ばたく羽の音にまぎれて、名を呼ばれたのだと悟るのに数瞬かかったのは、それが、聞いたことのない名だったからだ。
 セーロス。
 唇は、確かにそう音をつくった。
 少なくとも、ハインリヒが、自分を知っているらしいと思って、安堵しながら、その、聞いたこともない名を、ジェットは頭の中で反芻した。
 この化け物の姿に与えられた名前は、まるで何かの呪文のようで、つぶやいているうちに、元の世界に戻れるのかもしれないと、ジェットは思う。
 けれど戻るなら、自分ひとりではなく、今は悪魔の姿をした、ハインリヒも一緒に。
 ひとりでこの地にとどまることも、ひとりで元の世界へ戻ることも、ジェットにはただ、虚しいこととしか思えなかった。
 サイボーグに改造されてしまった自分たちは、もし、その心の内を具現化すれば、こんな姿に成り果てるのだろうか。精一杯、人の姿を保った、機械の体のその内側で、こんな化け物を、身内に飼っているのだろうか。
 これが、自分の本当の姿で、あれが、ハインリヒの本当の姿なのかと、冷たい鱗の下に、ぞわりと粟が立つ。
 自分の醜さを恥じながら、人らしさをまだ、ほのかに保つ、悪魔のハインリヒを見て、つまりは、そういうことだと、思う。
 セーロス。
 ハインリヒが、また呼んだ。
 ハインリヒの、この地での名前を思い出せないまま、ジェットは、思わず腕を伸ばした。
 長い爪が、ハインリヒを傷つけるかと懸念しながらも、耐え切れずに、そちらへ、素速く飛ぼうとした。
 その時。
 赤黒い空が割れ、光があふれ、眩しさに、ジェットは硬い腕で目を覆う。
 空の破片が降りかかり、肩や頭を打つ。
 うねり、ねじれた地面の上に落ちた空のかけらは、さらにこなごなに割れ、あるいは、溶岩に溶け、赤黒い空の下から現れたのは、光り、輝く、果てしもなく白い世界だった。
 あふれた光は、ジェットの目をくらませ、目を覆った長い指のすき間から見えたのは、白く姿を変え、その、光り輝く世界へ飛び立ってゆく、ハインリヒの姿だった。
 こちらへ振り向いて、うっすらと笑ったのは、まぎれもなく、ジェットが覚えている、"人間"のハインリヒで、思わず追いかけようと、腕を伸ばし、飛ぼうとして、いきなり、体が落ちる。
 背中から、墜落してゆく。
 光の中へ消えてゆくハインリヒに、長い、醜い腕を伸ばしたまま、ジェットは、ねじれてのたうつ地上へ、墜落してゆく。
 自分は、あちらへは行けないのだと、そう思って、涙を流しながら、目を閉じた。
 地面に叩きつけられた体が、こなごなに砕けるのを感じながら、それでも、自分を見下ろし、悲しそうに微笑むハインリヒを、遠くに見つめている。


 目覚めて、体を起こし、額に浮いた汗を拭って、それから、自分の両手を眺めた。
 人の形をしている。鱗も、長い爪も、裸の胸に、刻まれた十字もない。
 人だと、思って、息を吐いた。
 「どうした?」
 眠っていなかったのか、ハインリヒが、ジェットの隣りに体を起こして、心配そうに、肩に右手をかける。
 その、マシンガンの右手を見て、そこにも、長い尖った爪のないことを確かめて、ジェットは、思わず泣きそうになった。
 「アンタ、セーロスって、知ってるか?」
 考えるよりも先に、耳によみがえった言葉を、口にする。
 怪訝そうに、ハインリヒが、銀色の眉を寄せる。
 考えをめぐらせるその表情を、じっと見つめて、牙もなければ、唇も裂けていないことを、ひとつびとつ、ジェットはこっそりと確かめた。
 「selos、S、E、L、O、S、それなら、ラテン語で、妬みって意味だな。」
 妬み。
 言葉を受け取って、その意味を考えてから、ああ、そうかと思った。
 妬みが、化け物の自分に、あの地獄で与えられた名前だったのかと、素直に納得する。
 罪を犯すとは、そういうことなのだと、自分を痛めつけるために、心の内で、つぶやいた。
 「セーロスが、どうかしたのか?」
 まだ、ジェットの肩に手をかけたまま、ハインリヒは、心配そうに、ジェットの顔を下から覗き込んでくる。
 悲痛に歪んだ顔を見られたくなくて、ジェットは、肩に乗った手を払うと、いきなりハインリヒに抱きついた。
 人の形のままの、機械の体のぬくもりが、人工皮膚の上に重なる。
 背中に回した両腕に、力を込めて、ジェットは、ハインリヒの肩の上で、固く目を閉じた。
 「何でもない。」
 うそだと、すぐにわかったに違いないのに、ハインリヒは、それ以上は何も訊かず、黙ってジェットの背中を抱き返した。
 あれが、自分の心の内にある風景なのだと、夢を思い出しながら思う。
 そこに、化け物の姿で、ひとりたたずむことが、人を殺した自分に与えられた罰であり、サイボーグに改造され、死ぬことすら許されない今、あの地獄は、ジェットの中で、未来永劫続いてゆく。
 自分を化け物だと、皮肉を交えて言うハインリヒよりも、人の姿を今も保つ自分の方が、実は怪物じみているのだと、それが目には見えないからこそ、ジェットは、心の底から恐怖する。
 これが、罪を犯し、罰を受けるということなのだと、震えながら思った。
 罪びとである自分の、たったひとつの救いなのだと、思いながらまた、ハインリヒを抱く腕に力を込める。
 自分を抱き返してくれるハインリヒの背中を、腕を滑らせて撫でた。そこに、あの、悪魔の黒い羽がないことを確かめたくて、ジェットはいつまでも、ハインリヒの背中を探り続けていた。




 秋月さんの、妖しいデビルマン24あて、のはずが・・・(沈)。
 ムダに時間かけたのに・・・(沈)。イメージぶち壊しで・・・(沈)。
 言い訳ばっかりになってますが・・・あああ、すみませんすみません(1万回リピート)。
 っつーことで、これはともかく、素晴らしいデビルマンな24、どうもどうもありがとうございました!
 異様に盛り上がり中のハインさん誕生日、一緒に遊んでいただけて、光栄です☆
 また何か、(アホな)企画でも発生しましたら、ご一緒していただけたら幸せです。
 ではでは、お疲れさまでした!


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