SAVE YOUR SOUL
知人の、息子の葬式なのだと、グレートは言った。
「知人?」
「ああ、恥ずかしながら、ちょっと深刻な飲み友達だった。」
照れたように、それでも、口元に刷いた悲しそうな色は消せずに、グレートが目を伏せた。
いつの頃からか、正装---というほどのことでもないけれど---して一緒に出かける時は、互いのシャツのボタンをとめ、互いにネクタイを締め合うのが、ならいになっていた。
グレートの、先の細い柔らかな指先が、ふと喉に触れる感触を、不謹慎に楽しみながら、ハインリヒは、自分の、鋼の指先が、グレートの皮膚には当たらないように、細心の注意を払う。
そんなふうにしながら、互いに身なりを整えて、肩を並べて外へ出る。
"ワガハイの、じかの飲み友達だった親父の方は、とっくにアル中でくたばってるんだが・・・息子の方は、酒の一滴も口にしない堅物だった。"
膝の上に両手を組み、そこに視線を落として、周囲に気を使ってか、グレートは、脳内通信装置を使って、ひとり言のように、ハインリヒに話しかけ続ける。
"父親の方があんたと同じくらいとすると、その息子ってのは、一体いくつだ?"
こんな場所でなければ、落ちて丸まった肩を抱き寄せてやれるのにと思いながら、うっかり、現在形の形で質問し返した。
"ワガハイより、今は多分年上になってたんだろうな。心配ないとは思ったが、昔の知り合いなんかがいると、面倒なんでね。"
だから、ハインリヒを、わざわざこんなことに誘ったのだと、言い訳めいた部分は言葉にはせずに、付け加える。
大きな教会の、一番後ろの並びに腰を下ろし、ふたりはそろって、殊勝な表情をややうつむけていた。
ひとつは、あまり顔を見られたくなかったのと、ひとつは、グレートは少なくとも、ほんものの悲しみのために。
グレートよりやや年上としても、まだ充分若い。なぜ死んだのだろうかと、訊こうとして、あまりに無神経だと、自分を止めた。
ほとんど下品なほど真っ黒な、喪服のスーツに身を包み、おそらくこの色のせいで、自分の膚の白さは異様に見えるだろうと思いながら、ハインリヒは、右手を包む、今日は
白い手袋に視線を当てる。
最前列で、家族らしい一団が、一斉にすすり泣きを始めた。
肩を落とす、グレートと同い年くらいに見える女の後ろ姿が、ひどく華奢に見えた。その隣りに坐る、少年ふたりは、故人の息子たちに違いなかった。
家族かと、心の中でひとりごちる。
こんな儀式めいたことさえしてもらえずに、人知れずこの世を去る魂もある。
大きな教会で、こんなに人を集めて、その死を悼んでもらえる、この見知らぬ男は、それなりに幸せなのかもしれないと、ふとグレートを盗み見ながら、ハインリヒは思った。
"おれを愛するものは一人もいない。おれが死んでもあわれむものは一人もいないだろう。"(リア王)
グレートの十八番の、シェイクスピアからの引用を、ついハインリヒは、通信装置でやってしまった。
グレートが顔を上げ、こちらを見る。怪訝そうに、そして、ひどく傷ついた表情で。
しまったと思っても、すでに遅く、こんな場所では言い訳もままならない。ハインリヒは、ふと不機嫌に唇を歪めた。
その時、棺を抱える、身内の男たちが、祭壇へ向かってゆっくりと歩き出した。
教会の中に、さらに高く、すすり泣きが満ちる。
背の高い、胸の厚い男たちに、重々しく担ぎ上げられた大きな棺が、厳かに、通路を渡る。
立ち上がり、棺の方を向いて、ふたりは揃って、沈痛な表情で頭を垂れた。
この教会に墓地はなく、人々は、葬列の印をつけた車で、それぞれに、故人の埋められる墓地へ、埋葬のために去って行く。
グレートとハインリヒは、それをぼんやりと見送った。
「あんた、墓地には行かないのか。」
「ワガハイは、ここで見送るだけにする。」
人の群れから離れ、ひっそりと教会の庭の隅の方で、ふたりは並んで煙草に火をつけた。
「知った顔の中に入るのは、まだまだ苦痛がともなう。」
煙を吐きながら、今はもう、誰に聞かれる怖れもなく、グレートが言った。
「・・・・・・死神をともなって埋葬に立ち会うのは、不謹慎でもある。」
いつもの皮肉笑いに、唇の端をねじ曲げて、ハインリヒが返した。
じっとハインリヒを見返して、グレートは何も言わなかった。
「俺たちが葬式に参列するってのは、猛烈な皮肉だと、思わないか。」
にやりと、また笑う。
「俺たちは死なない。壊れるだけだ。俺たちには、葬式なんてものはない。あるのは多分、ゴミ捨て場か何か、そんなところだ。廃棄されて、永遠に忘れ去られる。埋葬されることもなく、賛美歌もない。家族が泣いて肩を寄せ合うなんて、夢みたいな話だ。」
「・・・・・・今日はまた、ずいぶんと、諧謔嗜好らしいな。」
にこりともせず、グレートが、煙草を足元に落とす。
ハインリヒは、自分が、かすかに腹を立てているのに、気づいていた。
これは、嫉妬だ。
人間として、死んでしまえる男に対する、死を悼んでくれる家族のいる、男に対する、こうしてグレートを悲しませている、男に対する、自分がそうは、決してなれない、普通の男としての、男に対する、これは嫉妬だ。
自分の醜悪さに、ふと吐き気を覚える。
煙草を、遠くへ放り投げて、また、次の煙草に火をつけた。
「かわいそうに、あの男は、天国で、自分の父親にも会えない。」
ふいにぼそりと、グレートが、遠い目をしてそう言った。
「どういう、意味だ。」
一服する間を置いて、ハインリヒは尋いた。
「あの男の父親は、とっくに地獄だ。親子でも、天と地に別れて、死んだ後も、別々だ。」
かわいそうに、とまたグレートは言った。
「俺たちには、天国どころか、地獄すら、門を閉じてる。」
硬い声でそう言ったハインリヒを、またグレートはじっと眺めた。
その指から、わざと優雅な仕草で煙草を取り上げて、それを吸いながら、グレートは、あきらめたような笑みをこぼす。
「地獄は、罪深い者の堕ちるところ。死神どの、おまえさんは、どちらかと言えば、天国のために働く、勤勉な天使ってとこだな。」
不意打ちをくらって、ハインリヒは、思わず頬を染めた。
ようやく呼吸を整えて、ゆっくりとまた、グレートに向かって唇を開く。
「・・・・・・じゃあ、あんたは何だ、グレート。」
にやりと、グレートが笑った。
「ワガハイは、地上の地獄をうろつく、ロクでなしの道化役者さ。古い友の、息子の埋葬に立ち会う度胸さえない、臆病者だ。ワガハイこそ、地獄でさえ門前払いでね。」
つられて、ハインリヒも笑った。
グレートの手から、煙草を取り返し、最後の一服を、深々と胸に吸い込んで、グレートを見つめたまま、ハインリヒはその煙草を後ろに放り投げた。
「罪作りなことをすれば、地獄に行けるのか?」
いいことを思いついたと、眉の辺りに書いてある。それを見て、怪訝な顔をしながら、グレートは、ああ、とうなずいた。
「じゃあ、罪作りなことを、すればいい。」
ハインリヒは、ひどく無邪気な笑顔を浮かべて、グレートの手を取った。
教会の外には、もう人気はなく、教会の中へ戻ってゆくハインリヒに引っ張られて、グレートは、一体何をするつもりだろうかと、目を白黒させる。
祭壇の方へは向かわず、物音ひとつしない教会の中を、左の方へ行き、ハインリヒは、グレートを、告悔室のひとつに連れ込んだ。
厚く重い、ドアの代わりのカーテンをしっかりと閉め、驚くグレートの唇を塞ぐ。
散々舌を絡めた後で、ハインリヒが、耳たぶを、甘噛みしながら、囁いた。
「あんたと一緒なら、どこでも天国だ、グレート。」
牧師が顔を覗かせる、小さな窓は、今はもちろん閉じられたままで、そのすぐ下にある、腰を下ろす場所にグレートを坐らせて、ハインリヒは、床に膝をついた。
"ワガハイの心が、読めると見える、死神どの。"
音と気配を消すために、それから、もう口をきける状態ではなかったので、グレートはまた、通信装置を使って、自分の両脚の間で、ゆるやかに動く銀色の髪に向かって、話しかけた。
"なんだ?"
おかしそうに、こちらも、しゃべるためには口を使えず、通信装置で返してくる。
軽くうめいてから、グレートは、あごを天井に向かってに突き出した。
"その喪服は、おまえさんには似合わない。出かけるときから、脱がせたいと、思ってた。"
"じゃあ、後で全部、脱がせてくれ。"
"・・・・・・もう少し、上品な黒の方が、おまえさんには似合う。"
ハインリヒの舌の動きから、気を反らすために、グレートは頭の中でおしゃべりを続けた。
これも、ひとつの死かもしれないと、訪れる刻を思って、グレートは、ふと考えた。
ほんものの死に見捨てられた、サイボーグになった身に、まだ許されている、小さな死。それへ導いてくれるのが、死神とあだ名される、同じサイボーグの朋友だと言うのは、おもしろい冗談だと、グレートは思う。
ざらりと、地下深く横たえられた棺の上に、泥の落ちる音を、ふたりはその時同時に聞いた。
お題をいただきました星野雫さま、それからいつも如く、ネタ提供サンクスですのコッペイさま、引き取ってやって下さいませ、もし、よろしかったら。
つーか、いい加減、自分の脳みその腐り具合に、愛想が尽きてきました。
後は煮るなと焼くなと、地獄に送るなと、どうぞお好きに(泣笑)。
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