− 遠 雷 −



 「雷だ。」
 ジェットが体を起こし、カーテンを引き忘れた、窓の方を見る。
 またその瞬間、ぴかりと空に光が一条走り、ジェットは思わず目の上に掌をかざして、目を細めた。
 「遠いさ。落ちるとしたら、ずいぶん向こうだ。」
 ハインリヒが、腹這いになって、サイドテーブルの煙草に手を伸ばす。
 「ああ、起こしちまったか、アンタ。」
 「別に。何となく、眠れないってこともある。」
 煙草を吸い始めたハインリヒを見て、ジェットはまた、窓の方へ視線を戻した。
 「雨になるかな。それとも、嵐かな。」
 「さあな、どっちにせよ、煙草を吸うために、外へ出る気分じゃない。」
 煙草を持った手で頭を支え、ハインリヒは、ジェットに向かって、体を横向きに変えた。
 部屋の中、ベッドの中、トイレの中、研究室の中、ギルモア邸の、ありとあらゆる場所は、禁煙になっていた。例外は、ギルモア博士だけで、他の、喫煙者のメンバーたちは、全員、主婦であり、この大所帯の世帯主であるフランソワーズから、厳しく禁煙を言い渡されていた。
 それでも、こんな夜には、けだるく、体をベッドに投げ出して、煙草をくゆらしたくなる。
 闇の中に、光が走る。その間に、白く透けた、煙が流れる。
 かぎ慣れた、ハインリヒの煙草の匂いに、ジェットは鼻を鳴らした。
 光に部屋が一瞬照らされて、それから、かなり経ってから、どこか遠くで、ゴロゴロと音がした。
 「アンタの、一本くれよ。」
 部屋に煙草を置いたまま、ここに忍んで来てしまったから、わざわざ部屋に戻る気にもならず、ジェットは、ハインリヒの銀の髪に手を伸ばしながら、そう訊いた。
 「勝手に取れよ。」
 冷たいほど素っ気なく言うと、ハインリヒは、自分の肩越しに、視線を投げる。
 わざと、触れるほど近く、ハインリヒの体越しに、ジェットはサイドテーブルに向かって腕を伸ばした。
 触れれば、そうとわかる、人工の皮膚。剥き出しになった機械の部分を、遠慮もなく晒せるのは、こんな時だけだ。
 それでも、昼間に近い明るさで、裸身を晒して膚を重ねるのには、まだ互いにためらいがある。
 くわえた煙草の先を、ジェットはハインリヒに向かって突き出した。
 「ライターが、あるだろ。」
 「めんどくせえ。」
 「クソガキ。」
 憎まれ口を叩き合いながら、まるで接吻のように、煙草の先を、触れ合わせる。互いに、一緒に息を吸い込む。濃い闇の中で、ぼうっと、大きくなった火が、ふたりの顔を照らした。
 また、雷が鳴った。
 それに振り向きながら、ジェットがまた、目を細める。
 「嵐かな。」
 そう言われて、ハインリヒも、窓の外に視線を投げた。
 ふたりで、そろって無言で、窓の向こうの、時折光の走る闇を眺めながら、夜の初めに分け合った熱のことなど忘れたように、煙草の煙を漂わせている。
 外は嵐の気配に押し包まれ、ここでふたりは、まるで守り合うように、シーツの下に、機械の体を包んでいる。
 膚を重ねる時だけは熱く、それ以外の時は、体温さえない、体だったから。
 「嵐なら、そんな時に空を飛ぶのも、オツかな。」
 ジェットが、くすくすと笑いながら言った。
 また、触れるほど近くに腕を伸ばし、ハインリヒの体越しに、煙草の灰を灰皿に落とす。
 「アンタも、一緒に、さ。」
 耳元で、まだ、熱さの続きのように、甘くジェットが囁いた。
 一瞬、息が触れるほど近くで見つめ合ってから、ふん、とハインリヒが鼻先で笑った。
 「やめとけ。俺と一緒だと、落雷の心配をする羽目になる。」
 「絶縁処理、してあるだろ、アンタ。」
 「してあっても、おまえとは、機械の量が違う。やめとけ、俺と心中なんかする羽目になったら、死んでも浮かばれん。」
 「アンタと心中なら、サイコーだけどなあ。」
 「黙れ、クソガキ。」
 一緒に過ごした後には、必ず、いつもより憎まれ口が多くなる。まるで、そうすることで、ふと湧いてくる優しい気持ちを、消し去ろうとするかのように。
 これは恋ではないと、そんなものではないのだと、口で言いながら、その冷たい機械の腕は、持ち主の唇を、やすやすと裏切る。
 素直じゃねえよな、おっさん。
 心の中でひとりごちて、かたくなな態度を必死で持ちこたえようとする、年上の友人を、ジェットは聞こえないようにこっそりと笑った。
 煙草をもみ消して、ジェットに背中を向けたまま、ハインリヒが低く言った。
 「ほんものの嵐に、わざわざ立ち向かう必要はないさ。俺たちはどうせ、いつも嵐の真っ只中だ。」
 そのまま、シーツを肩まで引き上げ、もう眠ってしまうポーズを取る。
 ジェットはまだ、窓の外を見ていた。
 気のせいか、雷の音は、少しずつ、こちらへ近づいて来るように聞こえる。
 どこか、近くへ落ちるかもと思ってから、ジェットは、ハインリヒの、硬い肩の線を見下ろした。
 長い間の、自然との闘いの果てに、自分たちという、機械の体のサイボーグを生み出した人間の科学の愚かさを、ふとジェットは思った。
 空を飛べる自分と、破壊のための武器を抱えたハインリヒと。
 人間らしさを失ったその代わりに、得たものは何だったのだろう。
 生身の女と、普通に交わることが出来ずに、今は、互いに手を伸ばし合う。慰め合うように。
 選んだわけではない生き方を、それでも、受け止めて、受け入れるしかなく。
 それでも、とジェットは、重ねて思った。
 オレは、アンタに出逢えて、良かった。
 手を伸ばし、するりと指先を、シーツの下に滑り込ませた。
 触れる、機械の腕。冷たく硬い。それでも、ジェットを抱きしめる時は、優しい。
 また剥き出しにした肩に口づけると、ハインリヒが、眠そうなふりで首を曲げて来た。
 「なんだ。」
 「別に。また、ヤリたくなっただけさ。」
 言いながら、手を滑らせ、腰を抱く。
 ハインリヒは、何も言わずに、体をジェットの方へ向け直し、両腕を、その背に回した。
 唇を重ねる前に、ジェットが訊いた。
 「今度はアンタがやる? それともオレ?」
 「・・・・・・どっちでも好きにしろ、クソガキ。」
 ふたりで一緒にくすくす笑いを重ねながら、また、音のない夜の底に、ひっそりと沈み込んでゆく。
 窓の外には光が走り、音は次第に、大きく近くなっていった。
 たとえ嵐の只中にいたとしても、ふたりで抱き合う空間だけは、まるで安全地帯のように、そこでだけは、争いと闘いの毎日を、忘れることができる。
 嵐が来る、と、遠く雷の音を聞きながら、ジェットは思った。




 最初のメモの段階では、ふたりとも防護服を着て、外にいました。なのにどうして、書き上がると、裸でベッドになっちゃったんでしょう。永遠のナゾです(殺)。
 すみませんを、飽きるほど繰り返しつつ、退場。でも、アンコールと言うか、もう1コあるんですよね・・・まだキャンセルできますが?(銃殺刑)
 地獄へ転送して下さいませ、真名さま。


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