冬枯れ
夏の短いこの街では、冬は、10月にはここへやって来る。
短い春の後を、さらに短い夏が追い、ああ、秋だなと空を見上げたその瞬間、ここに住む人間たちは、すでに冬将軍の訪れを予感する。
ジェットは、雪が降るかもしれないと言った天気予報のことを思い出しながら、ぶるりと肩を震わせた。
「冬用のブーツがいるな、こんなんじゃ、外も歩けなくなる。」
歩きながらスニーカーの片足を持ち上げ、ジェットは唇をとがらせて見せた。
「ニューヨークだって、寒いだろう。」
スタジャンの下は、まだ薄いTシャツ一枚のジェットとは対照的に、ハインリヒはもう---もっとも、いつもどんな時も、服装に大して変化はない---長いコートを羽織って、袖の長いタートルネックのセーターをしっかり着込んでいる。
「寒いさ、でも、こんなに早く冬は来ない。」
もう、見上げる木々に葉はなく、重く暗く垂れ込めた空に、白や茶色の裸の枝を、寒々と伸ばしている。
殺風景な、心の中まで凍りつきそうな光景だった。
「アンタが、こんなところでオレと暮らそうなんて、やっと合点が行ったよ。」
寒そうに首をすくめるジェットを、ハインリヒが、歩く足は止めずに振り返る。
「なんだ?」
「こんなところで一冬ひとりで過ごしたら、冬眠中のクマだって起こして友達になりたくなるに決まってる。」
ハインリヒが、声を立てて笑った。
街中を歩く、この街の人間たちは、もう冬の姿に身を包み、それでも、寒さのわりにはまだ身支度は軽いように見えた。
「寒さなんて、慣れの問題だ。」
「アンタはそうだろうよ、でもオレはごめんだね。」
ジェットが、唇をとがらせて見せる。肩をすくめ、ポケットから取り出した両手に、わざとらしく、白い息を大きく吹きかけた。
「家に戻ったら、冬支度のリストを作った方がいい。雪用のブーツと、暖かいコートと、手袋と、どうせ一通り揃えた方がいいんだろう?」
からかうように、ハインリヒは言った。
ジェットがまた、唇を突き出した。
街の外れで、春や夏の間にはよく見かけていた、うさぎや鹿、オポッサムと呼ばれる、大きく太ったねずみのような動物や、あらいぐまたちは、もう、きれいに姿を消してしまっている。見かけるのは、一年中あちこちを駆け回っているらしい、灰色がかった茶色の、人間を恐れないリスたちばかりだった。
確かに、ニューヨークとは違う、とハインリヒは、心の中でひとりごちた。
ドイツの、東ベルリンとも、もちろん違う。
世界の中心である、アメリカの隣国でありながら、人口も少なく、国土の半分以上は冬の厳しい場所ばかりの、大きな北の国。辺境の地と言う印象だったけれど、この国の人間にそれを言うには、少しばかりの勇気がいる。
世界の中心からは、政治的にも経済的にも外れているせいなのか、この国の人間たちは、ひどく素朴で、奇妙に純真だった。
それでも、ここにひとりで住もうとは、思わない。
まさか、年下の朋友---というべきなのだろうか---が、一緒に来ないかと言って、素直にうなずくとは思ってもいなかったのに。
彼は、ハインリヒの申し出を、信じられないと言いたげな表情で受け止めてから、しっかりと、はっきりとうなずいた。
今は、自分より3歩前を歩き始めた、鮮やかな赤いスタジャンの背中を、ハインリヒは、首を縮めて見つめる。
借りている、郊外のコテージの周囲には、ほとんど人気もなく、夏の間は、さまざまな動物が、人の気配を珍しがって近づいて来た。そんな彼らの前では、ふたりの間のことを隠す必要などもちろんなく、サイボーグに改造された体を晒すことを、ためらう必要もなかった。
こうして街に出て、人込みにまぎれると、久しく、自分たちが人間なのだということを思い出す。
気持ちだけは、動物に近く、ふたりきりで暮らしているので。
「もっとも、ここの冬がいやなら、どこでも好きなところへ行けばいい。別に、ここに俺と一緒にいる必要はないんだ。」
心にもないことだった。それでも、ふとしたはずみに、いつも思うことでもあった。
ジェットが足を止め、体を半分こちらに向けて、ひどく静かにハインリヒを見つめた。
うそつき、と、淡い緑の瞳の中に、文字が浮かぶ。
「オレを追い出して、冬眠中のクマと一緒に暮らす気か?」
「クマは、食器を汚さないし、部屋を散らかさないから、その方が、いいかもしれない。」
「・・・・・・でもクマは、アンタと暖炉の前で、紅茶を一緒に飲みながら、本の話になんか、付き合ってくれない。」
一拍黙った後、ハインリヒは、表情も声の調子も変えずに、言葉の後を引き取った。
「そういう、考え方も、ある。」
どうだ、と言いたげに、ジェットが大きく肩をすくめ、両の掌を上にして、ほら、という仕草をする。
「それに、クマと一緒に眠れるほど、あのベッドは大きくない。ここの冬の夜は、きっと寒いぜ。」
それがいちばん重要なことだと、いたずらっぽい笑みを浮かべて、ジェットが微笑みかけた。
ハインリヒは、うっすらと笑って、ジェットに応えた。
冬の夜は長く、静かで、ひとりはあまりに淋しいかもしれない。
その淋しさに、耐えられないはずはなかったけれど、無理をしたいとは思わなかった。
これ以上孤独になる必要は、ないような気がしたので。
ひとりで逝こうとしたのに、別に深い意味はなかった。ただ成り行きで、死んでもいいと、そう思っただけだった。
宇宙の片隅で、自分がひとり消えたところで、世界には何の変化もない。
それでも、何の気まぐれか、こうして自分のいるべき場所へ戻って来て、ちっぽけな自分が、それでも誰かの心の中の大きな部分を占めているのだと、それを目の当たりにして、ハインリヒは、死のうと思ったことを、ほんの少しだけ悔いた。
悪かったと、決して口にはしなかったけれど、それでも、自分に向かって伸びてきた長い腕の暖かさの中で、ハインリヒは、何度もここが自分の場所なのだと、そう思った。
抱き合って一緒に眠る口実に、この国の冬は、長さも厳しさも、ちょうどいいのかもしれない。
冷たい風が、吹いた。
ジェットが首を縮め、思わずスタジャンの前を、両手を組んで閉じる。
「買い物すませて、早く帰ろうぜ。」
ジェットが、言った。
引き寄せられるように、また足を前に踏み出す。
するりと肩を並べて、また一緒に歩き出す。
枯れた枝々が、北風に揺れ、やせた体を互いに突き合わせ、寒々とした光景に、さらに冷たい印象を加える。赤々と炎の上がる暖炉の前で毛布にくるまって、一緒に飲む紅茶の暖かさが、不意に恋しくなる。
腕を伸ばし、互いに確かめ合う、確かに存在する体温なら、いっそう恋しい。
この冬枯れの景色の中で、暖かな肩を抱き寄せられないのを、ハインリヒは残念に思った。
横を歩くジェットの、線の細い首筋が、ひどく寒そうに見える。
「毛糸を、買って帰ろう。」
いきなり、そんなことを口にした。
「毛糸?」
眉を寄せて、ジェットがまたいっそう、首を縮める。
「ああ、マフラーでも、編もう。」
「アンタが編むのか?」
心底驚いたように、ジェットが緑の瞳を大きく見開いた。
「おまえが編むのか?」
「オレが編み物なんか、やるわけないだろう。」
「だったらいい、俺が編む。文句を言うな。」
「・・・・・・アンタが編み物やるなんて、こんな長く一緒にいて、知らなかった。」
「さあな、手が、覚えてるかな。」
苦笑いをもらして、ハインリヒは、ポケットから取り出した、今は黒の革手袋に包まれている右手を見る。
時折、夜になれば、ジェットの薄い膚に触れる掌は、冷たい金属だった。
鉛色の指先に、真っ赤な毛糸を絡めるところを想像して、ハインリヒはひとりで笑いをもらした。
「だったら、長いの編んでくれよ。オレたちの、防護服のマフラーくらいに、長く。」
「そんな長いの、どうするんだ?」
ジェットが、顔いっぱいで笑った。
「アンタと一緒に巻くんだよ。ふたりで一緒さ。」
「・・・・・・何を、ばかなことを。」
唇を曲げて、反対の意思を示しながら、ハインリヒは、真っ赤なマフラーを一緒に巻いて、肩をくっつけるようにして、ジェットと一緒に歩いている自分の姿を思い浮かべる。
街中では無理でも、動物くらいしかいないところでなら、リスやウサギが、その冗談を笑ってくれるかもしれないと、そう思った。
長い冬の夜に、雪に閉じ込められて、暖かな暖炉の前で、ジェットの傍で、毛糸を編む。ふたりで一緒に巻くつもりの、長いマフラーを。
悪くない冬の過ごし方だと、口には出さずに思う。
ハインリヒが編むと言ったマフラーについて、ジェットがしゃべり続けるのを、まるで音楽のように聞きながら、ハインリヒは、夏になったら、ジェットに頼んで、一緒に空を飛んでもらおうと思った。
上空から眺める、街と、その外を囲む、丘や森。その頃にはまた、青々と繁る緑を見ることができる。
ふたりで。
ふたりで眺めるなら、こんな淋しい冬枯れの景色すら、どこかいとしいもののように思える。
灰色の光景に、鮮やかな色を添えるジェットの輪郭を、まるで絵画のそれのように眺めながら、冷たい北風に向かって、ハインリヒは高く頭を上げ、大きく胸を張った。
真魚さまへ。
もう、言い訳はいたしません。編み物やるハインさんが書きたかっただけです。超銀、見てないくせに、挑戦してみました。撃沈です。人さまのリクエストで遊ぶこいつは、サイテーやろーです。はい、す
いません。
1000回頭を下げながら、退場!
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