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一人称 - 2002/07/09(Tue)
 いわゆる物を書き出してから、以来わたし/私という一人称は、公の場等で仕方ない限り、使ったことがない。冗談ではあるけど、ワタクシ、みたいな。
 2年くらい僕、を使って、それから、こいつになった。
 僕は、もちろん親が嫌がったこと嫌がったこと。一緒にいる時に使うと、人前だろうとなんだろうと、頭をハタかれた。
 地元では、それでもうち、という一人称があるので、そこでは今でもうち、と自分のことを言う。特に親の前では(笑)。
 僕を使うのをやめた時のことを、今も覚えてる。ある日突然、僕が、自分に似合わないと思った。思ったら、もう変えないと1分も過ごせなかった。
 ここらの、心理的な推移は、よく自分でもわからない。
 強いて言うなら、制服で黒か紺しか着たことがなくて、学校が私服になってようやく緑も着れることに気付いたのと、似てるかもしれない。
 ここらは、つまりは物書きの下らない言葉に対するこだわりなんだろうと、思う。言葉と自我は、分かち難く絡み合ってて、似合わない語彙を使うほど、恥ずかしいことはないので。もちろん、勝手なこちらの思い込みだけだけど。
 こいつになってから、もう随分経つ。カナダに来る前から使ってたから、こいつはもう、僕だった頃の自分を、実はあんまりよく覚えてない。
 生意気で、厚顔無恥なガキ、だったことは確かだけど(大笑)。破壊的に無知で無恥だったよな。目の前にいたら殴り倒したいタイプの。
 まあ、こいつの前に少しの間だけ、自分ってのを使って、それから、こいつになった。記憶が確かなら。
 どこからこの、こいつって、世にも奇妙な一人称(本来は、一人称ですらない)が出て来たのか、よくわからない。本人は、これほどこいつにお似合いの、わけのわかんない一人称もないんじゃないかと、勝手に自画自賛しまくってる。
 初めて会う人には、いつも必ず、自分のこと、そう呼んでるんです、と説明がいるのはメンドくさいけど、ネットでのお付き合いは文字上なので、言葉で語るよりも説明は簡単にすむ。ありがたい。
 まあ、もっとも、ネットで付き合ってる人たちって、ほとんどが元からの友達だし、今さらこいつの一人称について説明のいる間柄でもなし。
 他の人たちって、こういうことにはこだわらないんだろうか?
 こいつは、けっこう、名前を呼ばれるのも、漢字で呼ばれてるとかひらがなとかカタカナとか、けっこういちいち認識してるんだけど。不思議なことに、こいつを漢字で呼ぶのは、今のところうちの親だけだったりする。教師とかは、漢字で名字を呼んでたのかなあ。覚えてないや。
 友達の場合は、ほぼ100%ひらがな。本名にせよ、PNにせよ、ひらがな。どうしてだろう?
 今は、名前は全部アルファベットで呼ばれる。はっきり言って、気持ち悪い。そんなのこいつの名前じゃないやい、って言えるもんなら言いたいけど、まあ、仕方ないやね。
 外国語で暮らす人間のジレンマだろうなあ。
 ひとつ便利なのは、一人称が男だろうと女だろうと"I"しかないので、こいつみたいに性別の錯綜してる人間には、いちいち考えなくていいので、ラク。
 その代わり、一人称によって感覚としてわかる人となり、ってのを読む楽しみはないけどさ。
 だからこそ、英語の人たちって、男と女ってのを、別のとこで主張/強調しなきゃいけないんだろうけどね。それもまた、メンドくさいよね。
 男と女の間を、模索してる人が、こいつはけっこう好きだったりする。共感できるからだろうな。
 こいつは男じゃないから、割と何をしても無視されるので、あんまり踏みつけにされる心配もなく自分でいられるけど、男に生まれて性別を模索してる人たちは、大変らしい。ゲイなんだって言えば、それはそれで簡単にすむのに、ゲイなわけではなくて、ただ男とも女とも、はっきり自分を区別できないだけなんだって、なかなか世間には理解されないらしい。
 男と女っていう区別をして、初めて話の始まる世界の中で、そのどちらでもない、ってのは、今のところ通用しない方が圧倒的に多い。生物学的には男で、精神的には女、とか、その逆とか、両方とか、何でもいいじゃん、なんてこいつは割りと簡単に言っちゃうけど、そうも行かないんだろうなあ、実際は。
 恋愛する相手見つけるのも、大変だろうしね。だからこいつは、女性に片思いして、2次元の異性愛に走る、と(笑)。もっとも、こいつは恋愛する時に精神性は多分に男なので、女性に恋してる方が、実は異性愛なんだけどさ。ややこしい?
 こいつにとっての一人称が、男でも女でもない自分に合うものでないと困るので、僕(これまた下らないけど、ぼくでも、ボクでもない)ってのは、少々男性(おとこせい)が強過ぎる。オレなんて、絶対ムリ(笑)。
 かと言って、アタシと言えるほど女性的に可愛らしいわけでもなく、わたし/私と言えるほど、女性的に大人でもなく、だから、精神分裂症的な、こいつって一人称が気に入ってるのかもしれない。
 いつか、これもまた、似合わないって思う日が来るんだろうか。そうしたら、今度は一体何になるんだろう。
 
追悼その6 - 2002/07/09(Tue)
 Layneに遭った。テレビで。歌とビデオのクリップと、素顔の映像と、死亡のニュース。
 丸々3ヶ月。考えて見れば、今まで全然彼に遭わなかったのが、不思議なくらい。
 再放送の時間探して、また見ちゃった。自虐的。
 Layneがもう、この世にいないと、何より感じるのは、"1967-2002"っていう、数字の並びを見る時。彼がそこで終わったのを、まざまざと自覚する。
 また、コリもせずに、泣いた。
 彼が、ひとりで死んだのを、悲しいと思う。彼が望んだことかもしれないから、それはそれでいいんだと思いながら、同時に、やっぱり、それは淋しいと思う。
 Layneは誰かを愛してたんだろうか? Layneは誰かに愛されてたんだろうか? 
 多分、答えは、"NO"だろう。悲しいけど。
 愛されてはいたろうけどさ。もっとも、La;yneの愛されたいやり方ではなかったろうけど。
 それでも、幸せなこともあったよね、きっと。

 痛いよ、Layne。淋しいよ。あーたがここにいないから。
 あーたが、そこで幸せであること以外、望んじゃいけないんだろうけど、それでもわがままで、もう一度だけでも、あーたの声が聞きたかったな、と思う。もう、聞けないから、そう思う。
 せめて、俺はここで幸せだぜってメッセージだけでも、送ってくれないかなあ(苦笑)。
 あの時、大丈夫?って訊いたこいつに、おまえが俺だぜって、歌うように言ったのは、一体どういう意味だったの? あーたも、こいつと同じように、感じてたのかな。もしかして。
 いつか、ひとりだったんだよね。以前、どこかで、ひとりだったんだよね。一緒にいたんだよね、ひとりで。
 同じことを感じて、同じことを経験して、同じことを愛して、今回は別々にいたけどさ、でも一緒だったよね。いつも、一緒だったよね。
 だから、痛い、こんなにも。

 愛してる、そういう陳腐な言い方しかできないのが悔しいけど、それしか言えない。
 あーたが先に逝ってしまったのを、正直ずるいと思うよ。でも、仕方ないね。心中は気にならないけど、薬で死ぬのは、こいつのやり方では、多分ないから。
 また会えるかなあ。いつかどこかで。今度はまた、ひとりになれるかなあ。会いたいよ。


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