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さっきまで、けっこう良い日だったけど・・・ - 2003/02/08(Sat)
 自分のことをそれなりにわかってて、たとえば、誰かに、醜いだの能なしだの罵られたところで、そのどれも、あんまり正確な描写じゃないとわかってても、それでもやっぱり、傷つくことを止められない。
 自分を、大事にしてくれるはずの人に、こいつがどんなに、醜くて、魅力がなくて、人間として失格か、怒鳴り散らされれば、それはそれなりに、やっぱり傷つく。
 一言一言が、実はこいつに対してではなく、その人は、自分自身のことを言ってるんだとわかってても、やっぱり傷つく。
 自分が美人ではないこと、むしろ、比較的醜い部類に入ること、性的に魅力的では絶対にないこと、家事は嫌いだし、下手だし、感謝されない、敬意を払われないことを、強制的にやらされるのが大嫌いなこと、そういう点で、こいつはいわゆる男と一緒にいることには、全然向いてない。
 無理をしてるんだろうとは、思う。
 おそらく、それでも他の男と一緒にいることを考えれば、まだマシなのかもしれないし、まだ気楽にやってる方だろうと思う。
 恵まれてるんだろうと、思う。
 それでも、毎日新聞をめくれば、女の人たちが、彼氏だのダンナだの、友達だのに殺されてる記事が見つかるここでは、路上で浮浪者をやるのも、家でじっとしてるのも、危険という点には、あまり変わりがなかったりする。
 誰に、どこで殺されるか、っていうだけの違い。
 見知らぬ他人に、路上で殺されるのと、家の中で、自分を大事にしてくれるはずの人に殺されるのと、どちらがどれくらい、精神的に苦しいんだろう。
 ひとつ確実なのは、そうしたことが起こったところで、あの人は、裁判で、素面で、正気で、こいつが挑発したんだって、真顔で言うに違いないってことだったりして。
 殺されること自体は、別に怖くも何ともない(おそらくそれは、こうして口にはしても、起こらない確信があるからだろうけど)けれど、あの人が、それに対して、おそらく罪悪感を抱かずに、むしろこいつを責めるだろうってことが、見えることの方が、怖い。
 すべてを、こいつのせいにされても、困る。
 すべてが、こいつのせいじゃないってわかってるから、困る。
 わかってるこいつに、彼はまた腹が立つらしい。
 怒鳴られても、怯えもせずに(もう、慣れた)、ごめんなさいも言わずに、ただ、平然と、黙ったまま、彼の目をじっと見返すのに、彼は耐えられない。自分が、間違ったことを、こいつに向かって言ってるんだって、わかってるから。
 必死にこいつを傷つけようとする。傷つけて、踏みつけにして、おとしめて、蔑んで、自分よりも、価値の低い存在なんだって、こいつに納得させようとする。
 残念ながら、こいつは、自分の価値は自覚してるので、彼が何を言おうと、ただ黙って、見返すだけ。
 醜いと言われてもとりあえず平気だし、人間失格だって言われても、痛くはない。おそらくそれは、こいつが彼のそういう部分に対して、敬意を抱けないからだと思う。
 たとえば、片思い中の彼女に、何かそんなことを言われれば、こいつは真剣に悩むだろうし、本気で傷つきもすると思う。でも、彼に何を言われれようと、こいつの核の部分は傷つかない。
 こいつの、コアの部分を傷つけるには、彼は卑小すぎるし、あまりにも浅薄すぎる。
 こいつにとっては、おそらく社会勉強的な意味合いの彼は、観察する対象であって、自分の中に踏み込ませる対象ではない。
 殴るなら殴ればいいし、殺したいなら、殺せばいい。こいつが死体になって、初めて、人を傷つけるってのがどんなことか、彼は自覚するんだろう、きっと。
 でも、その後で必ず、自分は悪くない論法を振りかざすんだろうなあ。
 自分は悪くない。何があっても、自分だけは悪くない。悪いのは、いつも他の誰か。たとえば、こいつ、彼の母親、彼の昔の奥さんたち、彼の子どもたち、彼の姉妹、彼の父親、彼の・・・・なんでもいいや。
 彼と一緒にいるのは、もしかすると、一種の、緩慢な自殺なのかもしれない。
 こいつが果たしたくてまだ果たせない、自分をこの世から抹消したいっていう気持ちが、人を傷つける度胸はないくせに、それを悪いことだとは思ってない彼に、縛りつけてるのかもしれない。
 いつか、殺してくれるだろうかって、そう思いながら、一緒にいるのかもしれない。
 でもね、こいつが欲しいのは、こいつが死にたい時に、殺してくれるくらいに、こいつを愛してくれる誰かであって、こいつを殺したいから殺したい誰かではない。
 彼が欲しいのは、彼が、まとな人間だって誤解するために、踏みつけにできる誰か。
 でもこいつは、彼の罪悪感と、自己嫌悪を助長するだけらしい。
 こいつがいかに醜い人間か、駄目な人間か、救いようのない人間かを、繰り返し繰り返し告げながら、それはつまり、彼自身のことだって、どこかで彼はわかってるんだろうか。
 何を言われても、ただじっと見つめ返すだけのこいつから、いたたまれないふうに、目をそらすのは、いつもあっち。 
 こいつが、心の中を見透かしてるのに、彼は耐えられない。
 こいつなんかより、よっぽど小心な、気の弱い人だから。でも、その事実が受け入れられない。
 自分を、こうだと認めてしまえば、楽になれる。負け犬だろうと敗残者だろうと、人間失格だろうと愚かだろうと、軽蔑を込めてではなく、ただ、人生の事実として、自分が何者であるかを受け入れれば、ずいぶん肩の荷が下りるのに。
 自分が、醜くて、卑小で、身勝手で、凡庸で、無能で、基本的には、ほとんど取柄のない人間だって、認めちゃえば、楽になるのに。
 世界の中で、自分の存在なんて、海に落ちた雨粒ほどの影響すらないって、自覚すれば、楽になるのに。
 わたしは愚か者ですが、それが何か?って、てれって言える程度に、開き直れば楽になるのに。
 世界が受け入れてくれるのを、ただ坐って望むより、歩いて、受け入れてくれる世界を探したい。その世界を、大事にしたい。自分を嫌いだという人に、わざわざ媚を売るよりは、自分が好きな人たちに、少しばかりの猫をかぶって、受け入れられたい。
 こいつは、今、身近にいない人たちに、それなりに受け入れられて、愛されてると、思う。多分。
 もちろんそれは、こいつの本性を知らない人たちだからって、言えるけどね・・・でも、その人たちは、こいつを殺すために、暴力を使わない、と思う。
 あんたに殺されるのは、別にかまわない。でも、あんたには、こいつの殺人者になるほどの価値はないよ。すっぱり潔く、刑務所に行く気がないなら、暴力使おうなんて思うなよな。
 こいつは、半世紀前に、死んでたはずの人間だから、今さらあんたに殺されたって、痛くもかゆくない。
 でも、あんたに、自殺を手伝ってもらおうとは、あんまり思わないんだよなー、悪いけど。
 今日はあんたが好きじゃない。
 こんな自分がいやで、書きたいことが書けなくて、こんなことをうだうだ書いてる。
 こんな自分を、消してしまいたい。
 明日は、いい日だといいな。
 
書くということ - 2003/02/22(Sat)
 頭蓋骨の機械人間で、9月以来連載(笑)してた、"ヤクザのボスと愛人と若造"の話がやっと完結して、おそらく今まで書いた長編の中では、最長じゃないかと思ってたり。多分、B5にタイプして、130Pくらいかなあ。いずれ本の形にするつもりですが。
 何にも決めずに書き始めたわりには、どんどん長くなって(いつものこと)、結局5ヶ月も書き続ける羽目にはなったものの、今まで長編を書き下ろしたスピードを考えれば、かなり異例の速さだったりする。
 まあ、所詮パロなんで、えらそうなことは言えませんが、それはそれとして、自分では、かなり思い入れのある作品になりそうです。
 終わってから、まあ、色々感想いただいて、ホントは自分なりに語ってみたいと思ってたのに、実際に書き上がってみれば、もう、どうでも好きに解釈して下さいって、そういう感じで。
 感じ方は、読んだ人それぞれだし、こいつの思った通りに、あちらが読んでくれないからって、それが間違いなわけじゃなし、まあいいか、何でも、と。
 どんな形であれ、人目に触れた作品は、原作者の手を離れて行ってしまうものだというのを、今回初めて感じた。
 人目に触れるものを、今まで書いたことがなかったせいだけど(笑)。
 語彙とか表現の部分とか、自分では、足りなさすぎると歯噛みしたところがあって、それでもとにかく、頭の中の映像に、できるだけ近く近く、それだけは必死に、クリアしようとして・・・成功したのかしないのか、自分ではわからないのが悲しい。
 それでも、我ながら、よく書いたなあ、あれだけ、とも思うし、最初の部分を書いて、浮かんだラストシーンに向かって、自分なりに、つじつまがうまく合ったなあと思ってたりもして。
 使わなかったアイデアもあるし、途中で急に差し入れたアイデアもあるし、頭の中で予定してたことを、すべて盛り込んだわけではないけれど、とにかくも、使ったキャラクターが、信じられないくらい、勝手に動いてくれて、こいつはただ、彼らのその動きを、心の眼で追って、必死に描写しただけって感じで。
 キャラは、例の009ですが、話はオリジナルで、まあ、反則技のパラレル。ほんとはすごく邪道だと思っていながら、止められないのが、同人ヤロウの悲しい性。
 自分としては、頭の中にずっと放置してあった、書いてみたい、書きたいと思ってた、アイデア、というよりはストーリーの原型のようなものを、やっと吐き出したのかなあという感じで、まだまだ、あんな話、こんな話と、尽きることもなく、まだ色々書くつもりでいたりして。
 ぶっちゃけた話、AちゃんSで、こんな感じの話を書けたら、と漠然と思ってたものを、使えそうなところだけ使ってみた、という感じなのかもしれない。
 書き上がってみれば、それがAちゃんS変換できるかと言えば、やっぱりそれは無理で、そのキャラにしか使えない話に出来上がってるのが、何だか不思議。
 小さな、場面場面の断片が、自分の中にいっぱい詰まってて、それを繋げて話を組み立てる。
 どうやって自分が、話を組み立てるのか、あんまり真剣に考えたことはないし、とにかく書き出せば、話は後からついて来る感じで、話に組み立てるための、さまざまなエピソードのかけらが、どうやら思ったよりも、頭の中にたくさんあるらしいってことを、今回感じた。
 まあ、5年も何も書いてなかったんだから、書いてみたいことがたまってて当然とは言え、これだけの量を書き散らした後に、まだ書きたいこと、書いてみたいことがあるってのが、単純に驚き。
 世の中には、自分よりも文章がうまいとか、話作りがうまいとか、そういう人はくさるほどいて、でも、あんまり卑屈にもならずに、好きなことを、好きなように書き散らして、自己満足できる自分の、ある意味ありがたい安っぽさに、感謝してる。
 書いてるものは、おそらく目も当てられないくらい陳腐だろうし、こいつ以外の人が、ほんとうに真剣に、興味を持つとは思えないけれど、自分の中にある、さまざまな大きさの、たくさんの世界を、ひとつびとつ表現する術として、書く、という手段を持つ自分を、ラッキーだと思う。
 オリジナルを、ほとんど書かない自分を、卑怯だとは思う。パラレル書くくらいなら、オリジナル書けよ、とそう言う声が、自分の中でする。でも、やっぱり、そのキャラだからこそ、自分の中に湧き出たストーリーだと思えば、どうせパロだし、と思いつつも、やっぱり、パロなりの面白さの方を、取りたい。
 陳腐で安っぽい自分が、そう自覚してても、書きたいっていう気持ちを抑えられないっていう、そういうところを、大事にしたい。書いてて良かったなあと、しみじみ思う、今日。
 って、すでに続編準備中だったりして(大笑)。


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