ホーム > 負け犬の遠吠え > 2004年04月

 
Layne - 2004/04/11(Sun)
 英語版の009がお気入りの回なので、録画のために、空テープを買いに、久しぶりの外出。滅多と外に出ないので、靴下探したり、靴探したり、けっこう大騒ぎ。
 お目当ては、ビデオテープと、出たばかりの「The Commitments」のDVD。
 残念ながらDVDは見つからず、つい出来心でAちゃんSのDVDを見る。見つける。買う。心臓バクバク。
 さらについでに、Stingの「It's Probably Me」(Eric Claptonとの共演バージョン。ちっ、そうでないのが欲しかったのに)の入ったベスト盤らしい、「Field Of Gold」を買う。
 午後のちょっと遅く、外は明るくて、少し暖かくて、人も車もいっぱいで、ぼさぼさの髪に、浮浪者のようなずるずるの格好で、家まで、収穫を抱えて、歩く。
 歩きながら、泣きそうになる。何度も、何度も。
 外は明るくて、春がそこまで来てて、人はみんな、すっかり薄着になってて、ああ、春だなあと思って、泣きそうになる。
 そこに、Layneが混じることはないのだと、思う。
 こうやって、AちゃんSのCDだのボックスセットだのDVDだの、たとえ同じものを持っていようと、構わずに手に入れる。そうやって、少しでも、Layneの思い出を、増やすために。できるだけ長く、鮮やかに、Layneのことを憶えているために。
 買ったDVDの中に、「Unplugged」があって、その中でLayneが、「ここ最近で最高のライブだ」と言ったら、Seanが「ずっとライブなんか演ってなかったろうが」とツッコミが入る場面がある。
 そんなことを思い出して、泣きそうになる。
 逝ってしまった人が、画面の中で、動いて、喋って、笑って、歌っている。逝ってしまう前と、変わらずに。
 その中で、Layneは、永遠に変わらない。
 93年のロラパルーザで、ふわふわと頼りなく歩くLayneを見た。警備のにーちゃんに囲まれ、意外と身軽に動きながら、「またオーバードーズで入院したらしい」という、コンサート前の噂をこちらに確認させてくれるような、ひどく影と生気の薄い姿を、今も憶えてる。
 あの頃まだ、Layneは20半ばをちょっと過ぎたくらいだった。
 あれから、10年も経ってなかったね、Layne。
 以前買ったボックスセットも、封も開けずに、しまったままで置いてある。今日のDVDもきっと、同じことになるんだろう。見るのが怖い。聞くのが怖い。歌うLayneに、会うのが怖い。
 世界は動いているし、人たちは、歩いているし、車は走っていて、時間は一時も止まらない。でも、Layneはもう、凍結された過去の中から、動いて、抜け出すことはない。
 歩きながら、外が明るすぎたせいなのか、Layneがいないことが、とても痛かった。
 自分を茶化すために、「イノセンス」のことを思い出して、バトーがJerryで、少佐がLayneなら、トグサは茂吉ことMikey(Mike Inez)で、イシカワはSeanかな、とかそんなことを考えつつ、実際に映画を見たら、もっと落ち込むかもしれないなあと、またそんなことを考える。
 ・・・オーバードーズで死んじゃったなんて、全然シャレになってないよ、Layneちゃん。何もかもが、あーたらしいと思うけど、でも、後に残されて、痛いよ。とても。
 ほんとうに、体を半分吹き飛ばされたみたいに、空っぽで、痛いよ。
 どうして、こんなに涙が出るんだろう。どうして、今もこんなに痛いんだろう。
 まるで、自分の傷をえぐるように、聞きもしないCDと、見もしない映像と、しまったままで、手も触れられないのに。
 「Unplugged」を、開けてみようかと思った。プレイヤーに入れてみようかと思った。決心が、まだつかないけど。
 2000年以来、仕事の都合で、家にばかりいる生活をしていて、外で人に触れることがない。外の世界と繋がるのは、もっぱらネット越しで、だから、生身の人間を見ると、何だかひどく眩しくて、戸惑う。
 AちゃんSの、暗い世界が、今はちょうどいい。
 Stingの「It's Probably Me」も、歌詞がLayneとJerryみたいだ。
 ・・・Eric Claptonが、トロントに来るらしい。コンサートに行こうと言ったのが同居人なのは、とりあえず置いておくとして、Claptonを見て、Jerryを思い出すのもいいかもしれない。
 AちゃんSから、かけ離れた音楽の方がいい。似てるとこなんか、どこにもなさそうなのが、今はいい。
 Layneに会いたい。


- Tor News v1.43 -