追悼その5 そしてザジがやって来た
2002/06/25(Tue)
猫がうちに来ました。
少々奇形があって、どうやら母猫の飼い主に見捨てられたようです。生後3ヶ月くらいの濃茶のトラ。男の子です。
すでにオス1匹、メス3匹の身では、とてもとてもオス猫なんて、と思ったんですが、まあ、境遇があんまり惨めなんで、うちで仮預かり、と言いつつ、結局うちで引き取ることになるようです。
色々言ってましたが、ザジと名づけました。Zazie、1960年のフランス映画、地下鉄のザジ、のザジです。
彼がうちに来る前、猫が欲しいとは、いつのもようにわめいてたんですが、その頃は、実は名前をLayneにしようかと思ってました、実は。まだ、彼が逝ってしまう前だったので。
彼が来て、最初に浮かんだのはそれでしたが、あんまり痛くて、ボケてごまかしました。その時の候補が、ジェット(大笑)。はい、例の、裏の反則コンテンツ系のキャラです。それもあんまりなんで、よしました。日本語と英語で、あんまり発音も違い過ぎるし。
それで、ザジ。フランス語の名前なんだと思いますが、不明です。勉強不足だし、フランス語習うなんて、業腹だし(笑)。
同居人のひざに、気持ち良さそうに寝てる彼を見て、ふと、浮かんだ疑問。
「ねえ、ザジって、3月生まれくらいだよね。」
計算する一瞬前、もしかして、Layneの生まれ変わりかと、ふと思ったわけで。
ちょっと時間が合わないやね。生まれ変わりかと、思った瞬間、涙が出て、そう思った自分が、けっこう不憫だった。
まだ、痛いっす。
Jerryのとこに、きっと電話して、最期に話くらいしたよね、とか、そんなことを考えながら、自分が痛いのを、どうしても止められない。
Layneのための現実逃避で、けっこう長期に渡ったウツの根っこの辺りが、少しばかり軽くなって、表面はまだウツだけど、頭のどこかは、わりと昂揚してたりする。悪い傾向ではない。少なくとも、自分の好きなことをやらなきゃ、と思う。他人のために、自分の楽しみを全部犠牲にするんじゃなくてさ。
こいつにとって、ザジは多分、ある意味での、Layneの代わりになるんじゃないかと思う。出来損ないで生まれて来て、そのせいで捨てられて、でも本人は、この上ないほどみんなのことが好きで、とりあえず元気に育ってる。
まだ、聴けない。歌詞カードを目にして動揺するくらいだから、まだ、痛くて聴けない。ふと、自分で歌うことはあるけど。でも、それも痛い。
Layneに会いたい。もう、会えないから、会いたい。
無理して、長生きしてもらおうとは思ってなかったけど、もう少し、普通の死に方でも良かったかもね。改めて、彼のヤク中度を、ああいう風に思い知るってのは、ファンとしては痛い。いいけどさ、別にヤク中だろうと。死体がきちんと確認できる辺りで発見されたのは、ある意味では幸福だったのかも。ほんとに、路地裏で身元不明死体とかさ、そういうのも、Layneなら有り得たろうし。
自分の死にたがりの部分は、Layneによって癒されてた部分はある。彼の歌で、彼の人生で、こいつは擬似の死にトリップできた。今は、Layneがほんとに逝っちゃって、これからは自分で、死にたがりの部分をなだめなきゃならないんだけどさ。それとも、また別のLayneを見つけるか。
死ぬ気は、今はない。とりあえず。やりたいことを、少しだけでもやりたいようにやってるので。
ねえ、Layne、今幸せ?