追悼その6
2002/07/09(Tue)
Layneに遭った。テレビで。歌とビデオのクリップと、素顔の映像と、死亡のニュース。
丸々3ヶ月。考えて見れば、今まで全然彼に遭わなかったのが、不思議なくらい。
再放送の時間探して、また見ちゃった。自虐的。
Layneがもう、この世にいないと、何より感じるのは、"1967-2002"っていう、数字の並びを見る時。彼がそこで終わったのを、まざまざと自覚する。
また、コリもせずに、泣いた。
彼が、ひとりで死んだのを、悲しいと思う。彼が望んだことかもしれないから、それはそれでいいんだと思いながら、同時に、やっぱり、それは淋しいと思う。
Layneは誰かを愛してたんだろうか? Layneは誰かに愛されてたんだろうか?
多分、答えは、"NO"だろう。悲しいけど。
愛されてはいたろうけどさ。もっとも、La;yneの愛されたいやり方ではなかったろうけど。
それでも、幸せなこともあったよね、きっと。
痛いよ、Layne。淋しいよ。あーたがここにいないから。
あーたが、そこで幸せであること以外、望んじゃいけないんだろうけど、それでもわがままで、もう一度だけでも、あーたの声が聞きたかったな、と思う。もう、聞けないから、そう思う。
せめて、俺はここで幸せだぜってメッセージだけでも、送ってくれないかなあ(苦笑)。
あの時、大丈夫?って訊いたこいつに、おまえが俺だぜって、歌うように言ったのは、一体どういう意味だったの? あーたも、こいつと同じように、感じてたのかな。もしかして。
いつか、ひとりだったんだよね。以前、どこかで、ひとりだったんだよね。一緒にいたんだよね、ひとりで。
同じことを感じて、同じことを経験して、同じことを愛して、今回は別々にいたけどさ、でも一緒だったよね。いつも、一緒だったよね。
だから、痛い、こんなにも。
愛してる、そういう陳腐な言い方しかできないのが悔しいけど、それしか言えない。
あーたが先に逝ってしまったのを、正直ずるいと思うよ。でも、仕方ないね。心中は気にならないけど、薬で死ぬのは、こいつのやり方では、多分ないから。
また会えるかなあ。いつかどこかで。今度はまた、ひとりになれるかなあ。会いたいよ。