書くということ
2003/02/22(Sat)
頭蓋骨の機械人間で、9月以来連載(笑)してた、"ヤクザのボスと愛人と若造"の話がやっと完結して、おそらく今まで書いた長編の中では、最長じゃないかと思ってたり。多分、B5にタイプして、130Pくらいかなあ。いずれ本の形にするつもりですが。
何にも決めずに書き始めたわりには、どんどん長くなって(いつものこと)、結局5ヶ月も書き続ける羽目にはなったものの、今まで長編を書き下ろしたスピードを考えれば、かなり異例の速さだったりする。
まあ、所詮パロなんで、えらそうなことは言えませんが、それはそれとして、自分では、かなり思い入れのある作品になりそうです。
終わってから、まあ、色々感想いただいて、ホントは自分なりに語ってみたいと思ってたのに、実際に書き上がってみれば、もう、どうでも好きに解釈して下さいって、そういう感じで。
感じ方は、読んだ人それぞれだし、こいつの思った通りに、あちらが読んでくれないからって、それが間違いなわけじゃなし、まあいいか、何でも、と。
どんな形であれ、人目に触れた作品は、原作者の手を離れて行ってしまうものだというのを、今回初めて感じた。
人目に触れるものを、今まで書いたことがなかったせいだけど(笑)。
語彙とか表現の部分とか、自分では、足りなさすぎると歯噛みしたところがあって、それでもとにかく、頭の中の映像に、できるだけ近く近く、それだけは必死に、クリアしようとして・・・成功したのかしないのか、自分ではわからないのが悲しい。
それでも、我ながら、よく書いたなあ、あれだけ、とも思うし、最初の部分を書いて、浮かんだラストシーンに向かって、自分なりに、つじつまがうまく合ったなあと思ってたりもして。
使わなかったアイデアもあるし、途中で急に差し入れたアイデアもあるし、頭の中で予定してたことを、すべて盛り込んだわけではないけれど、とにかくも、使ったキャラクターが、信じられないくらい、勝手に動いてくれて、こいつはただ、彼らのその動きを、心の眼で追って、必死に描写しただけって感じで。
キャラは、例の009ですが、話はオリジナルで、まあ、反則技のパラレル。ほんとはすごく邪道だと思っていながら、止められないのが、同人ヤロウの悲しい性。
自分としては、頭の中にずっと放置してあった、書いてみたい、書きたいと思ってた、アイデア、というよりはストーリーの原型のようなものを、やっと吐き出したのかなあという感じで、まだまだ、あんな話、こんな話と、尽きることもなく、まだ色々書くつもりでいたりして。
ぶっちゃけた話、AちゃんSで、こんな感じの話を書けたら、と漠然と思ってたものを、使えそうなところだけ使ってみた、という感じなのかもしれない。
書き上がってみれば、それがAちゃんS変換できるかと言えば、やっぱりそれは無理で、そのキャラにしか使えない話に出来上がってるのが、何だか不思議。
小さな、場面場面の断片が、自分の中にいっぱい詰まってて、それを繋げて話を組み立てる。
どうやって自分が、話を組み立てるのか、あんまり真剣に考えたことはないし、とにかく書き出せば、話は後からついて来る感じで、話に組み立てるための、さまざまなエピソードのかけらが、どうやら思ったよりも、頭の中にたくさんあるらしいってことを、今回感じた。
まあ、5年も何も書いてなかったんだから、書いてみたいことがたまってて当然とは言え、これだけの量を書き散らした後に、まだ書きたいこと、書いてみたいことがあるってのが、単純に驚き。
世の中には、自分よりも文章がうまいとか、話作りがうまいとか、そういう人はくさるほどいて、でも、あんまり卑屈にもならずに、好きなことを、好きなように書き散らして、自己満足できる自分の、ある意味ありがたい安っぽさに、感謝してる。
書いてるものは、おそらく目も当てられないくらい陳腐だろうし、こいつ以外の人が、ほんとうに真剣に、興味を持つとは思えないけれど、自分の中にある、さまざまな大きさの、たくさんの世界を、ひとつびとつ表現する術として、書く、という手段を持つ自分を、ラッキーだと思う。
オリジナルを、ほとんど書かない自分を、卑怯だとは思う。パラレル書くくらいなら、オリジナル書けよ、とそう言う声が、自分の中でする。でも、やっぱり、そのキャラだからこそ、自分の中に湧き出たストーリーだと思えば、どうせパロだし、と思いつつも、やっぱり、パロなりの面白さの方を、取りたい。
陳腐で安っぽい自分が、そう自覚してても、書きたいっていう気持ちを抑えられないっていう、そういうところを、大事にしたい。書いてて良かったなあと、しみじみ思う、今日。
って、すでに続編準備中だったりして(大笑)。