1年
2003/04/16(Wed)
Layneの命日も過ぎて、色々、悲しかったり痛かったり、それでも日常は、勝手に流れてゆく。
こいつの中で、Layneはりっぱな鬼畜サドだけれど、でも、Jerryと優しいキスをしたりしてる、彼もいる。
抱き合ったり、キスしたり、そんな軽い触れ合いは、寝ることよりも、ある意味もっと親密で、意味深長で、そんなふたりを思い浮かべて、もう、2度と触れ合うことがないってのは、どんな気分なんだろうなあと、ちょっと思ったり。
あのふたりが、そういう関係だった前提で話をするのもなんだけれど、でも、せめて、Layneのために、誰かが彼を愛してたし、愛してるんだと、信じたい。
Layneの人生に、何か救いがあったとすれば、少なくとも彼の才能を信じて、待っていた仲間がいたこと。彼らさえ、Layneを救えなかったけれど、それでも、彼らは、Layneの仲間だった。
Layneを救えるのは、Layne自身だったから。彼は、自分を救いたいと思ってはいても、きっと、それよりもずっと、死にたいという気持ちが、強かったんだろうと、思うから。
死にたくて、消えてしまいたくて、それでも、毎日何か、未練があって、もしかしたら明日は、いい日かもしれないと、そう信じる気持ちを捨てられなくて、惨めに生き延びて、そうして結局、いい日なんて、もう来ないんだと、やっと思えたんだろうか。
いい日は、あった。過去に。未来がまた、そんないい日の集まりだなんて保証はなくて、だから、Layneは、やっと、あちら側に、飛んだ。
生きてて欲しかった。歌い続けて欲しかった。JerryやSeanや茂吉と一緒に(みっちぇるさまも、多分)、ずっと笑ってて欲しかった。
それでも、生きることが苦痛だった彼には、逝けて良かったねと、泣きながらでも、言いたい。
生き続けることは、必ずしも幸福ではなく、死にたがって、果たせなくて、自己嫌悪まみれの人生を送る人間もいる。
だから、34歳で、逝けたLayneは、もしかすると、少しは幸せだったのかもしれない。
命を粗末にするなと言われても、生き続けることが苦痛でしかない人間にとっては、それは、拷問を耐えろと言われることに等しい。まるで、毛細血管を、ひとつひとつ切り開いて、どんどん血を流し続けるような、そんな人生。生き延びれば生き延びるだけ、先に待っているのは、より長引かされた苦痛。命も人生も、必ずしも、優しいものではないから。
それでも、歌ってて良かったと、仲間といて楽しかったと、そう思ってくれてると、信じたい。
天国でも地獄でも、Layneが今いる場所で、こちら側を見ながら、いいこともあったなと、そう思ってくれてると、信じたい。
苦痛だらけの人生を、這いずり回って生きて、まるで自分から生き埋めになるように、そうして、彼は逝ってしまったけれど、それでも、幸せだった瞬間があったのだと、信じたい。
あの、顔一杯で笑う、大きな笑顔が、忘れられない。無邪気で、まるで世界すべてを信じきっているような、ひどくナイーブな笑顔。
今、Layneは、こいつの中で、天使の姿でいる。天使の笑顔と、天使の声と、多分、天使の心と。
ねえ、胸が痛いよ。会いたいよ。声が聞きたいよ。寂しくて、悲しくて、泣きたくなる。
あーたのことを考えると、自分のどこかが、音を立てて割れるような気がする。
ねえ、Layne、今も、誰かが悲しんでる。あーたは喜ばないだろうけれど、今も、誰かが淋しがってる。
もう一度だけでも、あーたの声が聞きたかった。もう一度だけでも、会って、笑うのが見たかった。
1年過ぎても、まだ、あーたの声が聞けないよ。あーたの声は、胸の中にあるから、いつでも聞けるけど、耳では聴けない。こわくて聴けない。
こんなにも空っぽで、まだ、自分の一部が死んだままでいる。
Layne Baby, I still miss you. Love ya, Baby.