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逝く人、去る人
2003/05/04(Sun)
 ちょっと気まぐれで、検索をかけて、人見さんの、教壇に立つ姿を見つけた。
 髪はもちろん短くて、ラフな姿で、黒板から振り向いて、生徒を見ている、人見さん。
 喋る声は、少し平たいあの声で、教室で、ファンの子たちよりももっと年下の、自分の子どもであってもおかしくない年齢の生徒に、英語を教える。
 歌うための声は、今は、授業のため。
 歌詞すら必要なく、ほんとうに、声だけで、人を感動させられるあの人が、今は、歌うことを、二の次にして、教師をやっている。
 人の人生をとやかく言うべきではないし、それが人見さんの選択なら、にっこり笑って受け入れるべきなんだろうな。
 それでもこいつは、彼の歌う声が、恋しい。
 色んな意味で、歌うしか能のない人だったのかもと思うけれど、それでも、歌うことで認められて、歌うことだけは認められてて、彼自身も、自分のすごさを、きちんと認識してて・・・だから、見てて、痛々しい。
 もったいないって、言っちゃいけないと思いながら、それでも、教師になってしまった彼を、まだ、歌を歌う人見さんとして以外、認識できない。
 歌う彼は、空を飛ぶ鳥のようで、今の彼は、鳥かごの中の鳥。鳥は、あの羽で、空を飛ぶからこそ鳥で、飛ばない鳥は、鳥ではない。
 歌うからこそ人見さんであるあの人は、歌わない今は、人見さんではない。
 こんなことを、言うべきでないとわかってて、それでも、言わずにはいられない。どうしても、どうしても、歌う以外の人見さんを、こいつは受け入れられない。
 あの人が、おそらくもう、プロとしては歌わないと、そう思うだけで、世界の半分くらいが消滅するような、そんな脱力感に襲われる。
 あの声、その場の色を、一瞬で塗り替える、あの、声。
 彼が歌い始めると、世界が変わる。
 一瞬で、すべてが、彼の声になる。
 歌う声で、世界を変えることができる、あの人。
 VowWowというバンドに出会えて、幸せだったと思う。ほんとうに短い蜜月だったけれど、呆れるほど熱中して、泣くほど惚れた。今も、愛してる。世界でいちばん好きな音楽の、ひとつ。
 こいつにとっての、音楽における官能は、女性的なかわいらしさ(色っぽさ)か、男性的なかっこよさかのどちらかで、けれど、人見さんに出会って、それが変わった。
 ただ、官能的である、官能。女性的とか男性的とか、かわいいとかかっこいいとか、そんな、何にでもあてはまる言葉すら越えて、人見さんは、官能に直結する。
 かわいいでもなく、かっこいいでもなく、彼は、歌って、官能を具現化する。
 デビッド・ボウイは、存在で、人たちを魅了する。誰もが、彼に恋する。
 人見さんは、歌で、人を魅了する。誰もが、彼の歌に、惚れる。
 人ではなく、歌、という、極めて具体的でありながら、形のない、ひどく抽象的なもの。
 彼は、歌そのものでありながら、ひどく人間くさくて、その隙間に、こいつは時折はまって、戸惑う。
 歌が、頭の中に流れる。目を閉じて、歌の中に入り込む。
 愛していると、痛烈に、思う。
 人見さんは、決して歌う機械ではない。彼の感情と、彼の思考と、彼の経験と、彼のすべてが、あの声に込められてこその、あの歌なのだとわかっていて、それでも、こいつは、彼の人格に、さして興味はない。
 あるけれど、歌わない彼に、興味は、ない。
 冷たい言い草だとわかっていて、それでも、彼の歌を愛している事実の方が、何にも勝る。
 あの声を、また聞きたい。世界を、一瞬で変える、あの声を、聞きたい。
 ほんとうに、天国へ連れて行ってくれるんだよ、あの声は。他のものが、いらなくなるんだよ。見えなくなるんだよ。聞こえなくなるんだよ。
 だから、歌をやめたことを、心の底から、悲しんでる。VowWowが解散して、もう、10年を越えたのに。今も、あの時と同じほど、悲しんでる。
 世界は、色を失い続けている。
 人見さんが歌うのをやめ、広川さんがDOOMをやめて、諸田さんが死んだ。Layneも逝った。
 現実の輝きが、失せてしまえばしまうほど、心の中の記憶は、輝きを増してゆく。それにすがって生きてゆくのは、バカのすることなんだろうか。
 あの声が、恋しい。自分の中を、一瞬で満たしてくれる、あの声が、聞きたい。人見さんの、歌う姿が見たい。

 5/7は、諸さんの命日。痛いよ。あの人の、音も、仕草も、生き方も、死に様も。
 また、泣いてもいいですか。あの日、日本から電話をもらった時のように。突然で、信じられなくて、それでも心のどこかで、少しだけ安堵してた、あの時みたいに。
 もう、待たなくていい、もう、信じてなくていい、もう、ゼロに近い希望にすがらなくていい、そう思ったこいつを、いつか許してくれますか。
 広川さんのいるDOOMを待ち続けて、諸さんが回復したDOOMを待ち続けて、あり得ないさと、心の中の声を押し潰しながら、待つのに疲れていたから。
 だから、いっそそうなって、もう、待たなくていいんだと思って、悲しんで、安堵したこいつを、いつか許してくれますか。
 それくらい、好きでした。大好きでした。今も大好きで、だから、そうでないDOOMを、認められません。
 藤さんのGと、諸さんのBと、広川さんのDrと、それだけが、こいつにとってのDOOMで、どんなに努力しても、すいません、他のDOOMは好きになれません。
 だから、待ちくたびれました。
 だから、ほっとしました。
 だから、泣いてもいいですか。
 ごめんなさい。あなたが大好きです。ベースを、DOOMで弾くあなたが、大好きです。広川さんのDrと藤さんのGで、ベースを弾くあなたが、大好きです。
 そう思えば思うほど、あなたには、よけいなプレッシャーにしかならなかったのだと、今ならわかるけれど・・・。
 ごめんなさい、それでも、あなたのベースが、DOOMであるあなたが、大好きです。
 あなたのことを、話したい。どんなにあなたが好きか、自分勝手に語りたい。あなたに届かない場所で、あなたについて、語り合いたい。
 またいつか、どこかで会えたらいいなあと、思います。

 Layneが逝ったのも春。春は、いろんなことが痛い。色を失った世界に、必死で、自分で色を塗る日々。



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