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さらば愛しき女よーFarewell, My Lovely
2003/05/12(Mon)
 「さらば愛しき女よ」("Farewell, My Lovely")っていう、ハードボイルドの長編がある。こいつは、どちらかというと、「八百万の死にざま」の方が好みなんだけれど、そんなことはどうでもよくて。
 元々、ハードボイルドは苦手で、とにかく、服とか食べ物とかの描写を延々と書いてあるのがうるさくて、こっちに来るまでは自分で読んだことは全然なく、まさか、ロバート・パーカーなんて、シリーズを読む羽目になるなんて、思ったこともなかった。
 ロバート・パーカーなんて、こいつの苦手最たる文体のはずなのに、その頃日本語に飢えてたこいつは、本を貸してくれるという話に、飛びついた。
 ここに来て、ものすごく残念だったのが、読書が趣味な人が、まずほとんどいないこと。
 大学で知り合った日本人の大半が、英語をやるなら、日本語は必要ない、あるいはそもそも日本語なんか、好きでも何でもないという連中ばっかりで、活字中毒で、日本語の辞書まで読んでたこいつには、とてもじゃないけど、信じられない話ばかり。
 1年後、同じクラスになった、少し年上のタケちゃんが、こいつ同様の活字中毒。読書の傾向は全然違ったんだけれど、当時、とにかく良質の小説に飢えてたこいつは、本を貸してくれるというタケちゃんの話に飛びついた。
 で、そのタケちゃんが、ハードボイルド狂い(笑)。
 英語に慣れて、まあ、それなりに、こちらの生活のこともわかるようになって、それゆえか、以前はうるさく感じてた、登場人物の細かい描写もそれほど気にならず---もっとも、気になるより、字を読める喜びの方が、当然でかかった---、とにかく借りて、読みまくった。
 その後、ちゃんと原語(英語ね)でも読んでみたし、今考えれば、日本語英語両方で、同じ作品を読めるっていうのは、面白いなあと。
 アンドレア・ドウォーキンは、ちなみに英語で読むと、すっげえ攻撃的で、むしろ文章がくだけてて(卑語をよく使うせいで)、あれはもしかすると、英語(原語にも関わらず)だと、彼女の真意は伝わりにくいのかな、と思ったり。
 攻撃の部分ばかりで、主張が隠れちゃうのかなあと、思った記憶があったり(ちなみに彼女は、小説も書きますが、ラディカル・フェミニズムの理論をいろいろ書いている。こいつは大ファン)。
 タケちゃんも、本を読む人間が回りにいないせいなのか、我々は、仲良しではないけれど、何となく一緒につるむようになって、大学に進んでも、専攻もクラスも一緒、朝から晩まで一緒、家に帰っても、遅くまで電話でしゃべりと、知らない人が端から見る分には、付き合ってると、思われるような状態だった。
 そう言われるたびに、お互い、必死で否定してたけど(笑)。
 タケちゃんは、その頃、隠れて付き合ってた女性がいたので、こいつはある意味ちょうどいい隠れみのだったらしく、こいつはこいつで、ゲイに偏見のないタケちゃんと一緒にいるのは、気が楽で、ふたりで、ひーこら言いながら、一緒に社会学の勉強をしてた。
 タケちゃんはとにかく、いわゆる二枚目で、どこから来た誰が見ても、「かっこいい」とか「ハンサム」とかいう人で、特のヨーロッパ系の女の子に群がられて、いっつも困ってたんだが・・・ひとりくらい分けろよ(苦笑)。
 そういう本人は、「みんな、俺の外見だけで寄ってくる。それがいやだ。俺の中身を、それだけで見ようとしてくれない」と、自分が、誰もが認めるかっこいい外見であることにコンプレックスのある、それが嫌味にならない、いい人だった。
 そういう人だから、嫉妬されるよりも、むしろ誰にでも好かれて、男にも女にもモテて(でも本人は、またそれで、「俺は外見ほど中身に価値がない人間なんだ。申し訳ない」って悩んでたけど)、もちろん、こいつのゲイの男友達は、いつも大騒ぎだった(大笑)。
 タケちゃんについては、こいつは、まあゲイの素質があるよねと言ってて、本人は試す気もなかった(彼女がいたし)らしいけれど、あの時、こいつの友達の数人が、本気でアタックしてたら、もしかしたら、タケちゃん、その気になったかな、と思ってもいたり。
 今は、その彼女と結婚して、子どももいて、日本で新聞社(だっけ?)に勤めてる。
 派手な外見に似合わない地味さで、でも、少しずつ、不器用ではあっても、自分の信じる通りに、我が道をゆこうとしてるタケちゃんが、こいつは大好きだ。
 女と男の間に、友情が成立しない人も多いのかもしれないけど、こいつは、男との間では、むしろ友情しか成り立たなかったり(笑)。
 幸せになってね、タケちゃん。

 でもって、Sparky。こいつが、人生で初めて、一緒に暮らした猫。
 Sparkyってのは、一般的には犬の名前らしく、ポチとかコロとか、そういう類いの名前らしいです。
 暮らし始めた時、彼女はすでに14歳くらいで、もうおばあちゃんの三毛猫。甘い、優しい声で鳴いて、ほんとうに、穏やかな猫だった。
 暮らし始めたのは、ちょうど夏休みで、こいつとSparkyは、一日中テレビの前に坐って、一緒にセサミストリートを見た。
 こいつが、Rの発音がうまく出来なくて、最初は、名前を呼んでるんだとわからなかったらしい彼女も、こいつの、Rが怪しい発音に慣れると、今度は、本来の家族の呼ぶ声に反応しなくなったっていう、笑い話。
 一緒に寝て、一緒に起きて、ずっと一緒にいた。
 ソファにいれば、傍に来るし、部屋にいれば、入って来るし、寝てれば、胸に乗ってくるし、初めて旅行に出掛けるために、スーツケースに荷作りしてたら、いつのまにか、スーツケースの中に、坐り込んでた。
 旅行に出掛ける当日は、スネて、姿を現さなかった。
 初めて日本へ帰った時も、何度出しても、スーツケースから出てくれず、部屋から追い出して、荷作りする破目になった。
 帰国の2、3日前から、こいつにまといついて、一瞬も離れてくれなかった。
 こいつも、Sparkyが、大好きだった。好きで好きで、離れてることが耐えられないくらい、好きだった。
 引っ越しが決まって、その家を出て、引っ越し当日の夜、新しい部屋で、寝ながら、泣いた。
 Sparkyが恋しくて、もう、一緒に暮らせないのが悲しくて、泣いた。
 おばあちゃんだったから、もし、何かあったらって、不安で不安で、仕方なかった。
 引っ越しから2週間経って、元の家に遊びに行ったら、Sparkyが、ちょうど芝生にいて、まだ、やっと家が見える角を曲がったばかりのこいつを見つけて---多分、足音が聞こえたんだと思う---、一生懸命、こいつに向かって、駆けてきた。
 道の真ん中で、Sparkyを抱き上げて、実は泣いてたのは、内緒。
 そのSparkyも、今はこの世になく、眠るように穏やかに逝ったと、家族から聞いた。
 Sparkyと暮らさなければ、らんまるを、あの日路上で拾うことはなかった。Coalを家に招き入れて、一緒に暮らそうとは思わなかった。やせこけて、貧相な体で、必死に喉を鳴らしてたCristalを、家に連れて帰ろうとは思わなかった。裏庭のガレージで、必死に冬を越そうとしてた、ねねとぽっぽの親子を、引き取ろうとは思わなかった。奇形のせいで捨てられたらしいザジの、面倒を見ようとは思わなかった。
 Sparkyがいなければ、こいつはもっと早く、大学へ行って、ここで勉強することをあきらめてたかもしれない。Sparkyがいなければ、ひどいウツのまま、自分が消えてたかもしれない。Sparkyがいなければ、小さないきものの暖かさと柔らかさと優しさを知らずに、平気で自分と周囲を傷つけ続けてたかもしれない。Sparkyがいなければ、起こらなかっただろうことが、たくさんある。
 「さらば愛しき女よ」と、Sparkyに言うのは、少し的外れかもしれないけれど、こいつにとってSparkyは、My Lovelyだから。
 My Lovely、Sparky、愛してたし、愛してるし、今も、会いたい。
 小さな体で、穏やかな声と瞳と仕草で、いろんなことを、こいつに教えてくれた。
 人間ではなかったけれど、猫ではなかったけれど、言葉は通じなかったけれど、でも、ふたりで、いろんなことを伝え合った。
 こいつを、あんなに、真っ直ぐに、真摯に、好きでいてくれて、ありがとう。こいつと一緒にいたいと、いつも伝えてくれて、ありがとう。
 どれくらい愛し返せたのか、わからないけれど、少なくとも、Sparkyのおかげで、猫が6匹、路上で死なずにすんだ。
 天国で、誉めてくれるかな。天国で、会えるかな。天国で、待っててくれるかな。こいつの足音が、聞こえるかな。
 また、会えたらいいなあ、My Lovely、Sparky。



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