言葉についての毒吐き
2003/05/29(Thu)
日本語を肉声で喋るチャンスの、ほとんどない日常で、日本語を使うと言えば、書くことばかりだけれど、最近、もしかして、ものすごく思いやりのない日本語ばかり使ってるんだろうかと、ちょっと思ったり。
いわゆるチャットという、文明の利器を利用して、人と「話し」ながら、何て言うか、自分の「口調」が切って捨てるような、そういう言い方になってるのかもしれないなあと。
日本に帰って、喋るのが怖い。いや、帰国の予定はないんだけれど(爆)。
仕事のほとんどが、常に時間に追われて電話対応をするということのせいか、要領の悪い喋り方をする人相手は、非常に神経が尖る。
ほんとうに、電話1本が10数秒という仕事で、だらだら余計なことを言われると、思わず、「必要なことだけ言って下さい」と冷たく言って、相手を遮るクセがついてたり。
英語の勉強してた時に、まず最初に言われたのは、英語では、必要なことをまず言うということだったから、いわゆる、回りくどい表現をする日本語思考を、とりあえず捨てないとねと、当時はけっこう必死だった。
もっとも、こいつの身辺で、いちばんだらだら要領悪く喋るのは、同居人なんだけどさっ(毒)。
どうも、だらだら話すことをしたい相手というのは、好意を持ってる相手らしい。一分でも長く話してたいんだろうなあ。いや、こいつがね。
友達となら、まったく苦痛にならない、だらだらとりとめもないことを話すというのが、好意の少ない相手(仕事先の人間に、そういう私的な好意がないのは当たり前だけれど)とだと、途端に地獄の苦痛になる。
こいつは、口数が多いくせに、頭の悪い喋り方をする人間だけれど、少なくとも、ものを書くということをするせいか、伝わるように話す、伝わらなければ、自分の伝え方が悪いと思うんだが、世の中には、極めて要領の悪い話し方をしつつ、相手がすぐに理解できないと、即座に怒り出す、感情的になれば、ますます話は混乱するという、できたら関わり合いを避けたい人がいたりして。いや、同居人なんだけど(苦笑)。
要領はともかく、相手に伝えたいというのは、ごく自然に起こる感情なのではなく、好意とか、礼儀とか、育ち方とか、そういう諸々の元に生まれる、その人それぞれの思いやりらしい。
何もかも、すべて他人が悪いんだと、そういう思考の仕方を子どもの頃から叩き込まれると、素晴らしく自己中心的な、理解不能なほどてめェ勝手な人間ができます。
できるかもしれない、なんて言いたくない。なっちゃうんだよ、そういう大人に!
言葉ってのは、一方的に賜るものでもなければ、一方的に、相手に浴びせるものでもないと、思う。受けて、応えて、そこから新たに生まれる思考の流れを、楽しむものではないかと思う。
言葉を使う人間として、特に最近、色々と、周囲との会話(ではなく、一方的な言葉の垂れ流し)が苦痛でならない。
ほんとに最近、引きこもって、タイプばっかりしてるよ・・・・。
口開くと、自慢しかしないとか、ホラばっかりだとか、自分語り満載で、人の話なんか聞きゃしねえ、こっちの話は覚えてない、自分の言ったことは、すぐ忘れるか、頭の中で記憶をすり替えちゃう、しかも、ムダに声がでかい・・・思わず伏字な言葉を、浴びせてやりたくなる。
英語で、べらべら無駄なことばかり喋る人を、信用してはいけないのは、自分の中でディフォルト。
英語もロクにしゃべれねえアジア人のガキが、何様だてめえと思われてるのは百も承知で、英語に関しては、話し言葉で人を判断させてもらう。
笑っちゃうのは、お父さんと会社をやってて、17歳からずっと働いてて、今はとりあえず超中小企業の経営者ヅラしてる某もうすぐ50歳より、ずっと学生やってて、仕事きちんとしたことなくて、世間知らずのこいつの方が、人を見る目はマシってのは、どうよ?
どうして、人を雇って使うことをやってて、信用できる人間としちゃいけない人間の区別がつかない?
こういう人間と並んで、自分の方が、ずっと年下とか、女に見えるとか、アジア人であるとか、背が低いとか、英語が母国語でないとか、そういうので、あちらは一応(まともな)人間扱い、こちらは3流市民として扱われるっつーのは、理不尽だと思う。
相手を傷つけるから、そんなことは言ってはいけないんだと、思いつつも、心の中では、×××な○○なクセしやがって、てめーは○○だろうが!と、つい言いたくなる。言わないけどね。言ったって、事態は悪化するだけだから・・・人は、ほんとうにことを言われると、烈火の如く怒る。ぼそ。
(こいつが)まともと思える会話をしたい。怒鳴るとか、罵るとか、そういうののない会話をしたい。一方的な、ホラの垂れ流しではなくて、言葉のキャッチボールをしたい。自分のことを棚上げしまくった、「あいつはどうしようもないヤツだ」的内容ではなく、「自分はいい人に囲まれて幸せだなあ☆」的な話をしたい。
○○○○な人間と付き合うのは、骨が折れるんです←本音。
あ〜あ、もう、こんな伏字ばっか・・・。
書き言葉と言うのは、脳を活性化してくれると思うんだけれど、でも、話し言葉がなければ、人間らしさが削られてゆくような、そんな気がする。
口と舌と喉を使って、人と、「会話」を楽しみたい。耳に入る言葉を受け止めて、頭を使って、話をしたい。
FとかGとかBとか、そんなロクでもない語彙を挟まないと、会話にすらならないコミュニケーションに、非常に疲れてる。
優しい人と、優しいナマの言葉と、優しい日常が欲しい。人を傷つけずにすむ1日が、せめて週に1日欲しい。
物事は、とりあえずやっと、こいつが望む方向に、進み始めたらしいけど、事が成就するまで、自分の神経が保つかどうか、実はちょっと怪しかったり。
サイバーワールドで、優しい時間を持てば持つほど、現実のすさみように、胃が痛くなる。
やなヤツだ、自分。伏字だらけの日常を、とりあえず何とかしたいな。とりあえず、頑張ってみよう・・・かな(笑)。