Coal, My Buddy
2004/12/03(Fri)
1998年の10月5日、午後になったばかりの路上で、Coalに出会った。
足元にまとわりつく、やけに人なつっこい黒猫。可愛らしい声で鳴いて、2階にある、目の前のアパートメントに、振り返り振り返り上がって行ったら、後ろを着いて来た。
そのアパートメントに越して来たのはその年の初め。前の住人が外の猫を招き入れてたのか、引っ越してすぐ、見知らぬ猫が2匹、別々の時にいきなり入って来て、数時間くつろいで帰って行った、そんな場所だった。
だから、その黒猫が我が家に入って来て、ためらいもせずにくつろいでしまったことに、さして驚きもしなかった。
貧乏生活の中、人間が食べるのに少し困ってた頃、猫にあげられる何もなく、ミルクを出して、黒猫を歓待してみた。
午後中、まったく外へ出る素振りも見せず、夜になって玄関の外で一緒にくつろいでいると、同居人が仕事の初日から帰宅。階段を上がる大男の足音に驚いたのか、黒猫は怯えたように飛びすさって、そのまま階段を駆け下りて行ってしまった。
「脅かしちゃったじゃんか。」
そう言うと、同居人は、黒猫が消えた方を眺めて、微笑んだ。
翌日、階段の下にドライフードと水を発見して、どうやらあの黒猫は、この近所で可愛がられてるらしいと知る。誰かの飼い猫なのだろうとは、けれど思わなかった。
さらに翌日、水曜日、雨が降っていて、あの黒猫は雨を避けて、どこかにいるんだろうかと、買い物に出るついでに、ちょっとだけアパートメントの周辺を探す。階段を下りた建物の左側、わずかなひさしの部分に体を縮めるようにして、あの黒猫がいた。
財布には10ドル、明日のための食料を買って、その残りで、安いキャットフードくらい買えるかもしれないと、近づいても逃げる気配のない黒猫を抱え上げ、階段をまた上がってゆく。ドアの中に入れて、ドアを閉めて、すぐそこにあるスーパーマーケットに急いだ。
ミルクをあげて、水も出して、買ってきたドライフードを出して、小さな小さなアパートメントでふたり、同居人の帰りを待った。
「・・・雨が降ってたから。」
「ほんのちょっと、今夜だけ、置いてあげてもいい?」
「また来たら、ゴハンあげてもいい?」
その夜、黒猫はリビングのソファの真ん中で丸くなり、我々は、笑いの絶えないまま、彼のことばかりを話し合った。
2週間、黒猫は狭い我が家から立ち去る気配を見せず、まだその黒猫を飼う決心のつかなかった我々は、トイレを用意するふんぎりがつかず、出掛ける時は猫も一緒に外に出し、帰って来ると、車の音や足音を聞き分けて、猫はにゃーと泣きながら出て来る。階段の下で、いつも我々を待っていた。
そして、黒猫がどこへも行かないことを確認して、獣医さんへ連れて行くことを決めた。名前はCoal。黒いから石炭、という、単純な理由だった。
真っ黒の毛並み、緑がかった金色の瞳、ヒゲは1本だけ白くて、とても大きな声で鳴いて、喉を鳴らす。
たいていはリビングで寝て、明け方、ベッドの方へやって来る。こいつのすぐ傍に上がって来て、一緒に寝る。
同居人が、通勤のせいで5時起きだったので、それをすぐに覚えてしまい、仕事のない日でもその時間になると、ものすごい声で鳴いて、外へ出せ!腹が減った!と起こしに来る。
子はかすがいと言うけれど、決して完璧でも完全でもないこいつと同居人の関係を、繋ぎ止めてくれてたのは、Coalだった。Coalの飼い主という形で、我々は常に結びついていた。
我々は、どうやら2人か3人目の飼い主だったらしく、その当時、おそらくすでに4〜6歳くらいだったと思われるCoalは、食べることに非常に主張の激しい、人間の食べ物に目のない、けれど基本的には付き合いやすい猫だった。
外へ出て、パトロール中に出会った人間たちに愛想を振りまくのが大好きだったらしい。なかなか帰って来ないCoalを探しに出掛けると、「赤い首輪の黒い猫?」とすぐにCoalのことだと伝わる。
以前の近所でも、今の近所でも、Coalは人気者だった。
野良生活で、少し荒れてた毛並みも、食事の心配がなくなったせいか、じきに烏の濡れ羽色になった。程よく長い手足、すっきりと締まった体、黒猫らしく、Coalはとてもハンサムな猫だった。
半年後にCristalがやって来て、新しいルームメイト兼義理の妹に辟易したCoal(前の飼い主のところを飛び出したのも、新しい猫が原因だったとか)は、別宅を見つけてそちらへ入りびたり始める。首輪には、しっかり住所と電話番号のタグがついてたので、どこが別宅かを突き止めた我々は、とりあえず探し回らなくてすむようにはなった。
2000年になると同時に、そのアパートメントを出て、地下室と小さな裏庭がある、猫好きおばあちゃんが隣人の一軒家へ引っ越した。
その家へは、Cristalと一緒に、同時に移り住んだせいか、とりあえずCristalとの仲は、以後それなりに円満になる。
ウチへやって来るおじさんたち、特に中近東系の人たちが大好きで、Cristalを連れて来たのがこいつだと思ってるせいか、こいつとの間は妙にぎくしゃく。でも、みんなに可愛がられて幸せそうだった。
もちろんすぐに近所でも人気者になり、ただ、残念ながら、隣りの大きなメスのぶち猫とは、ケンカばかりでロマンスは生まれなかった。おまけに負けるのはいつもCoal。
裏の家との境にある、背の高いフェンスにうっかり上がって、降りられなくて、「助けろー!」と鳴いてたこともあった。声を聞きつけて、庭に助けに出たこいつは、けれど背が低かったからなのか、やっぱりCristalの件なのか、お助け隊として信用されず、同居人が代わりに出動。しぶしぶ、という表情で、同居人にフェンスから抱き下ろされて、でも、「・・・助かった」という顔をしてたのを、こいつはしっかり見た。
一度、ひどく怯えた様子で、がたがた震えながら戻って来たことがある。
眉の上に当たる辺りに大きくて深い穴、アゴの下からも出血、真夜中だったから、朝を待って獣医さんへ行った。
「アライグマだね。こうやって噛まれたんだよ。」
Coalの顔の前を、大きな掌で包むようにして、揃えた指を、Coalの額とアゴの下に当たるようにして、見せてくれた。
「噛み殺されなくてラッキーだったよ。」
Coalの顔を丸飲みできるなら、相当大きなアライグマだったんだろうなと思いながら、怯えて、声も立てないCoalをそっと抱いた。
アライグマの噛み傷は、少しだけ痕を残すだけにとどまり、けれど1年後に、同じ場所が化膿して腫れ上がり、右眉の上から耳までをばっさり毛刈りされるという、もしかすると、アライグマに襲われたよりも、もっと不名誉かもしれない羽目になった。
Cristalが、48時間行方不明になった時、最初それに気づいていなかった我々に向かって、丸1日鳴き続け、ようやくCristalを見つけて戻って来た時、開けたドアの向こうで待っていて、最初にCristalに"頭こっつんこ"をやったのはCoalだった。
Cristalという新しいルームメイトを、家出してまで嫌がったCoalは、ねねとぽっぽを、とにかくも穏やかに受け入れ、その後やって来たザジのことも、渋々ながら認めてくれた。
数年消えてた、1本だけ白いヒゲが戻って来て、ここ1年で2本に増えていた。
黒いだけだった毛並みに、白い毛が見えるほど混じるようになり、体重は、少しやせ気味で定着した。毛艶が少し鈍って、それでも毎年の検診では極めて健康と太鼓判を押され、小さい頃のひどい栄養不良のせいか、アレルギーがあって病気がちなCristalに比べると、オスで外猫というわりに、Coalはまったくもって健康体だった。
Coalも年を取りつつあると、思いながら、それでも少なくとも後数年、もしかすれば10年、今まで通り、我が家の主君として君臨するだろうと、疑ってもみなかった。
2004年12月1日、朝遅く、Coalがひどく吐いた。いつもの、エサを慌てて食べた時の嘔吐とは違って、大量で水っぽくて、色も黒くて、固形の食べ物らしいものの一切見当たらない吐瀉物だった。ぽつぽつ赤い小さな塊があって、それはトマトみたいに見えた。
そのまま、ソファのすみに、クッションの上に丸くなり、その日はほとんど動かなかった。出してあるエサを食べているのを見かけ、でもあまり積極的ではなく、「ちょっと風邪でも引いたのかな」くらいにしか思ってなかった。
耳に触っても、熱もない。でも目が少し涙目で、触れると、背骨がごつごつしている。毛にも艶がない。1日様子を見ようと、そっとしておいた。
夜、珍しく夕食をリビングで食べてたのに、Coalが邪魔しに来ない。いつもなら「くれくれくれ!!!」と口元にまで爪を伸ばしてくるのに。さすがにおかしいと思った。鳴かない、ゴハンを食べない、外へ出たがらない、人間の食べ物を欲しがらない、これはかなり具合が悪いようだと、翌日の朝も、ベーグルについたクリームチーズをねだりに来ず、しかもコンピューターデスクの下でうずくまってじっとしてるのを発見し、その場で獣医さんに電話をした。
ひどい脱水症状で、体重も夏には11パウンドあったのが9.4パウンドに減っていて、血液検査をしようと、獣医さんのところへ預ける羽目になった。
猫白血病ウイルスの疑いが濃いと言われ、半泣きになりながらネットで検索をかけてみる。"ウイルス陽性であっても、普通に生きることはできる""病気らしい様子を見逃さないことが大事""インターフェロン投与で改善もできる"等々、目の前真っ暗というわけではないのだと、少し安心する。
12月2日、血液検査の結果がまだ出ない。とりあえず会いに行く。前足を両方、点滴のために剃られ、管の繋いである方はピンクの包帯でぐるぐる巻き。液の入る感触がいやなのか、時々ぶるぶるっと腕を震わせる。
鳴かない。妙に不安そうな表情と態度で、こいつを見ている。とりあえず、食べて飲んで(少しだけど)、トイレにも行ったし、今日は吐かなかった、体重も減ってない、そう言われて、少しほっとする。
Cristalが、Coalがいないことを不安がって、やけに静かだということを伝える。わかってるのかどうか、妙に澄んだ目で、こちらを見上げる。
普段のふてぶてしい態度との、あまりの違いに、ひとりでこっそりうろたえる。早く元気になってウチに帰ろうと、何度も言った。
明日の朝には検査の結果が出るはずだからと、そう言われてひとり家に帰った。
12月3日、前夜は冷えて雪、凍って残った雪と屋根の氷柱と、青い澄み切った空が、やけに眩しい。
HIV陽性。昨夜凄まじく嘔吐したこと、もう自力では水も食事も取れず、無理矢理食べさせても吐くだけ、今は点滴で延命しているだけだということ、余命は、最善を尽くしてせいぜい1ヶ月、きっぱりと安楽死を勧められた。
Cristalを、最後に会わせるために、一緒に獣医さんに連れて行った。Cristalは病院の匂いに怯えて、ロクにCoalとは話もしなかったけど、家に戻ったら、少し元気になったように見えるので、Coalに(最後に)会えて、安心したのかもしれない。
ポテトチップスを、2枚、ビニールに入れて持って行く。コーヒーショップに寄って、小さなカップのミルクとクリームをひとつずつもらう。鶏肉を持って行けなくてごめんねと、そう思いつつ。
最後まで、家に連れて帰って、せめて1日でも数日でも一緒に過ごしてから、と思ってたけれど、Coalを見て、もう、ほとんど動かない彼を見て、終わらせようと、思った。
今までの病気知らずを思えば、最後がこれかよと、悔しさもあるものの、Coalとの生活に、自分の中に悔いはなく、プライドの高い彼も、"泣くな、うるせー。仕方ねえだろ"というふうに、必死に撫でるこいつに向かって、うるさそうにしっぽを振って、だから、もういいんだろうと、そう思った。
小さなカップのミルクとクリームは、口元を真っ白にしながら全部飲んだ。砕いたポテトチップスは、でも食欲をそそらなかったらしく、鼻先に差し出しても、匂いをかぐ素振りも見せなかった。
一度、そっと抱いてみた。20秒も立たずにいやがったので、そっと下ろした。それから、いろいろとついてごわごわになった毛(しっぽの付け根、アゴの下、首の周り、前足)が気になるのか、後ろ足の間に顔をうずめて、毛づくろいを始める。
それを見て、もしかして元気になってるんじゃないかと、一瞬思う。けれどそれは、診察室に入ってきた獣医さんに、"長引かせるだけだよ"と言われて、へこんとしぼむ。
黒い肉球は、たった2、3日外へ出なかっただけなのに、もう柔らかくなってて、だからよけいに、ごつごつした背骨としっぽの近くの骨の硬さが、悲しかった。
同居人は、"見てられない"と外へ出て、こいつだけが、注射の現場へ立ち会った。
点滴の管から、点滴の袋を外して、そこへ、小さな注射器を差し込む。15mlという数字が見えたような気がする。獣医さんが、ひどくゆっくり注射器を押す。Coalが、"なんだ? 急に眠くなったぞ"という風に、軽く瞬きをして、視線を動かすと、注射液は、もう完全に管の方へ押し込まれていた。
頭を落として、目の辺りが脱力して、呼吸が遠くなる。呼んでも、反応がない。10数秒で、獣医さんが聴診器を当てて、"心臓は止まったから"と教えてくれた。
まだ、瞳はいつものままで、けれど少しずつ、瞳孔が広がってゆく。鼻と口から、黄色い体液(乾くと茶色になったけど、あれは肺にたまってた水か何かだったんだろうか)が大量に流れ出す。目の、金色の部分が見えなくなるほど瞳孔が開いて、そうして、白っぽく、妙に透明に、幕のかかったような、空ろな目に変わる。
この間、恐らく15分くらい。
Coalを撫でて、抱いて、名前を呼び続けた。喉の奥ががくがくしてるのに、涙は出ない。反応のないCoalに焦れて、いつものように耳を動かしたり、しっぽを振ったりしてくれないかと、馬鹿なことを思いながら、名前を呼び続けた。
もしCoalが動いたら、HIVもどこかへ吹っ飛んでしまっているのだと、頭のすみで信じてた。
いつまでも、Coalは動かず、最後には、流れ出してた体液も止まり、同居人が持って来た、白いシャツ(同居人の汚れた洗濯物が大好きだったから)にくるまれて、少しずつ冷え始めていた。
診察台の、こいつがいる側に向いて、ずっとそこから動かずにいてくれた。単に動けなかっただけかもしれないけど、Coalが、こいつの傍にいられて良かったと、そう言ってくれたような気がした。
ああすればよかった、こうすればよかった、という悔いは、自分の中にはない。安楽死させたことを、正しいことだと信じてはいないけれど、いやなことはきっぱりいやだと態度に表して、絶対に自分を曲げないCoalが、頭も上げずにただそこに横たわってるだけの姿は、彼自身が晒し続けるに忍びなかったと思うので。
それでも、診察台の上で、もう二度と動かない彼を残して立ち去りながら、自分が、とても大きなものを失ったのだと、いつまでもドアを閉めることができなかった。
Coalの体は、少しばかり北にある街に送って、焼いてもらうそうだ。灰を受け取れるのは来週だろうと言われた。
受け取って来たら、裏庭にまこうと思う。Coalがいつも、歩いてたところへ。
真っ赤な、名札のついた首輪を外して、それは、薬とかエサとかよだれなんかで汚れていて、そのまま、大事に取っておくつもりでいる。
Coalに、早朝起こされることもない。ベッドを占領されて、眠れなくて困ることもない。夜中に脱走されて、ひやひやすることもない。雨だ雪だと、玄関のドアのところで、見上げられて文句を言われることもない。食事のたびに、きっちり部屋のドアを閉めて、ねだりに来る彼を撃退する必要もない。
それは、とても淋しいことだ。とてもとても、淋しいことだ。
Coalがいない家は、とてもガランとしていて、静かで、今、逝ってしまった彼のあまりの大きさに、ひとりで奥歯を噛み締めている。
彼は、こいつの子どもではなかった。弟とか、少し手のかかる兄とか、あるいは、とても親(ちか)しい友達とか、そういう存在だったのだと思う。年の近いイトコ、くらいかもしれない。
同居人が仕事で忙しくて、学校もやめ、友達とも疎遠になって、ひとりきりになってたこいつのところに、Coalは現れた。足元にすり寄って、鳴いて、こいつの傍にいてくれた。
いつまでも、傍にいてくれるのだと、思ってた。
1998年の10月、彼はこいつのところへやって来て、そして2004年の12月、ひとりで先に去って行った。6年と2ヶ月、こいつと同居人の間を、のほほんと繋いで、そして、去って行った。
Coal、我々は、おまえさんが大好きだったよ。この近所の人たちも、ウチで働いてる人たちも、みんなおまえさんが大好きだったよ。
おまえさんを知るすべての人が、おまえさんを大好きだったと思うよ。
出会ってくれて、ありがとう。一緒に暮らしてくれて、ありがとう。最後まで看取らせてくれて、ありがとう。またどこかで会おう。その時までさようなら。今だけ、Coal、さようなら。