ホーム > 負け犬の遠吠え - PC/ネット > 2005年03月 > 2005/03/15

 
ネットとブログ雑感
2005/03/15(Tue)
 ブログとゆーのに心魅かれつつ、しかしながら今ほぼ毎日上げてる短文と何が違うんだと、心の中で声がする。
 いろいろ読むと、まあ要するに個人的な文章を上げて、それに対して訪問者が、その場でコメントをつけたり、あるいはその人のサイトでコメントされたり(この場合、リンクが貼られる)、ようするに、他の、興味の対象を共有する人たちと繋がりやすいネットツール、っつーことなのかなと。
 元来はディスカッションのためのツールだったとかで、まあ、そっちの方がなるほどと理解しやすいんだけど。意見交換の場だもんね。
 面白そうではあるけど、今よりもっと書く文章が増えるってのはなあ(苦笑)。そんなにニュースのある毎日でもなし。ただ、ブログは完全に独立させて、まるっきり誰にもわからないHNで始めれば、何もかも全部赤裸々に垂れ流せることは確かだ(大笑)。
 もちょっと素直に、自分を語ってみたいという欲求は、正直ある。これ以上何を素直に語るってんだよ?!という声がちらっと聞こえるけど、ほら、人間ガキですからって言い訳できない辺りに人生が差しかかると、いろいろと飲み込まなきゃいけないことも増えるわけで。
 だからね、その飲み込んでる部分まで、だらっと吐き出してしまいたいと、ちょっと思ってたりもして。
 好き勝手を書く、というのは、これは意外と難しいわけで、一応世界に向けて発信してる、しかも自分のことをかなり深く知ってるリアルな友人から、HNくらいしか知らない人までを対象に、日記もどきを書くっていうのは、読んだ人がどう思うかな、というのは一応心に常に留めておかないと、と思う大人になってしまった自分(苦笑)。
 まー、あんなので気を使ってるつもりかと言われてしまうと、またそれも黙るしかないけど、なるべくニュートラルになるように、無駄な誤解をされないように、みたいな。
 自分自身、今以上に自分の口のせいで傷つきたくはないし、人を傷つけることもすべきではないし、と、一応は思ってたりして。
 それなりの自己顕示欲もあれば、自分をそれなりの人間であると自覚したい欲求もあって、それがたまたま、書くということで満たされてる現在、そこらをもうちょっと拡大してみたい、あるいは深く突っ込んでみたいと思う自分。
 自分がこういう人間なんだと、外に対して表現する、というよりも、自分は一体何モノなのかというのを、自分で知るための表現方法なんだろうなあと、書きながら思う。それなりに、自分はこういうヤツというのはわかりながらも、それでも新しい発見も日々あるわけで。びっくりだよ(笑)。
 こういう表現方法を、自分でそれなりに満足できる形で持ってる自分を、非常に恵まれた人間だなあと思う。
 元々ウツ気質で、死にたがり病があるので、それに対する治療ってわけでもないけど、致死量になりかねないストレスを発散する手段になってることだけは、間違いない。
 実際問題、サイトを始める前と、特にネットを通じていろんな人と繋がり始めてからを比べると、家出の数が全然違う(笑)。いや、家にいないとサイト更新できないから、という理由はあるんだけど(苦笑)。もっとも、ラップトップ買ってからは、今度は出先で更新できるので、家出期間が長くなる、というアレはあるけど(笑)。
 まあ、何ていうか、ラップトップを手に入れてから、完全に自分の世界を構築してしまったというのか、そのせいで、自分は元気になったけど、周囲のリアルな世界との軋轢は増えた、かもしれない。
 ほぼ毎日のように、トップにほろほろ書いてるようなことって、本来はリアルな友人に言ってしまってもいいはずのことなんでは、と思う。でもさ、そのリアルな友人ってのが、リアルな世界にいないんだよな。
 こんな夢を見た、こんなこと考えた、こんな音楽聴いた、こんな本読んだ、こんなことが好き、空がきれいだった、猫がどうしたこうした、日常の風景のかけらを、するっと肉声でこぼせる相手がいない。
 英語という言語のせいなのか、それともここの人たちが、わりとそういう気質なのか、人の話を聞く、ということはみなさんあまりお好きでないようで。何しろ自分を語ろうとすれば、カウンセラーとかセラピストという人種に、たっかいお金を払って時間制限つきで、ということになる土地柄、日本人なこいつは、彼らの言葉に耳を傾ける、非常に素直な存在らしい。語られることは山ほどあるけど、語るチャンスはほとんどない。
 それは、こいつが育った文化のせいでもあるだろうし、英語の壁ということもあるだろうし(んーでもどうだろう、と正直思うけど)、聞いてもらえないのでいいやと諦めてる、ということも、実はある。
 語るほど価値のあることでもないから、というのは、確かにある。だからこそ、気の置けない人にぽろっとこぼしたいことなのだけれど、その相手がいない。
 まー、淋しいヤツだなあと、あっさり言われてしまうと、苦笑いしか出ないけど。
 大学にでも行けばまた、ディスカッションの場があるだけに、人と"話し合う"という機会もけっこうあるんではないかと、ちょっと期待。でも大学に戻るのはまたずいぶん先の話だろうしなあ。
 そんなわけでまあ、自分の心の内の、大したこともないつぶやきのようなものを、ここでほろほろこぼしつつ、もちょっと尖ってギラギラした、取り扱い注意な放言/意見というものも、自分だと知られない場所で、こぼしてみたい欲求も、ある。
 自分の中で検閲掛けたくない、という気分が、たまに吹き出しそうになるから。
 よく考えれば、以前は、ある友人に、3日と開けずに手紙を書いてて、とにかく何から何まで、その中に吐き出してたような記憶がある。彼女は、それときちんとダンボールに保管しててくれたんだけど・・・いやはや。
 そういう意味で、こいつには、そんな彼女のような存在が、ちょっぴり必要だと、そう感じてるのかもしれない。
 今、こいつが大事だと思ってる、大切な人たちをうっかり傷つけてしまいたくないから、その人たちに、無駄な誤解をされたくないから、余計な心配を掛けたくないから、ようするに、まるっきり素の自分を見せると、捨てられると思ってるのか自分(大笑)。
 っつーか、相手によって、話題を選ばなきゃならない、ということがある。どヘテロの人に、延々ヘテロでないことの心痛を語っても仕方ないし、アニメなんか興味ない人に、009の素晴らしさを語っても仕方ないし(苦笑)、HR/HMを精神的苦痛音楽だと認識してる人に、DOOMを布教しようったって無駄だしなあ(大笑)。
 ようするにね、こいつが吐き出したいのは、聞いてる方が苦痛になる愚痴と放言になるだろうことは間違いないので、穴が欲しいわけね(笑)。"王様の耳はロバの耳ー!"って。
 何でもかんでも、遠慮仮借なく吐き出して、土掛けてすっきりみたいな。大人になると、相手の苦痛もそれなりに感じ取れるようになるので、相手にそういう負担を、なるべく掛けたくないと、思うだけは思うようになる。実行してるかどうかは、まったく別問題(ダメじゃん)。
 まー、でもなー、ブログはめんどくさそうだ(爆笑)。
 これ以上、ネットに吐き出す場所を作っても、管理しきれないだろうなあと、自分を冷静に見て思ってたりするので、ここでぼやいてみたところで、実行には移さない、っていうか、結局欲求よりもめんどくさーの方が勝ってる間は、まだまだこいつの精神は大丈夫ってことで。
 自分を大事にしたいと同じくらいに、大切にしたい人たちがいて、その人たちと、なるべく健康的に、長く、優しく、繋がってたいと思えるってことは、こいつはまだ、世界にたくさん未練がある。
 いやもちろん、あのDVDとかあの映画とかあれの新譜とか、そういう即物的な未練もありますが(爆笑)。
 自分に優しい世界を、大事にしたいと、しみじみ思う。ネットというのは、世界の厳しさ激しさ穢さをたくさん見せてくれるところだけど、同時に、その優しさ暖かさ深さ広さ穏やかさも、いっぱい見せてくれるところだと思う。
 何をどう選ぶかは自分次第。とりあえず、優しさにありがとう。



- Tor News v1.43 -