* みの字のコプヤンさんには「探し物はここにあるのに」で始まり、「それだけでいいよ」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば8ツイート(1120字)以内でお願いします。
いつか小鳥の飛ぶ日
探し物はここにあるのに、ヤンはそう思いながら自分の胸に掌を当てた。いや、ここではなく、もっと下か。掌はみぞおちへ下りてゆく。腹のどこかがざわざわする。蝶がいるみたいだと言う表現の通りの、何か、とても落ち着かない気持ち。
自分の胃の中の闇で羽ばたく蝶を想像して、ヤンはゆるく首を傾げた。何だか違う。蝶では少し優美過ぎる。自分のこの気分は、もっと生々しくて、掌に触れそうな肉感がある。指先でつまめる蝶の薄い、壊れものの羽ではなく、もうちょっと──。
魚かな、と思った。胃液の中を泳ぐ魚。ひらりと身を曲げよじり、方向転換する小魚。右へ左へと、自在に泳ぎ回る、魚。少しばかり自由過ぎる。違う、もうちょっと・・・。
ああ、鳥だ。胃や肋の鳥かごに入れられた、小鳥。色は至って地味な、歌いもしない、しゃべりもしない、ただ鳥であると言うだけの、小鳥。
ぱたぱた、ぱたぱた、ヤンの腹の中で飛び回っている。いや、飛び回ろうとして、鳥かごにぶつかって、また止まり木へ戻る。ここから出たい。自由になりたい。好きに飛び回って、どこまでも高く飛んでゆきたい。
無理だよ、自分の腹を撫でて、ヤンは呟いた。
おまえはどこにも行けないよ。おまえはずっとここにいるんだ。どこにも行ってはいけないよ。
ぱたぱた、ぱたぱた、鳥がまた羽を広げる。ここから出して。ここから出たい。自由になりたい。
だめだよと、ヤンはまた、なだめるように自分の腹を撫でた。
はためきは動く心臓のように、ヤンの内臓を震わせて来る。心地好いような、むず痒いような、あるいはどこかで吐き気に変わってゆくような、表現し難い感覚。いずれ苦しさに変わるのだと、ヤンは知っている。皮膚を切り裂かれるような、心臓を握り潰されるような、首を締め上げられるような、そうして死ぬような思いをして、この恋の行方を決めなければならなくなると、ヤンは知っている。
恋。胃からゆっくりと、何かがせり上がって来る。心臓が喉へ詰まったように、息苦しく、そうして腹の中の小鳥はそこでも羽ばたき続け、ここから出せ、自由にしろ、好きに飛ばせろと騒いでいる。
だめだよ、またヤンは思う。
おまえに、そんなことはさせられない。恋をしていると、悟られるわけには行かない。
よりによって恋の手練れの、あの美丈夫に、知られたら自分は死ぬしかない。現れるのは軽蔑か困惑か、あるいは案外親身になって、少し休まれてはと言ってくれるかもしれない。疲れていらっしゃるのですよ閣下、あの形の良い唇が、そう真摯に言う。
ああそうだね、思い違いにも程があるな、君の言う通りだ、わたしはとても疲れているに違いない──。
眠ってそうして、消えるはずもない恋の、小鳥の羽ばたきはいっそう乱れて、羽の先が胃壁をくすぐって来る。ここから出せ。ここから出せ。ここから出してくれ。好きにさせてくれ。自由になりたい。
そうだろうとも、そこから出て、自由に羽ばたいて、わたしは恋をしていると世界に向かって叫びたいだろう。木に止まれば木に、地面へ降りれば地面に、どこにいようと背景に溶け込んで、いるとも知れなくなる、小鳥。どれだけ必死にはばたこうと、どれだけ大きく鳴こうと、誰にも気づいてもらえない、小鳥。
それでも叫びたい。高く飛んで、羽ばたいて、わたしとわたしの恋はここに在るのだと、知らせたい。
この鳥は、一体いつ死ぬのだろう。一体何を栄養にして、胃の中で羽ばたき続けるのだろう。この想いか。この想いを食べて、小鳥は羽を震わせ続けるのか。
この想いが消えなければ、小鳥も消えはしないのか。このざわめきを抱え込んで、静かに、静かにと、ヤンはささやき続けるのか。
どうか、とヤンは思う。もしこの小鳥が外へ出てしまったら、ヤンの腹を切り裂いてか、喉を通って口から飛び出してか、空へ向かって飛び立つ日が来たなら、見上げて、せめて微笑んではくれないだろうか。声を掛けてくれとは言わない。腕を伸ばし、こっちへおいでと手招きしろとも言わない。指先に止まらせて、わずかな憩いの間に、その唇をつつかせてくれとも言わない。ただ、見上げて、ああ小鳥が飛んでいると、その灰褐色の視線を独り占めさせてはくれないだろうか。
それだけでいい。来てはならないその日を思って、ヤンはまた自分の腹を撫でる。小鳥がざわめく。誰も知らない、ヤンの小鳥。腹の中に飼い続けている、飛べない小鳥。
痩せた貧相な小鳥を、慈しむのはヤンだけで、愛されるなど望んだりしない。ただ、やっと空へ舞い上がる鳥を見上げてくれればいい。
もし、そんな日が来れば──。
それだけでいいよ、つぶやきに合わせたように、腹の中の小鳥が、ここにいると言いたげにぴいと鳴いた。
ぴいぴい、小鳥が情けない声で鳴いている。やれやれと、シェーンコップはその音の在り処を見下ろし、自嘲とも苦笑ともつかない笑みをこぼす。見えない鳥が、シェーンコップの腹の中で鳴いている。とても、情けない声で。
まったく、とシェーンコップは思う。外に出してやりたいのは山々だが、そういうわけにも行かない。何事にも、適切なタイミングと言うものがある。前線で戦う時と同じだ。闇雲に戦斧を振り回しても仕方がない。目の前に相手がいて、隙を見つけなければならない。そこに、的確に戦斧を振るわなければ、何もかもが無駄になる。
少なくとも、とまたシェーンコップは思った。戦争と違って、これは死ぬ恐れはないかもしれんがな。
それでも、傷つくことは怖いのだと、シェーンコップは冷静に自分の胸の中を覗き込む。
ぴいぴい、小鳥が鳴いている。外へ出たいのだと、空高く飛びたいのだと、自由をくれと、鳴いている。シェーンコップは、なだめるように自分のみぞおちの辺りを撫でた。
この小鳥に気づいたのは、一体いつだったろう。飼う気もないまま、腹のどこか、胃の裏か肋の中か、心臓と肺の間か、そんな風に時々いる位置を変えながら、ぴいぴいぱたぱたシェーンコップの中をざわめかせて、いつの間にか飼うことになってしまった小鳥の、どんな色とも知らない羽の羽ばたきを、シェーンコップは今日も聞いている。
小さなその首を、へし折ってしまうことなど、シェーンコップには造作もないことだった。片手の中に握り込んで数秒力をこめれば、そんな小さな鳥などすぐに殺してしまえる。そうしてシェーンコップの胸の中は、また静けさを取り戻す。
それなのに、そうできるのにそうはせずに、シェーンコップはこの案外騒がしい小鳥を身内に飼い続けて、ぴいぴいぱたぱた飛び回るのを黙認している。
小鳥の目は黒いだろうか。羽も黒いだろうか。濡れたような艶に、鋼のような青みを帯びて、金属めいた質感のくせに触れればあたたかく柔らかい、小さな小さな小鳥。シェーンコップをざわめかせて、落ち着かなくさせる、小鳥。
羽を切ってしまおうか。そうすればもう飛べなくなる。飛べなくなれば、外に出たいなどと騒がなくなるだろう。飛べない空を見上げて黒い瞳を翳らせても、飛べないものは仕方ないと、諦めてうなだれるだろう。
舌を切って、鳴けなくしてしまおうか。鳴かない鳥の、しんとした静謐に、物悲しさを感じても、落ち着かない気分よりはましだろうかと、シェーンコップは考える。
シェーンコップの腹の中の、黒い小鳥。つやつやの丸い頭を、撫でてくれと差し出して来る、ぴいぴい騒がしい小鳥。外へ出せたらいいのに。自由に外を飛ばせて、空の高さを味あわせて、そうしてきっと小鳥は、シェーンコップの許へは戻っては来ないだろう。
空の青さを知り、外の空気の甘さを知り、どれだけ伸ばしてもどこにも羽の当たらない世界の広さを知って、小鳥がシェーンコップの腹の中へ戻って来るわけがなかった。
そうでしょうとも。シェーンコップは、黒い小鳥に向かって笑い掛ける。貴方が、私の掌の中になど収まるはずがない。
シェーンコップの掌に乗って、あるとも知れない首を縮め、小鳥がぷうっと羽をふくらませる。うたた寝のために目を閉じ、シェーンコップの掌のぬくもりに安心したように、無防備にただの羽毛のかたまりになるとしても。
空を飛ぶには使われない羽。歌うためではない鳴き声。シェーンコップの中に閉じ込められて、どこにも行けず、何もできず、ただそこにいて、シェーンコップに奇妙な喧騒を与え続ける、小さな鳥。
この小鳥は、自分と一緒に死ぬのだ。自分の死ぬその日に、自分の腹の中で一緒に死ぬのだ。ここから出ずに、ここでだけ鳴き続け、そうして、シェーンコップの命の尽きる日に、一緒に小さな命を散らすのだ。シェーンコップの想いを食べて生きるこの小鳥は、シェーンコップが死ねば死ぬ。
だからその日まで、ここにいてくれと、シェーンコップは祈る。どこにも行かず、ここにいてくれ、一緒にいてくれと、シェーンコップは希(ねが)う。
ぴいぴい小鳥が鳴く。ここから出せと鳴き続けている。飛び出して一体、外で生きて行けるのですか貴方は。みぞおちに当てる掌に、どこか優しさをこめて、シェーンコップは小鳥の鳴き声を聞いている。
耳障りなその鳴き声を聞きながら、微笑ましそうに目を細めるシェーンコップの、けれど笑みは少しばかりいびつで、それはシェーンコップ自身には見えず、小鳥の羽ばたきにくすぐられたようにシェーンコップは首をすくめ、それきり微笑みは消え、小鳥だけがぴいぴいぱたぱたざわめいている。
腹のどこかから確かに聞こえるその音へ、シェーンコップはじっと耳を澄まし、何か言い掛けた唇は、けれどつぐんだままだった。