シェーンコップ×ヤン、それからリンツ。

The Colour of You

 食事にしては少々休みが長過ぎると、書類を片手に執務室を何度か訪れて、ようやく主が戻って来る足取りが奇妙に軽いのをリンツは見て取った。
 きちんと敬礼をして迎えると、返礼の構えを取る彼の口辺は上機嫌に上がり、リンツの抱えた書類の束の厚みを見ても、それはまったく変化しない。
 ああ、逢引きかと、やや古風な言い回しで、リンツは思った。
 部屋に入る上官──シェーンコップ──の背中を追い、追いながら、彼の肩にあったふた筋の黒髪を、リンツは黙って指先につまみ取る。リンツの仕草を横顔で追って、シェーンコップは照れ隠しかどうか、ぶ厚い広い肩をわずかにすくめて見せる。笑みはまだ浮かんだままだ。
 受け取った書類を、机に寄り掛かって斜め読みするのを眺めて、リンツは待つ時間を潰すために、ぼんやりと目の前の上官と、さらに彼の上官である、闇色の瞳の司令官のことを考えた。
 抜け目のないシェーンコップのことだから、彼をひと時、あれこれ必要な用と書類──今のリンツのように──を抱えて追い掛けて来る他の部下たちから匿うために、どこかに部屋の用意でもあるのだろう。
 黒髪の司令官の、昼のうたた寝に肩を貸したのか、それとも別の形で、彼の髪が肩に残るような姿勢にでもなったのか。
 特に関心はなく、リンツは考える。
 関心はない。けれど興味はある。ふたりが、ふたりでいる時にだけ見せる表情と空気を、リンツは頭の中で線にしている。
 誰が見ても端正なシェーンコップは、どれだけ線で表しても平面に収まり切らずに、知識も技術も足らないリンツは、架空であれ実際であれ、スケッチばかりを描きためながら、彫刻を目指しても良かったと夢のように思いつく。
 今も紙面に軽く目を伏せ、深く落ち込んだ眼窩に、完璧な円みを描いて収まる彼の眼球の、鉛筆では出せない灰褐色の光を、頭の中で絵の具を混ぜて色を作ろうと必死になって、オレでは無理だと結局音を上げることになる。
 暗色の瞳の司令官と言えば、こちらも凹凸の乏しい、陰影のない顔立ちは平面に出せばだたのっぺりと線が走り過ぎ、髪と瞳の昏さばかりが目立つ、奇妙に薄暗い印象がむやみに立って、実際の彼とは似ても似つかない造作がそこに現れる。
 彼のまとう、彼を彼たらしめるあの空気を、紙の上に、見たまま描き出す腕は、リンツには残念ながらない。
 それでも、リンツの頭の中には、無数の彼らの素描があり、記憶のずっと下の方にあるシェーンコップだけのそれは、引き出して眺めれば、現在の彼とは似ても似つかないのだった。
 陰鬱に沈んだ、怒りを抱え込んだ彼。それを抑え込みながら、自分に従う部下たちのために、常に前方を睨みつける彼の、あまりに生々しい、憤怒の表情。力強いはずのその背が、痛々しく見えたことも何度もあった。
 リンツの目を通して捉えたあの頃の彼自身の姿を、彼が見たいと思うとはとても思えなかった。
 彼は変わった。変えたのはあの司令官だ。あるいはこれが案外、シェーンコップの素なのか。
 どちらがほんとうの彼だろうとなかろうと、リンツはただ、いつか自分が見たままの彼を紙の上に描けたらと思いながら、シェーンコップの横顔を見つめ続けるだけだ。
 その彼の横顔を描き取るためには、その傍らに暗色の髪の司令官が必要だった。
 ひとりひとりではなく、ふたり一緒に。ふたりがふたりでいる時の彼らが描きたい。ふたりだからこそ発生する、まるで空気に色でもついたような、あの感覚。人と人と言うのはこんな風に互いに作用し合うのかと、白い紙に黒い鉛筆の線を走らせながら、世界に色のつく様を、リンツはまざまざと味わった。
 色が混ざり合う。新たな色が生まれる。その色へさらに元の色が重なり続ける。世界は一瞬一瞬色を変え、世界にただひとつの色を生み出す。彼らだけが生み出せる、その色。
 その色を、いつか紙の上に表したいのだと、リンツはもう何度も思ったことをまた思った。
 やっと書類が手元に戻って来る。シェーンコップは、さっきリンツが触れた自分の肩へ、何か思い出しでもしたように横顔を向けて、そうして不意に、リンツへ向かって機嫌の良い声を投げて来た。
 「リンツ、おまえ、ヤン提督を描いたことはあるか。」
 さっきまで考えていたことを見透かされたかと、表情は変えずにリンツはちょっと構えて、
 「──ないでもないですが、中途半端なスケッチだけです。お忙しい閣下に、モデルをお願いするわけにも行きませんし。」
 お忙しい、と言うところに、思いがけず皮肉をこめた形になったけれど、シェーンコップは意にも介さないようだった。
 「今度、俺に見せろ。気に入ったのがあったら買ってやってもいいぞ。」
 胸の前に腕を組んでそう言うのが、一体どこまで本気なのか、リンツは計りかねて困惑の表情を浮かべた。
 「オレの絵に金を払おうなんて、閣下も物好きですね。」
 面白くもない冗談だと、言外に匂わせて、リンツはそれ以上取り合わずに退室の素振りを見せる。
 「物好きで結構。」
 唇の片端だけを上げる笑い方をして、シェーンコップはそのままリンツを見送った。
 ヤンのところにシェーンコップの絵を持って行ったら、あの人はどんな顔を見せるだろうかと思って、その顔をスケッチするためだけにいつかそうしてみたいと、リンツの、死ぬまでに叶えたい夢のリストにまた新たな1行が加わる。
 ヤンの髪の黒の深さを求めて、リンツは少し長い瞬きをした。

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