* みの字のコプヤンさんには「ぱちりと目が合った」で始まり、「置いていかないで」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば2ツイート(280字)以内でお願いします。
Don't Leave Me
ぱちりと目が合った。薄汚れた犬だった。首輪はなく、毛並みのそれほど良くはなく、ちょっと険のある目つきでこちらを見て、それでも唸ったりはしないし、いじめないなら一緒にいてやってもいいと、そんな風に言っているような気がした。犬は飼ったことがない。宇宙船で飼える生き物は、もっと小さな、例えばねずみや小鳥がせいぜいだ。ひと抱えもある生き物は、地面のない生活には向かないように思う。
ユリアンの連れて来た猫の元帥が、だからヤンには生まれて初めて、まともに一緒に暮らした生き物だった。
この犬は、灰色がかった茶色の毛並みに、鋭い目つきと、けれどいかにも賢そうな見掛けで、ヤンに向かってぴんと耳を立て、走ればきっと足は速いだろう。自分よりきっと、とヤンは思う。
おいで、と手を差し出してみた。犬は少しの間それを窺うように眺めて、それからゆっくりと近づいて、そこへ冷たい濡れた鼻をくっつける。ヤンはそっと指先で犬の鼻先を撫で、頭を撫でた。
いい子だね。
ユリアンに言う時とよく似た口調で、思わず言う。犬は、意外なことを言われたと言う風に、毛色よりはずっと色の濃い瞳をちょっと見開き、そうか?と言う風に首を傾げる。
いい子だとも。おまえはとてもいい子だ。
一体何を根拠にか、ヤンはそんな風に言い、それが世辞でも何でもないのは、すでに浮かべている笑みにあらわだ。なぜ、とヤン自身も思う。
理由は特にないけど、わたしには、おまえがいい子だってのが分かるんだ。どうしてかな。
犬はヤンの掌へ向かって首を伸ばして来て、心地よさげに目を細める。それから、そうせずにはいられないと言う仕草で、ヤンの手を舐めた。
わたしのところへ来るかい。そうなら、首輪をつけないと。
くうん、と犬が、同意を示すように鳴いた。存外可愛らしい鳴き方に、ヤンはさらに微笑む。
ユリアンと元帥と、仲良くしてくれよ。それにまず、おまえを風呂に入れなきゃ。
また犬がくうんと鳴く。さっきよりは、少し控え目に。できるだけ何とかしようと、そう言っているようだった。
じゃあ行こう、と犬の頭に掌を置いたまま、同じ方向に足を踏み出した、そこで目が覚めた。隣りにシェーンコップがいる。
闇より色の淡いその柔らかな髪へ、起こさないようにそっと、ヤンは手を伸ばす。犬を撫でたように、シェーンコップの髪を梳く。
あれは君だったのか。首へ手指を移動させ、あごの線を包み、今は閉じて見えない瞳の色を、ヤンは少し恋しく思う。
剥き出しの喉。いかにも筋肉に包まれて硬そうに、ヤンはそこへ、そっと人差し指と親指を広げて添えた。そこにない首輪の代わりのように、自分の指を当てて、今はスカーフもネクタイもない、ヤンの所有のしるしのないその首へ、ヤンはちょっと不満げに唇を尖らせて目を凝らす。
首輪がなくても、君はどこにも行ってしまわないだろうか。わたしを置いて、どこかへ行ってしまったりしないだろうか。わたしは、君にとって、ずっと一緒にいたいと思ってもらえる、いい飼い主だろうか。
そうだと答えられなければ、この男は黙って微笑みを浮かべるだけだろう。
ヤンは体を滑らせ、シェーンコップに近づいた。首筋に手を添えたまま、その指先に決して力をこめないように気をつけながら、眠る彼の額に唇を押し当てた後で、自分の額をそっと重ねる。
どれだけ躯を添わせても、心を添わせたことにはならず、皮膚に隔てられた魂の在り処は、指先に触れて確かめられるものではないのだと、シェーンコップの首筋の脈を探りながら、ヤンは考えた。
わたしを置いて行かないでくれ。わたしがろくでもない飼い主でも、そうと告げずにどこかへ消えたりしないでくれ。
分け合った夜の後に、目覚めの孤独にふと耐えられずに、ヤンは、シェーンコップとひとつ身でないことを、心の底から悔いてみる。一緒に死ねないなら、一緒に生きていても空しい気がするのは、夜気の思い掛けない冷たさのせいだったろうか。
シェーンコップへさらに近く身を寄せ、その肩辺りへ顔を埋めるようにしながら、ヤンは聞こえはしない声でつぶやいて、それからもう一度、眠るために目を閉じる。狭まる視界をシェーンコップの喉でいっぱいにして、自分の紡いだ言葉を子守唄の代わりにした。
わたしを置いて行かないでくれ、シェーンコップ、わたしの犬──。