シェーンコップ×ヤン

Dressed to Kill

 ちょっとごめん、と小さくつぶやいて、ヤンがベッドを抜け出す。
 本人は静かにしたつもりでも、毛布はばさばさとめくれ上がり、ベッドも動きの勢いで揺れ、まだ眠ってはいなかったけれど、ゆるく訪れつつあった微睡みを破られて、シェーンコップは相手も構わず眉間を狭めた。
 薄闇の中で、ごそごそ何かしているヤンの姿を追って、目を凝らせば薄い背中が白く見える。床にしゃがんで腕を伸ばして何か探り、ようやくその背をふわりと覆って立ち上がると、
 「あ・・・」
と低い声が続く。
 「ごめん、ちょっと借りるよ。」
 一体何かと、もう完全に目覚めて、シェーンコップは小走りにバスルームへ向かうヤンをそこから見送った。
 躯が馴染んでしまっても、自分の体をしげしげ観察されるのは耐えられないのか、ベッド以外の場所でヤンは滅多と全裸を晒さない。何を今更とシェーンコップは思うけれど、これも育ちの違いと言うものかどうか、まったくお行儀の良いことでと、胸の中でだけ愛情をこめて毒づいておく。
 シャワーの音、水を使う音、匂いと跡を消すつもりにしては短いそれらの音の後で、ヤンが今度はやけに静かに出て来た。
 「ごめんよ、君のシャツだった。」
 言いながら近づいて来るのを薄目で見ると、確かに袖も裾も少し長い。肩と首が明らかに余り、ヤンの体はシャツの布地の中で軽く泳いでいる。
 何だそんなことかと、シェーンコップは苦笑に唇をねじ曲げて、ヤンを自分の方へ手招いた。
 自分のものと定められた武器や装甲服を、ローゼン・リッターの誰もほとんど恋人に対するように丁寧に手入れをして大切にする。彼らは所属の最初にそう厳しく教え込まれ、そのような扱いは、彼らの私物にまで及ぶこともあった。
 彼らの束ねであるシェーンコップは、部下たちにとって見本であるべきと思うせいかどうか、豪胆に見える彼にはちょっと不似合いに、物の扱いはひどく繊細で丁寧だ。他人に自分のものをやたらに触れられるのをひそかに嫌っているのに、ヤンは気づいていたし、自分に触れる時の手も、それ以前に想像していたのとは違って、驚くほど穏やかで静かだった。
 この男は、他人──主に女性──をこんな風に扱うのかと、自分がそう扱われながら思って、胃の裏側辺りにちくりと鋭い痛みを感じたのを覚えている。
 「私が間違えた時は、部屋を出る前に教えていただきたいものですな。」
 ヤンの腕を引き、自分の側のベッドの端に坐らせて、シェーンコップが可笑しそうに言う。
 「わたしのシャツが君に入るもんか。」
 「さあ、試してみますか。」
 自分のシャツを着ていることを、シェーンコップが不快には感じていないと見て取って、ヤンはまだそれを脱がずにいる。下のいくつかだけボタンをとめ、首も胸元も開いたまま、シャワーで落とした男の匂いは、けれど再びシャツから移って、台無しだと言うのにヤンはそれに気も止めない風に、珍しい仕草でシェーンコップの方へ体を傾けてゆく。
 ヘッドボードへ背中を預けているシェーンコップの両脚をまたいで、明らかに誘う動きで、鍛えられた太い首へ両手を添える。
 ヤンの剥き出しの腿と、シャツに覆われた背中へ、シェーンコップの掌が乗った。
 皮膚に、水ではない湿りがまた戻って来る。汗の匂いに魅かれるように、ヤンはシェーンコップの首筋へ顔を埋めた。
 珍しいと言うことは不慣れであると言うこと、つまりは不様と言うことだと、シェーンコップを誘いに掛かる自分の姿を冷静に観察しながら、それをシェーンコップに笑われはしないかと気にして、そこから気持ちを逸らさせようと、やけに情熱的に口づけをしてみる。
 演技ではない、自分はこの男が欲しいのだと思って、けれどそれを魅力的に表す術など、ヤンは持たなかった。その手のことはシェーンコップの方の十八番だ。手練れの前に素人の稚技ほどみっともないものもないだろうと思いながら、それでも意固地に、自分を下へ組み敷こうとするシェーンコップの手は拒み続ける。
 まとったシャツはシェーンコップ自身のように、そうして当のシェーンコップの腕の輪の中にいて、ヤンは二重にシェーンコップに抱かれていた。酒の酔いよりも深く、脳の奥がとろけて、背骨の根がしびれて来る。思考は真っ白になり、常に休まず動き続けている脳は緊急停止して、再起動を求めるメッセージを出し続けていた。それを無視して、ヤンは口づけを続けている。
 シェーンコップは、時間を掛けて指先をシャツの奥へ滑り込ませると、あえて脱がしはせずにヤンに触れ続けた。背骨のくぼみ、肋骨の凹凸、外れるたびに元へ戻る接吻の合間に、そこは剥き出しの鎖骨へ歯を立てて、次第に肩から落ちて来るシャツの襟ごと、ヤンの二の腕を噛んだ。
 万が一だらしなく着崩しても、絶対に見える気遣いのない辺りへ、自分の歯型と唇の跡を残す。自分の死に場所と定めた男を、絶対に手放すものかと言うシェーンコップの、奇妙に清冽な決心をヤンは言葉にして伝えられたことはなく、それでもこれらが、所有の印であると言うことは理解できた。
 自分のシャツをまとい、自分の匂いを、そうと知ってか知らずかまといつけているヤンの、誰も知らないだろうみだりがましさ、薄い腹筋を喘がせて、割れたシャツの裾から熱を勃ち上がらせている。見なくても、シェーンコップには分かる。
 若過ぎる相手には、もう保護者の気持ちしか湧かないシェーンコップにとって、少年の風貌のままで中身の一部は恐ろしく老成したヤンは、まるで16の頃に戻ったような弾む気分と、はるか年上の男に対峙しているような怯えと、相反する気持ちを同時に抱かせる。誰かとこうして抱き合うことに、明らかに不慣れな様子でも、躯はきちんと成熟した男のそれで、自分が抱いているのは一体誰だと、シェーンコップは倒錯と混乱の中に引き込まれながら、溺れてゆくのを止められない。止めるつもりもない。
 シェーンコップは今、呆れたことに、ヤンが着ている自分のシャツへ、ひどく嫉妬していた。自分より近くヤンの膚に触れるそれへ、それが自分のシャツ──さっきまで着ていた──であることに歓びを感じながら、自分の皮膚よりも近くヤンの傍へあることに、心臓を握り込まれたような痛みを感じていた。
 不様の極みだと思いながら、だからと言ってそれを脱がせるのはさらに不様を重ねるだけと思って、耐えることにすら欲情してゆく。
 そうして、ヤンの手が自分のそれに上から伸びて来た時、何もかもヤンに先手を取られるのが悔しい気が勝って、シェーンコップは容赦なく力をこめた手でヤンの肩を押した。
 そうして押さえ込まれればシェーンコップを押し返すことはできず、ヤンはそれでも少しの間じたばたと手足を動かし、合わないシャツの中で体がねじれ歪む様を、シェーンコップが辛うじて舌なめずりを抑えて下目に眺めているとは気づかない。
 もういいと諦めて手足を投げ出すと、すでに一度押し開かれている躯は素直にまた開いて、シェーンコップが触れて来ると、ヤンは無意識に腰を浮かせてそれを助けた。
 押し込まれる動きをむしろ自ら招くように、ヤンが動く。開いた脚ごと強引に折りたたまれた体が痛むことなど今はどうでもよく、無理を強いて繋げた躯がじきに溶け合うように馴染んでゆく流れを予想して、ヤンの首筋や胸元は赤くまだらに染まってゆく。
 薄く開いた唇の中で舌が動く様が、どれだけ扇情的か、当人は気づくこともなく、シェーンコップはヤンの中に引きずり込まれるのが自分の躯だけではないのを知っていて、その傾きを止められずにいる。
 案外と漏らす声が大きいのを、掌で覆って抑える気にならず、代わりに、シェーンコップはヤンの唇を自分の唇で塞いだ。叫ぶたびに動く舌を取り上げて、声ごと吸い取って、声を耐えた分、躯に響きが伝わって来る。
 よくも今まで、ひとりで耐えて来たものだと、隙間もなく自分に添って来るヤンの躯の中にすべてを投げ出しながら、シェーンコップは考えている。ろくに誰にも触れず、誰にも触れられず、読書と歴史と戦術の思考にだけ没頭して来たと言うのが嘘ではないのは、彼の手指の動きの拙さで分かる。それなのに、この躯の応え方はどうだと、それを引き出したのが自分だと言う自惚れは不思議と湧かずに、シェーンコップは両脚の輪の中に自分をとらえているヤンの、内腿の慄えに負けそうになりながら、必死で耐えた。
 底なしの、熱の闇。注がれるすべてを受け止めてもまだ足りずに、貪欲としか言いようのない姿を晒すくせに、それを醜いとも思わない。求められることに、今は全身を傾けて、シェーンコップはヤンに応え続けている。
 こうしている時には、彼の恐ろしく鋭敏な脳がその動きを止め、安らいでいるのかどうか、ともかくも休んでいるのが分かる。こんなことに思考は不要だ。抱き合って生み出す熱に浮かされて、後先考える必要はない。
 急所と弱みを晒して、そうできる相手と信用して、傷つきやすい姿で皮膚をこすり合わせる。その後に訪れる、心地好い虚脱感。すべてが空白になる瞬間。
 シェーンコップはヤンの胸に額をこすりつけるようにして、じっと動かずにいた。ヤンは両腕をシェーンコップの背中に回し、いたわるように撫でている。
 それは、死にも似ていて、死に場所を求めてまだ死に切れずにいる男への、ささやかな仮死と言う贈り物のようにも思えた。
 まだ死ぬわけには行かない。この人のために。
 ヤンの与えてくれる、束の間の仮死。それに満足して、現実の自分の死を考えなくなったのはいつからだったろう。
 シェーンコップは体をずり上げて、改めてヤンを抱きしめた。自分とヤンを隔てる、自分のシャツが、今はヤンの汗に湿っているのを確かめながら、これをそのまま着る翌朝を想像した。
 「・・・それはだめ。」
 躯を繋げると、脳のどこかも繋がるのかもしれない。シェーンコップの不埒な考えを読んで、ヤンが素早くそれを諌めて来る。
 「考えるだけでも?」
 「だめ。」
 きっぱりとヤンが否定して、シェーンコップの軽い笑いにふたりの膚が一緒に揺れた。
 だって君がそんなことをしたら、わたしは自分を止められなくなる──。
 言わない言葉を、シェーンコップは聞き取ったろうか。
 ヤンは長い腕に抱かれたまま、シェーンコップのシャツにまだ膚を包まれたまま、先に立ち始めたシェーンコップの寝息を子守唄に、やがて訪れて来る睡魔へ身を委ねるために目を閉じた。

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