リンツ×アッテンボロー

Eyes On You

 頬に触れる指先。なめらかなようでごつごつしていて、時々、傷があるのか皮膚のどこかに引っ掛かる。アッテンボローはそれに気づいても、できるだけ瞳を動かさず、顔もしかめず、名状しがたい表情で自分を見つめて来る男の、恐ろしく鋭い頬と鼻先の線へ視線を返す。
 泣く子も黙るローゼンリッターの、現連隊長、同盟生まれの元帝国人。ひょろりと背高いだけのアッテンボローと違い、この男は肩にも胸にも筋肉を重くまとって、今アッテンボローへ触れながら、二の腕にも筋肉が盛り上がっている。カスパー・リンツ。アッテンボローの恋人。
 口数は少ないようで、気分が乗ればおしゃべりになる。低い声は案外甘く、歌うと耳が吸い寄せられ、絵も描くこの男が、敵の血まみれになる戦争屋だとは信じ難い。
 戦争屋なのは自分も同じだ。思いながら、アッテンボローは、自分へ向かって来ながらかすかに震えているリンツの唇へ、そっと視線を滑らせた。
 リンツの描くどの絵のキャンバスよりも皓い彼自身は、黙っていれば恐ろしく精巧な彫刻のようだ。触れるのが恐ろしいような、ほんとうに動いているのが信じられないような、帝国人独特の風貌の、削ったような硬い線に縁取られて、血の色を確かめて初めて自分と同じ人なのだと思える。
 今も自分の頬に触れている指先の熱さへ、アッテンボローは一瞬目を閉じ、また開け、やはりリンツは消えたりはせず、幻ではないのだなと、思いながらその背へ腕を回した。
 自分を射抜くような目。エメラルドよりも少し薄い緑の、エメラルドよりもずっと──アッテンボローにとっては──貴重な、ふたつの目。瞳が動き、アッテンボローを観ている。アッテンボローの鼻の線を、眉の流れを、耳の凹凸を、何もかもを、絵に描き写すために見て、頭の中で今目の前のアッテンボローを描いている様が、はっきりと見えた。
 おまえの頭はガラスみたいだなと、言ったことがある。おまえの考えることはまるきり素通しだ。
 リンツはにこりともせず、その、薄い唇を見惚れるほど美しく動かして、表情もなく言った。あなただからです、提督。あなただから、見えるんです。
 焼き殺されそうだと、アッテンボローは思う。この目に、焼き殺されそうだ。視線にそんな力があるなら、リンツはもう何度も何度もアッテンボローを焼き殺している。
 触れる掌の熱。それもまた、アッテンボローを煮え立たせて、ふと、リンツに殺される敵を、アッテンボローは羨ましくさえ思った。
 皮膚の下に流れる血。それが、リンツのせいでどれほど熱いか、知らせてやりたい。リンツの視線に焼かれて、アッテンボローがどれほど息苦しいのか、思い知らせてやりたい気持ちになる。おまえのせいだ。全部、おまえのせいだ。
 死にそうなのは、私の方です。この男はきっとそう言うだろう。いつもの、あるともないとも知れない表情を浮かべて。そうだろうとも。オレとおまえはこんな風に殺し合って、いつだって息絶え絶えだ。血と皮膚を煮立てて、互いの熱さに焼き尽くされる。
 そんな風に、オレを見るな。
 熱っぽく潤んだリンツの瞳が、またアッテンボローを焼き尽くそうとする。骨の中から熱くなって、アッテンボローはもう焼けて溶けた舌で何も言えず、ただリンツの唇を受け止めるしかできなくなる。
 呼吸も鼓動も何もかも、リンツのせいで止まるなら、アッテンボローは口先だけの文句で目を閉じるだろう。世界の終わりの日に、一緒にいたいのは誰かと、幼い日戯れに姉たちに問われたその答えが、今ならはっきりと分かる。
 癇症に整えられたリンツの指の爪は、戦闘のためと言う建前で、ほんとうは自分のためだとアッテンボローは知っている。その爪の先に、ほんのわずかに残る、絵の具の匂い。そしてこんな真近に見れば、かすかに使った色が残り、それが自分の髪を塗った色なのだとも知っている。
 リンツの描いた自分の、鏡の中には決して見出せない線、色、陰、表情。それがリンツの見ている自分なのだと、思うたびアッテンボローはもっと息苦しくなる。
 節の高い、指の長いリンツの手。ぶ厚い掌はところどころ固く、アッテンボローに触れる時、リンツは時々その手を恥じるような素振りを見せる。戦斧を振るって、人を殺す手。返り血を浴びて、リンツは汚れていると思っている、その手。
 自分の頬へそっと触れているリンツの手に、アッテンボローは自分の掌を重ねた。ふたつの手へ向かって顔を傾け、眠るような間遠な瞬きをして、それから、アッテンボローは真っ直ぐにリンツを見つめた。自分を焼き殺す瞳へ、焼き殺すための視線を返す。焼き尽くせるなら焼き尽くしてみろと、挑むような自分の視線が、この上なく優しくなごんでいるのを、アッテンボローは知らない。
 リンツが、また観察する目を細めて、アッテンボローの、前髪に紛れるまつ毛の数でも確かめるように、鼻先の触れる距離をさらに詰めて来る。
 瞳を閉じて重なる唇の間で、リンツを呼んだアッテンボローの声が、この世の誰が知るよりも甘く響いて、そしてリンツに吸い取られた。

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