* コプヤンさんには「魔法は3秒で解けました」で始まり、「また一から始めよう」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば10ツイート(1400字程度)でお願いします。
From the Beginning
魔法は3秒で解けました。そんな声がヤンの頭の中に、優しい女の声で響いた。自分の足元と手を眺めて、普段はあまり人に見せない、ちょっと邪悪な怒りの表情が目元をよぎる。なぜこんなことをしようと思ったのだろう。自分の服を探していたはずなのに、なぜ一緒くたに重なり絡まった服の山の中から、自分のではなく、シェーンコップの上着を取り上げてしまったのか。
手に持つと、それはずっしりと重かった。サイズが違うのだから当然なのだけれど、肩に乗せても重いだろうとふと思ったせいだ。きっと。
そして思った通り、彼の大きな上着は重かった。肩の位置が恐ろしいほどずれ、袖も当然すっぽりと手を覆った。ふむ、と思ってから、それならついでにと、シェーンコップのスラックスも取り上げて、足を通した。ベルトがなければ足元まで即落ちる。ベルトがあっても、ウエスト回りの余り具合の見栄えがあんまりだった。
倍はさすがにないと、冷静に、見下ろして思った。冷や汗をかかないのが精一杯だった。
この男が大きいのは知っている。自分の手足でいつも測って、今だってひとりきりで、腕で作った話で、胸回りを正確に表せる。
長い手足、ぶ厚い胸板、陸戦部隊のローゼンリッターの連隊長──近頃、元、になった──なのだから、鍛えていて当然だ。デスクワークばかり、それすらチャンスがあればさぼろうと、つねに知略を巡らせる自分が、体格で勝てるはずもないのは自明の理だ。いちいちこだわるのは時間の無駄だ。
なのに、とヤンは、自分の体にまといついたシェーンコップの服を見下ろして思う。
これは少しばかり不公平に過ぎないか。これではまるで、自分は子どもみたいじゃないか。
重い。自分では歩くのも大変そうだ。垂れた袖と、動けば確実に踏みつけるスラックスの裾を見下ろして、ヤンは思う。何もないところで転ぶ自分が、こんな状態で歩き出したら、2歩目に転ぶのは間違いない。それを途中で防ぐはずの男は、まだベッドで眠っている。
職務怠慢だ、とヤンは無表情に思った。
服を手にして、着てみようと思いついた時の、少しわくわくした悪戯心はすっかりどこかへ消え失せ、ヤンはむしり取るようにシェーンコップの服を脱ぎ捨てると、ぽくぽく裸でベッドへ戻る。そして、起こさないようにとそっと抜け出た時の心遣いなどさっぱりどこかへ捨て去って、ぎしぎしベッドへ上がり直し、こちらに向いた大きな背を、いきなり掌でどやしつけた。
その一撃──その程度、この男には蚊に刺されたほどでもないだろう、それがまたヤンには忌々しい──で確かに目覚めたくせに、シェーンコップは寝た振りを続けて身じろぎもしない。ヤンはぷっと頬を膨らませ、今度は両手を拳にして、ぽこぽこシェーンコップの肩や背中を叩いた。
「何ですか司令官、小官が何かいたしましたか。」
やたらと丁寧な言葉使いで、シェーンコップが肩を回して来て仰向けになると、降り落ちて来るヤンの拳を、痛めない程度の強さで受け止めながら、
「起こすなら、もう少し優雅に願いたいものですな。」
寝乱れた髪と髭面に似合わない、元帝国人らしい穏やかな口調で、突然の上官の不機嫌をなだめに来る。
両方の手首を取られて、ヤンはシェーンコップを見下ろして、少し本気を出せば、この男はヤンなどあっさり押さえ込んで、一生恐怖で口もきけなくするなど、まさしく赤子の手をひねるが如きだろうと思った。けれどそうはしないのを、ヤンは知っている。しがみついてもしがみついても、ヤンでは手足の長さの足らないこの大きな男が、ヤンを傷つけるなど考えもしないのを、ヤンは知っている。
ムカつくなあ。ヤンは胸の中で舌打ちをした。自分の理不尽な八つ当たりを、理由は分からないまま、八つ当たりと悟って、こんな風に自分をあやしに来る男へ、今度ははっきりと見えるように舌打ちをした。
自分に向かってだ。シェーンコップに対してではない。けれどそんなことを、わざわざ説明はしてやらない。
裸と言うのは、何も着ていないと言うだけではないのだ。そのまま、無防備な自分が現れる。隠す術のない、自分も見慣れない自分と言うものが、そこで、まさしく裸で震えているのが見える。
そんな自分を晒して、なぜこの男の前では平気なのだろうと思いながら、ヤンはシェーンコップに取られていた手を引き戻し、改めてゆっくりと差し出し直して、シェーンコップにしがみついた。
自分を殺せる男が見せる優しさに、まだ慣れない。いつかこれに慣れ切って、なければ耐えられなくなると言う想像に、ヤンは耐えられない。
しがみついてもしがみついても、足らないように、果てがないように、大きな男の体へ全身の重みを預けて、また今日も、最初からこの男に慣れ直すのだと思う。
シェーンコップの長い腕がヤンの体に巻き付いて来て、あくまで優しく、自分の下へ引き寄せてゆく。
また一から始めよう。視線を交わしただけのあの時の、まるきり最初から。
体の重みをすべては掛けずに自分を抱きしめて来る腕の中で、ヤンは薄い胸をせいぜい反らして、自分の皮膚にこの男の汗の匂いを染み付かせることから始めようとする。
肩に乗った男の上着の重さと、肩に回った腕の重さが、とてもよく似ている気がした。