シェーンコップ×ヤン。

こつん

 シェーンコップが、そっとヤンの指に触れて来る。
 指先を取り、掌を重ねて来て、手首の辺りへ触れながら、ヤンが逃げなければ、次には額が近づいて来る。額の間で前髪が交じり、それが皮膚とそのすぐ下の骨へ、さりさりと言う乾いた音を響かせて来る。
 その近さで見るシェーンコップの、まつげの濃さと長さと、そして完璧に思える眼球の丸さに、ヤンはいつも頬と首筋の熱くなるのを止められない。
 灰褐色の瞳が自分を見つめて来て、通った鼻筋とそれへ揃えたような頬骨の線と、ヤンは視界のすべてをシェーンコップの皮膚や骨の線に覆われて、その次に起こることを正確に予期しながら、自分から軽く唇を開くのだった。
 自分を誘う時に、唇より先にまず額を重ねて来るシェーンコップのその仕草を、ヤンはいつも動物のようだと思う。何もかもが洗練され切った男が見せる親愛の所作は、不思議と児戯めいて、原始的でさえあって、それはもしかすると、こんなことに不慣れなヤンに合わせてシェーンコップが考え出したやり方なのかもしれなかったけれど、他の相手の時にシェーンコップがどんな風にするのか、ヤンに分かるはずもなく、実のところ想像の埒外で、そんなことは考えたくもないヤンだった。
 手に触れていたシェーンコップの掌は腕を撫で上がり、肩を通って首筋へたどり着く。あごと耳朶の下を覆われる頃には、ヤンのそこからシェーンコップの掌へ熱が移り始めている。
 ごつごつと固い手指が、見た目とは裏腹な優しさでヤンの皮膚へ触れて来る。シャツのボタンを外すのも先を急がずに、むしろシェーンコップの服を剥ぎ取るのに焦るのは、いつだってヤンの方だった。
 時間のなさを気にしながら、そそくさと躯を合わせることもあるし、貪る貪られるとしか言いようのないやり方のこともある。そんなわずかな例外を除けば、シェーンコップは常にヤンを丁寧に扱い、触れ方はいつも穏やかだった。
 自分を、こんな風に丁重に扱う誰もヤンには覚えがなく、これは自分が上官のせいだろうかと思ったこともあるけれど、ひそかに流れる彼についての噂話を拾い集めると、誰に対してもこんな態度らしいと結論づけるしかなく、なるほど女性にもてるはずだと、ヤンは妙な納得の仕方をした。
 シェーンコップに抱き寄せられながら、自分が本ならこんな扱いをされたいと思う。シェーンコップを本だと思わない自分は、シェーンコップを本を大事にするように大切にしているかどうかは自信がなく、せいぜいシェーンコップの手指の動きを真似て、雑にならないようにシェーンコップに触れるのが精一杯だ。
 シェーンコップの腕の中に収まって、ヤンはいつも余裕を失い、シェーンコップの唇が熱っぽくあちこちに滑って来るのに、声を耐えることさえできない。シェーンコップがそう唆しているのだと思えば、少々の声を放っても、それが大き過ぎると鼻白むこともないだろう。
 今も、シェーンコップが唇を外した途端、ヤンは喉の奥へ引っ掛かっていた声を首筋を反らすようにして放ち、その直後には息ができずに、シェーンコップの肩へしがみついていた。
 呼吸のできない腹いせのように、筋肉ばかりの固いそこへ噛みつき、声を殺す言い訳でぎりぎり歯を立てた。どれだけ噛み込もうとしても、シェーンコップの体はヤンの歯列を弾いて、噛み切る覚悟でもなければ痕も長くは残せない。
 さすがに痛みから逃れるように、シェーンコップの体がヤンの上で滑り、滑りながら、あちこちに唇の跡を落としてゆく。鎖骨の窪みに入り込んだ舌がそのまま下がり、肋骨の流れをたどる途中で、胸の尖りをかすめてゆく。ヤンの声の湿りを確かめると、シェーンコップはまたそこへ戻って、唇の間に挟み込んで、しばらくそこから動かない。
 ヤンは背を反らし、自分からシェーンコップへ体を押し付けるようにして、もっととねだった。シェーンコップの舌が動き出すと、さっきのお返しのようにそこを軽く噛まれて、ヤンがまた声を立てる。
 もう片方を指先に遊ばれて、ヤンは代わりにシェーンコップの髪の中へ両手の指をもぐり込ませて、柔らかい髪を梳くようにしながら、同じ指先で耳を探る。複雑に流れる線のすべてへ指の先を差し入れ、固いような軟らかいような、どちらとも判別し難い軟骨を指の間に挟み、耳朶へたどり着くと柔らかさに安堵のような感覚を覚えて、そうする間に、シェーンコップがみぞおちへ頬ずりするようにさらに体をずらしてゆくのに、ヤンは思わず体をねじった。
 親指の付け根を、自分で噛む。主には声を耐えるために。シェーンコップの唇が輪郭をたどって滑り始めると、自分の声が聞くに耐えないほど高くなるのにヤンは気づいていて、シェーンコップが握り込みながら丁寧に舌を滑らせる動きを下目に見ながら、いっそう強く自分の手に噛み付いていた。
 シェーンコップに飲み込まれ、湿った舌と喉の奥の熱に焼かれて、ヤンはそこでまだ果てないようにするのに精一杯だった。熱いと思うのが、シェーンコップの舌なのか自分のそれなのか分からず、唾液に滑り始める自分のそれが、シェーンコップの唇の間を滑らかに出入りするのを、そこだけは自分の躯ではないように、伸ばせば腕の届く距離だと言うのに、永遠の果てのように見ている。
 シェーンコップと、食い縛った歯列の間からやっと呼んだ。呼ばれたシェーンコップはヤンから唇を外し、ヤンの膝裏へ掌を添えて来る。脚を持ち上げられ、腿裏を探られながら、平たく開いた躯の上へシェーンコップが重なって来て、胸が触れ合うと、ヤンは遠慮なくシェーンコップを力いっぱい抱きしめ、そして吠えた。
 躯の奥で触れ合って、満たされながら、同時に背骨の根に引き裂かれそうに、これを快と言い切る自信はいまだないまま、ヤンはしゃにむにシェーンコップにしがみついていた。
 酸素は、肺からではなく皮膚から吸収されるように、口も喉ももう、ヤンにとっては呼吸のためではなく、シェーンコップの名を叫ぶだけの器官だ。喘ぎと名前の音が混ざり合って、全身でヤンを満たして来るシェーンコップの、皮膚から汗の湿りと酸素を吸い取って、ヤンはそれによって今生かされている。
 呼吸、意味のない発声、手足に感覚はなく、ヤンは自分が何をしていると言う意識もなく、自分の上で動くシェーンコップへ、ただ熱だけで応え続けていた。
 躯の深みへ、シェーンコップを引きずり込んでいると言う自覚などなく、そこへ囚われたシェーンコップも、呼吸を求めて喘いでいるのに、その音を自分の声と判別もできずに、ヤンは自分だけが蜜色の波にさらわれて、そこで溺れているように思った。
 より高みに引きずり上げられるような感覚の中で、自分だけがそれに翻弄され、我れを失い、そこではもう乱れ切るしか術のない自分の、拙さや不慣れさは不器用さは、シェーンコップが何もかも飲み込んで問わずにいてくれるのだと、ひとり勝手に思い込んで、躯の奥からあふれて止まらない潤みには気づかない。
 溺れているのはふたり一緒なのだと、たとえどれだけシェーンコップが言葉を尽くしたところでヤンは信じはしないだろうし、自分のものではない躯が何をどんな風に感じているか、分かるはずもないのだから、こうしてシェーンコップが、ヤンの中をほとんど暴力のように揺すぶってゆくのと同じほど、ヤンもまたシェーンコップを、殺しそうにその中で溺れさせているのだと、ヤンには伝わるはずもなかった。
 自分の中を進んで来るシェーンコップを、その熱さも、その質量も、その鋼の様も、ヤンがことごとく受け入れて、あらゆる隙間も許さずに包み込んで、粘膜の熱で溶かしてゆくのにシェーンコップはただ耐えた後に、耐え切れずにヤンに負け、心地好い敗者の気分へひたりながら、またそっとヤンの額へ自分の額を重ねるのだった。
 互いに、何もかもを剥ぎ取った、文字通りの生まれたままの姿で、絡み合った手足はまだほどかずに、外れた躯の代わりに唇を触れ合わせて、ヤンは自分の中から去ったシェーンコップへ名残りを惜しんで、体の位置を入れ替えるとシェーンコップの上へ乗った。
 読み終わった本をまだ閉じる気になれないように、ヤンはシェーンコップの汗に濡れた髪を梳き、耳や頬やあごの線に、ついばむような接吻を繰り返す。続きを求めてではなかったけれど、ただ離れがたくて、ヤンは優しさと熱と激しさの余韻に酔っていた。
 その酔いに誘われたように、ヤンはふとシェーンコップの頭を抱え込むようにすると、こつんと、シェーンコップの額へ自分の額を重ねた。
 全身を満たした歓びの嵐は、まだ脳のどこかへ漂っていて、それにまだ慄え続ける自分の振動を伝えたくて、ヤンはシェーンコップと額を合わせて、じっと自分の中の羽音のような気配へ耳をすます。
 自分を真似たらしいヤンのその仕草に、シェーンコップも目を細め、ヤンの聞いている音が聞こえるのかどうか、ヤンへ凝らした目を、そのまま眠ってしまうような間遠さで瞬かせ、もう少しだけ顔を近づけると、鼻先が触れ合い、唇の間で、呼吸だけが触れ合った。
 呼吸の音も心臓の動く音も、何もかも今はどこか遠くへ追いやって、合わせた額から伝わるかすかな音に、ふたりは身じろぎもせず、一緒に聞き入っている。

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