シェーンコップ×ヤン
* みの字のコプヤンさんには「淡い夢を見ていた」で始まり、「君には届かない」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば12ツイート(1680字)以内でお願いします。

枷の先

 淡い夢を見ていた。ぼやけた輪郭ばかりの、何の形も定かではない夢の中で、声だけがくっきりと聞こえて、ああ、君かとそこでヤンは思った。
 相変わらずだらしのないヤンのスカーフを見咎めて、シェーンコップが手を伸ばして来る。まったく艦隊司令官ともあろう方がと小言つきで、優雅な手つきでスカーフをほどき、そこに現れたネクタイも結び方のあんまりなのに一瞬無言になって、
 「提督・・・。」
 呆れて物も言えないと言うのは、あんな表情のことを言うのだろう。シェーンコップはネクタイも手早くほどいて、両方をまずきちんと伸ばした。
 それからヤンのシャツの襟を持ち上げ真っ直ぐにしてから、真っ直ぐにしたネクタイを真っ直ぐきちんと、撫でつけながら巻き付けてゆく。ユリアンがするよりもさらに丁寧で、そして下目に手元を見るシェーンコップの目つきが思った以上に真剣なのに、ヤンはちょっと決まりの悪い思いで、ちらちら視線をさまよわせる。
 掌のぶ厚くて指の長い手は力強く動き、それでも優美さを忘れない。
 見なくてもぴしりと決まったと分かる結び目を、馴染ませるようにシェーンコップが撫でる。
 「スカーフで隠してしまうのがもったいないな。」
 「こちらは置き忘れた振りでもなさいますか。預かって、後で坊やに届けても構いませんよ。」
 「いや、いいよ、ちゃんと巻くよ。」
 ヤンの言葉に促されて、シェーンコップがくすりと笑って、次にはスカーフを手に取った。
 「軍がそこまで考えたかどうか分からないが、赤いネクタイがどうも血色の首枷に思えてね。それを、自由の象徴とやらの白のスカーフで覆うなんて、話が出来過ぎじゃないか。」
 シェーンコップがそうしやすいように、喉を伸ばして苦笑交じりにヤンが言う。それを聞きながら、なめらかに動き続けていたシェーンコップの指先が、途中で止まった。
 「穏やかな話ではありませんが、詩的なところはさすがですな、司令官閣下。」
 一体本気かどうか、それともいつもの揶揄か、シェーンコップがそんな風に言う。
 「極めて散文的な解釈だよ。君の皮肉も、そこまで来るとさすがにわたしも傷つくな。」
 文才がないのは自覚のあるヤンは、思わず唇を尖らせた。
 「皮肉ではありませんよ、素直に褒められて下さい。」
 静かに言う口元には、言う通り毒の気配は漂わない。
 また指が動き出す。ヤンの伸びた喉に巻いたスカーフがゆったりと結ばれて、ヤンの言う、血色の首枷を覆い隠す。白さが、目に突き刺さるほどまぶしい。シェーンコップは出来栄えを、ちょっとあごを引くようにして確かめた。
 「少しは、ご自分の男振りに頓着していただきたいものですな、部下としては。」
 「君みたいなのが傍にいて、男振りもへったくれもあるもんか。」
 同盟軍一と名高い美丈夫へ、ヤンは本気で不貞腐れた声を出す。外見に言及されたことについては何も言わず、シェーンコップは軽くすくめた肩へ向かって頭を傾けて見せる。
 「連れ歩くなら見栄えの良い方が良いのでは?」
 「良過ぎるのも問題だな。第一、見栄えで君を選んだわけじゃないよ。」
 ヤンが言った途端、シェーンコップの形の良い眉が、きっちり計算したような高さに上がった。
 「さすが我らが司令官閣下は、人を見る目がおありだ。見てくれにはごまかされないと。」
 さり気なく、自己評価の正当な高さを隠しもせずに、シェーンコップが大仰に喜んだ振りをするのに、ヤンは自分の、極めて平凡な見掛けを、シェーンコップに合わせて卑下した振りを見せる。
 「見た目で何もかも決まるなら、わたしみたいなのは一生辺境で、いりもしない資料の整理で終わったろうな。」
 シェーンコップが遠慮もせずに、ヤンの言い草に吹き出した。まったくその通りですなと、言い継ぐのにも容赦はない。
 「私も別に、見てくれだけで前線を生き延びて来たわけではありませんがね。」
 「当然だよ。」
 茶化しながらも、ヤンには本音を隠さないシェーンコップへ、ヤンのその時だけは声音を生真面目にしてうなずいた。
 急にシェーンコップは無言になると、するすると自分のスカーフをほどいた。上着の下から、きちんと結ばれているネクタイを引き出し、その先をヤンへ向かって差し出す。
 「軍に着けられた首枷かもしれませんが、この先を握るのは貴方だけです、閣下。」
 穏やかな目色には、微笑みの気配がにじんでいる。
 ヤンは戸惑って、持ち上げ掛けた手をそこで止めた。
 「ここでは野良犬扱いの血統ですが、血筋は保証いたします。貴方が選んで下さった私が、貴方を選んだのです。野良犬に落ちぶれはしましたが、我々の気位の高さは貴方がいちばん良くご存知だ。」
 「君は──君たちは、野良犬なんかじゃないよ。」
 「家のない犬は、みな野犬です。我らに住む場所を与えて下さったのは閣下です。」
 「それだけなのに、君は、君の誇りだとか命だとか、そんなものまで差し出すのかい。」
 「貴方にだけです。貴方にだから差し出すのです。同盟にじゃない、私の首に鎖を巻くのは、貴方だけです、ヤン提督。」
 ほとんど懇願のように、シェーンコップはネクタイの先を差し出して、少しずつヤンに近付けて来る。いらないと言う言葉など、聞くようにはまるきり見せなかった。
 「わたしは、動物なんか飼ったことはないんだ。自分の世話もろくにできないのに。」
 「構いません、自分の世話は自分で焼きます。閣下はただ、私を閣下の犬と思っていて下されば良いのです。」
 今にもそこに膝でも折りそうに、ヤンがやっと取ったネクタイの先を、満足そうにシェーンコップは見ている。
 わたしの犬、とヤンは思わずつぶやいて、そのネクタイの先を無意識に握りしめた。
 それなら、わたしの首枷は、一体誰が握るのだろう。永遠に同盟軍なのか。あるいは同盟政府か。いっそ外して、誰にも縛られずに走り回ってやろうか。
 そう思って、そうする時も、シェーンコップは恐らく自分の傍らを走ってついて来るのだろうと思った。
 ひょっとして、わたしが差し出したら、君が受け取ってくれるのか。君の首枷の先をわたしが握るのと交換に、君がわたしの首枷の先を握るのか。そうしてわたしたちは、鎖の長さ分の距離でこうして見つめ合って、ともに同盟に縛られた身であることを一瞬だけでも忘れた振りをするのか。
 それはできない相談だった。艦隊司令官と言うのはそういうものだ。
 シェーンコップの首枷を、自分のものにすることはできる。けれど自分の首枷を、軍以外の何者かに握らせるわけには行かなかった。それを取り去ると言う選択も、ヤンの中にはないのだった。
 そんな、自分の、無意識の本音など現れた夢なぞ見たくはなかったのに。奇妙に嬉しそうなシェーンコップが忘れられずに、ヤンは空の自分の手を、思わず暗闇の中で眺める。
 残るのは、ネクタイの生地の感触か、冷たい鎖の感触か。
 今は何も巻かない自分の首を、その掌で撫でて、そうして、そのひと振りで何万人も一度に殺す自分の手を、ヤンはぼんやりと宙に持ち上げた。
 首枷は、最初から血色だったわけではない。血染めにしたのは自分だ。それを誰かに手渡すのは、あまりに無責任だと思いながらも、持たせるならシェーンコップしか思い浮かばない。同じ血まみれの手で、あの男ならためらいもせずそれを受け取るだろう。
 だからこそ、自分の首枷の面倒は自分で見るべきだと、そうするしかないのだと、望んでこの地位についたわけではないと心の中ではひとりごちながら、ヤンは空の手を毛布の下へ再びもぐり込ませた。
 君には届かない──。
 届かせてはならないのだと、ぐずぐずのネクタイをほどいたシェーンコップの、指先のぬくもりを思い出して、ヤンはもう一度眠るために目を閉じた。

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