シェーンコップ×ヤン、6/1。
* コプヤンさんには「私達は人間でした」で始まり、「迷子ではいられない」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば2ツイート(280字)以内でお願いします。

Lost Dog

 私たちは人間でした。シェーンコップがそう言ったつもりの声は、わうと言う吠え声になった。それを見下ろすヤンは、そうあるはずよりもずっと若く、少年めいたではなく、実際に少年のようだった。
 シェーンコップはヤンを見上げてから、自分の体を眺めた。四つ足の獣。大きな耳が垂れていて、頭を振ると一緒に動く。それを見てヤンが笑う。笑うヤンがもっと見たくて、今は犬のシェーンコップは、右に左に繰り返し頭を傾ける。
 長い首には首輪、そこに繋がれたリードをヤンはしっかりと持ち、どう見ても散歩の途中の飼い主と飼い犬の図だ。そうか、とシェーンコップは思う。
 この世界にも戦争はあるのだろうか。今も戦時中なのか。それともここはただ平和で、この少年のヤンが犬を連れてぼんやりと歩いていられるほど穏やかな時代なのか。
 戦争が終わって軍人たちは不要になり、だから我々はこの世界にいるのか。
 犬と飼い主でもいい。ヤンと一緒にいられるなら、どんな世界でもどんな状況でもいい。一緒にいられるなら、それでいい。
 どうせ、軍人であった時もヤンはシェーンコップの飼い主で、シェーンコップはヤンの飼い犬だったのだから、姿がそれに即して変わったと言うだけで、似たようなものだと、シェーンコップは今は犬の笑い方で口を大きく開けた。
 ヤンの手が、シェーンコップの頭を撫でる。これも同じだ。灰褐色の人間の髪はないけれど、毛色は今も似たような色だ。
 私は、貴方の、ほんとうの飼い犬になったのですね。
 そう問うシェーンコップの言葉は、残念ながらヤンには通じず、けれど気持ちは伝わるのか、あたたかな視線をシェーンコップに向けて、今はふっくらと赤い頬が健康そうに、瞳も人らしく潤んで見える。
 ヤンはシェーンコップの前へしゃがみ込み、微笑み掛けながら顔を近づけて来る。唇を額に押し付けた後で、獣同士のように額を合わせて、ヤンが何やらつぶやいたのは、犬のシェーンコップのこの世界での名前らしかった。
 今では人間の発する音はよく聞き取れず、一体自分が何と呼ばれたのか、知りたかったけれどそれはできず、シェーンコップはヤンに合わせて目を閉じようとしてから、いや、と思い直した。
 貴方を、もっと見ていたい。
 たとえ離れている時でも、何もかもを鮮明に思い浮かべられるように。耳の形も爪の形も、皮膚の柔らかさも首筋のなめらかさも、その穏やかな声の響きも口にする言葉の辛辣さも、愛情をこめた皮肉とごくまれに出て来る真っ直ぐな気持ちと、貴方の、何もかもを、できる限り憶えていたい。
 ヤン提督──どうか、今度は私を捨てないで下さい──。
 目が覚めた。ベッドに伸びた手足は人間のそれで、頭を振っても耳はどこにも触れず、シェーンコップは目元を片掌で覆い、そこでゆっくりと息を吐いた。
 ヤンに置き去りにされたと、飲みながら言わない恨み言を頭の中で考え続けて悪酔いしたせいの夢か、ヤンが少年だったのは、逝ってしまった時からできるだけヤンを遠ざけたいと言う、シェーンコップの願望の現れか。
 貴方にとってはどうでもいいことでしょうがね、提督。
 皮肉たっぷりに、唇の端をねじ曲げて思わずつぶやいた声が案外大きく響き、その投げるような言い草に自分の胸を突き刺されて、シェーンコップはつい呻いた。
 泣くのをこらえているような自分の声にさらに驚いて、もう限界だと突然悟る。
 もう、待てない。もう、耐えられない。
 どれだけ忠実な犬の忍耐にも限度がある。自分を捨てた飼い主を恨みもせずに、後追いも考えずにこのまま過ごすなど、私はそれほど出来た飼い犬ではありませんよ、ヤン提督。
 恨みばかりだ。なぜ俺を捨てた、なぜ俺を置いて逝ったと、決して口にはせずに、飼い主なら最後まで責任を果たせと、虚空に向かって吠え続ける。その声が、ヤンの耳に届くかと考えもせずに。
 ヤンと言う、色と酸素を失った世界で生き続ける拷問に、シェーンコップはそろそろ負ける気でいる。ここまで耐えたのだから、むしろ褒められて然るべきと、会ったらいつもの不遜さで言ってやるつもりだった。
 もう、この世をうろうろしても仕方がない。求めるものがここにはないのだから。途を見失って、さまよい続けて来たけれど、もう、そこに見える道を進んでもいいだろう。
 シェーンコップは、闇の中で吠え続ける。吠えた先から返事のあることを期待して、そうして自分を導く手の差し出されることを期待して。
 いつまでも、不安げに長い尾を震わせながらうろうろしていても仕方がない。求めるものはもう、とっくにひとつきりなのだから。
 闇の中に溶け込んでしまった髪の色も、シェーンコップにはよく見える。あれを追えばいい。それ以外何もいらないと、とっくの昔に決めている。
 貴方に会いに行きます。そしてもう、私を捨てないと誓っていただく──。
 夢の中のヤンよりも、ずっと鮮やかに思い出せる自分のヤンを、シェーンコップは抱きしめるような形に腕をさまよわせた。自分を呼ぶヤンの声を脳裏に手繰り寄せて、その声へ向かって声を返し、シェーンコップはまだ眠りの中には戻らずに、闇の中にヤンの姿を探し続けていた。
 もう、迷子ではいられない。
 シェーンコップの四つ足が、真っ直ぐにヤンを目指して、もつれるように闇の中を駆けてゆく──。

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