* コプヤンさんには「おやすみなさい」で始まり、「嘘は本当になった」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば3ツイート(420字)以上でお願いします。
ついた嘘
おやすみなさい、とシェーンコップは言い、空のグラスを静かにシンクへ運んで、そこからくるりと玄関の方へ体を回した。ヤンは意外だと言う顔をして、ソファから立ち上がって後を追って来る。
もっと長居すると思っていたのだろうし、もしヤンに付き合ってシェーンコップが酔いつぶれてしまっても、寝る場所はあるくらいに思っていたのかもしれない。
シェーンコップもそう思っていた。もっとも、シェーンコップが想像していたのは、ヤンのそれとはずいぶん違うけれど。
いい酒が手に入ったが、ひとりで飲むのはちょっともったいない、しかし遠慮せずに味わいもせずにがぶ飲みする輩には振る舞いたくないと、新しい上官がぼそりと言うから、シェーンコップは素直に、その相手に名乗り出た。
飲むだけだよと、用心するようにヤンが言う。ええもちろんですともと、シェーンコップはしゃあしゃあと言う。
下心は明確にあった。同じソファに肩を並べて坐って、酔いが回って、自分の理性を放り出す言い訳を見つけるだけだと、そう思っていた。
上官と飲むのが愉快なはずもないのに、酒の肴もいらずに、シェーンコップはヤンの横顔を見つめ続けていた。
酔いが外そうとするたがを、ヤンの、宇宙色の瞳が引き止める。凝縮された夜空、指先につまみ取れそうな、宇宙の空、そこへ映る自分を見つめられる距離を、シェーンコップは見つけることはできなかった。
肩を寄せて、いやだと言われれば引くだけのことで、翌日顔を合わせて気まずいなどと言う、繊細な神経は持ち合わせてはいない。そんなものがあったら、とっくにローゼンリッターで死んでいる。
今まで生き延びて来た自分の神経のず太さが、なぜかヤンには通用せずに、艦隊指揮官と言うよりは、田舎の大学生と言う方がよほどしっくり来る自分の新しい上官へ、見え見えの手管は使いたくないと言う、奇妙に清潔な理性が湧いた。
押せば流されてくれるだろうと読めるのに、その1歩が踏み出せない。踏み出したそれを受け入れるだろうと思っても、受け入れながら、所詮その程度かと評価される予想が起こって、この人にはそんな風には思われなくないのだと、まるで純な少年のように考えた。
稚純など、もう大昔に似合わなくなっているはずなのに、腹の辺りから血がゆっくりとぬくまってゆく感覚に、シェーンコップは酒よりも素早く酔いそうになる。
この酔いは後を引くと、そう思って、立ち上がって進む足がふらつきそうになるのに、ヤンに向けた背中には表さないように、シェーンコップは苦笑を浮かべる。
玄関のドアで向かい合い、おやすみなさい閣下、と小さくつぶやき、おやすみシェーンコップ准将と返して来るヤンの手を、シェーンコップはうやうやしく取り上げた。恭順の仕草の、指先への口づけ。薄汚れた下心は霧散して、ほんとうに、純粋に、敬愛だけで口付けた。触れた唇よりも指先よりも、そこへ流れ落ちた髪の先がヤンに触れて、電流が走ったようにシェーンコップは感じた。心臓が、肋骨からはみ出しそうだった。
驚いたらしいヤンの顔は見ずに、シェーンコップは優雅に立ち去る。
この夜の、何もしませんよと言う嘘は、本当になった。