約束の途
手足を適当に絡め、ヤンはシェーンコップの首の付け根辺りへ頭を乗せ、そのヤンの額へあごや頬をこすりつけるようにしながら、ふたりはどこかの片隅でそうして寄り添う。ヤンがシェーンコップに寄り掛かっているように見えて、シェーンコップはヤンにすがりついているようにも見えて、親のいない獣の仔が、その代わりのぬくもりに寄り添うように、ふたりはそうして体を近寄せて一緒にいる。
時折唇が動いて、何やら話し掛けたりそれに答えたり、けれどまた眠りに戻るように、ふたりはしんと体を合わせて、そうしていると、彼らが軍人であるとか、成長し切った大人の男であるとか、まるでそんな風には見えずに、手足の伸び始めた、そしてそれに戸惑う年頃の少年みたいに見えた。
冬枯れの枝の上で、体を並べて雪や風から互いを守ろうと精一杯羽を膨らませ、互い違いにくちばしを相手の羽の中へ差し込んで、そうしてひとつの丸い羽毛のかたまりになる、2羽の小鳥のように、色の違いでやっとそうと見分けられる風の、ふたりでひとりのようなふたり。
それが当然と言うように、いつの間にか手を取り合って、体のどこよりも近しく、手指が絡まっている。
人殺しと開き直ったところで、罪の意識から逃れられるわけはなく、血まみれの手で、人殺しではない、血飛沫の跡などない誰かにすがりつくわけには行かず、そうして、人殺し同士として出会って、血に濡れた手を差し出し合い、言葉に出してそれを慰めるでもなく、ふたりはただ寄り添っている。
重ねた掌の間で、ぬくめられてねばる血。誰のものだったのか、憎いから殺したわけではなく、その殺意は自分たちのものではなく、顔さえろくに覚えていない誰かの血に濡れた手を触れ合わせて、互いのぬくもりに、自分たちは生きているのだと、安堵と一緒に罪悪感のため息を滑り落とす。
生きているねとヤンがつぶやくと、ええ、とシェーンコップがうなずいて応える。誰が、とわざと明確にはせずに、それでもシェーンコップはヤンの意味を聞き取って、ええ、ともう一度うなずいて見せる。
瞬く灰褐色の瞳に、ヤンといる時だけに現れる紫色の影が、ひらめいて消え、再び現れて、シェーンコップのその色を知るのは、シェーンコップの瞳に近々と見入るヤンだけだった。
それを見て、ヤンは写したように間遠な瞬きをして、眠るようにまた、シェーンコップへ体を近寄せ、生きている人間の体温を吸い取りながら、戻っては来ない親を恋しがって泣く獣の仔のように、シェーンコップの首筋へ頬をすり寄せる。
かすかに立つ、コロンの香り。人工の匂いになぜか安心して、全身を血まみれにしても身なりにきちんと構うこの男の、時には周囲の人間を苛立たせずにはおかないその振る舞いを、ヤンはひどく気に入っている。
明日死ぬ身なら、今日を好きに生きると、全身に言わせるくせに、ヤンから受ける命令を心待ちにしているのを隠しもせず、小突き回されるのは真っ平ごめんだが、膝を折った相手にはどこまでも恭順になるのだと、不遜に胸を張って言うのが、決して冗談ではないのがこの男の面白いところだと、ヤンはもう何度めか同じことを思った。
君は、とため息の合間にふとつぶやくと、はい、と先を促す相槌がやって来て、けれどヤンはそれ以上言う先を見つけられず、結局黙り込むと、あちこち好きに跳ねる黒髪をかき分けて、シェーンコップの唇が額に押し当てられるのだった。
色違いの皮膚が触れ合い、色違いの髪が混ざり合い、色違いの視線が重なり合い、この世に生き延びた、自分がその種の最後の生き残りのように、もう自分の後に何も残せないことを知っていて、あえてそれを選択したような素振りで、この結びつきがどこへもたどり着かないことに、気づいていない風にも、あるいはだからこそそれに固執しているようにも見えるふたりは、それについて問うこともせず、言葉の通じない間柄のように、ただ黙って寄り添い続けている。
言葉を武器にするヤンは、それをどこかへ置き去りにして、戦斧を振るうシェーンコップは、今はそれを持たない手でヤンに触れて、互いの、人を殺す術を、互いには使わない心遣いを、感謝と自嘲の入り混じった心持ちで受け入れながら、自分たちの足が、きっと膝まで流血の河にひたっているのを知っている。
いずれ溺れるだろうその流血の大河に、ヤンはシェーンコップを抱きしめて──抱きしめられて──流され沈んでゆく自分の姿を思い描き、心中と言う穏やかではない言葉を思い浮かべながら、腕の中の体が、あたたかく柔らかいことに、穏やかな笑みを浮かべて最後のひと呼吸を泡にして吐き切る自分の最期を夢想するのだった。
そんな静かな死が許されるわけもないのに、幾つも見て来た、手足をもぎ取られ、裂けた腹からはみ出した腸を長々と引きずり、すり潰された頭から脳みそをこぼして、それはもう人とも呼べない形で終わる死や、あるいは宇宙の闇に跡形もなく霧散して、死とすら認識されないまま終わった数知れない生の、自分もそのうちそのひとつに加わるに違いないと思っても、眠るような瞬きの合間に、死の静謐をまるで唯一無二の美しいもののように誤解して、ヤンは自分を痛めつけるように現実逃避を自分に許す。
わたしは粉々に八つ裂きにされるべきなのだろうなと、ぼそりとつぶやいたら、この男はそうかもしれませんねと、自分もそこに含めて答えるのだろう。
ヤンの落ち込む気鬱の中に、一緒に引きずり込まれても、シェーンコップはヤンがそれを自分と分け合うことを喜々として受け入れて、どこへ着くとも知れない途をヤンと肩を並べて歩くのに、貴方と一緒なら面白そうだと、まるで冒険の途上のように、常に変わらない美しい微笑みを浮かべている。
頬を滑る、瞳と同じ色の髪を、ヤンは耳の方へかき上げてやると、現れた、骨の形の鋭い頬へ掌を添え、君は、とまた小さな声で呼び掛ける。
私は、と語尾を上げて、問い掛けの形に変えてシェーンコップが応えたのに、ヤンはふと思いついて、
「君と・・・」
と言い直していた。
君と一緒に死にたい。
口にはしない本心を、シェーンコップは確かに聞き取ったように、顔の向きを変えてヤンの掌へ唇の端を移すと、ヤンの掌へ向かって、触れた唇の動きを伝えて来る。
御意、と言う、ヤンには聞き慣れない答え方をして、瞳がいたずらっぽく光る。また紫に影がそこにひらめく。
シェーンコップの首の根にまた頭を乗せ直すと、ヤンの黒髪に鼻先を埋めながら、シェーンコップがあたたかな息をそこに吹き込んで来る。
音にはしなかった、心中の約束。それが果たされるのだと、確かめ合ったわけでもなく、まさかと思う心の端で、けれどふたりとも、そうなる最期だと悟っていた。
とくとく、触れる首筋に、鼓動が遠く伝わって来る。人殺しの心臓が、確かに動き続けている。