シェーンコップ×ヤン。

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 「正直、貴方が私を選んで下さるとは思ってもみませんでしたがね、ヤン提督。」
 ヤンの手に、紙コップの紅茶を差し出しながら、シェーンコップが言う。
 紅茶のくせに、紙コップに直接触れてもやけどの心配がない程度に、湯の温度は低い。ティーバッグの色と香りの薄さに、ヤンがかすかに顔をしかめたのを見て、シェーンコップは苦笑と一緒に肩をすくめた。シェーンコップのコーヒーも、味や香りはヤンの紅茶と似たり寄ったりだ。
 他愛もなく一緒に過ごす時間。何を特に話すと言うわけでもなく、指を持ち上げればすぐ相手に触れられる距離で、視線を動かせば相手が自分を見つめているのにすぐ出会える、そんな空間。
 「わたしが君を選んだんじゃない、君が突然現れて、わたしをさらったんだ、シェーンコップ。」
 人に聞かれてはややまずい類いの内容なのに、ヤンが言うとまったく別のこと、何か新しい作戦の話かと思わせる。聞いている相手がシェーンコップなだけに、そうやってふたりでいても、ローゼンリッター絡みのことかときっと人は思うだけだろう。
 「──と、貴方は思いたいんでしょうがね。」
 コーヒーを飲みながら、視線はヤンに当てたまま、シェーンコップが言う。からかうような口調でも、中身は本音だ。ヤンがごまかそうとするのを、決して許さない。
 ヤンとの付き合いの長さで言えば、シェーンコップはここでは新参者もいいところだ。事の成り行きに、シェーンコップがいちばん驚いている。傍目にはヤンがそう言う通り、いきなりやって来てヤンをかっさらった新入りと言うことになるのだろうけれど、シェーンコップに言わせれば、ヤンの目の前に立ちはしたけれど、強引に自分の方を向かせたと言う気持ちはないのだった。
 飄々と、あらゆる事象を受け入れているように見せ掛けて、ヤンは案外と神経質に、自分の許容できるできないを選択している。ヤン自身にはその自覚は薄いのかもしれないと、同じように薄いコーヒーをすすりながらシェーンコップは考える。
 受け入れないと決めたものは決して受け入れない。受け入れると決めても、ここまでと言う線引きは驚くほどきっちりとしていて、他人に、無遠慮に自分の内側を踏み込まれることをひどく嫌っている。
 好ましいと言う程度の感情は容易く抱いても、そこから先に進む気持ちは滅多と湧かないらしい人物だと、シェーンコップは思った。そして同時に、他人の見せる好意にも、さほどは心を動かされない。
 感謝の念はある。他人に対して、好感もきちんと抱ける。けれど恋はしない、あるいはできないのかもと、ヤンと出会ってしばらくした頃、シェーンコップはそう思った。
 ヤンのことをそう思うのが、つまりは自分がそうだからだと気づいた時には、もうヤンに焦がれる気持ちは始まっていて、ずいぶん久しぶりに、誰かに恋をするのには理屈も理由も必要ないことを、胸の痛みとともに思い出していた。
 シェーンコップがヤンを選んだこと、これは明白だ。説明すら必要ない。けれどヤンはどうだ。見掛けだけなら、シェーンコップの強引さに、ヤンがやれやれと付き合っているように見えるだろう。
 そうではない。自惚れではなく、シェーンコップは、ヤンは自身の意志で自分を選んだのだと知っている。どれだけシェーンコップがありったけを注ごうと、それを受け入れないと決めれば受け入れることはないヤンだった。
 ヤンが、自分を選んだ理由は分からない。腕を差し出した輩は、恐らく他にもいたはずだ。それをやんわりと拒んで、なぜ自分の手を取ると決めたのか、ヤンにいつか訊いてみたいと思って、その時が実際に来るかどうかは分からないと、シェーンコップは内心で自分の臆病さに苦笑をこぼす。
 両手の中の紅茶へ目を伏せたまま、ヤンがそっと言う。
 「白兵戦の名手に組み付かれて、わたしが逃げられるもんか。」
 ヤンの方ではなく、窓の外を眺めたまま、シェーンコップは言い返した。
 「斧も装甲服もなければ、私だってただの男ですよ。」
 「ただのね。」
 混ぜっ返すようにヤンが言った。
 それからまた足元へ視線を戻して、
 「わたしだってただの男だよ、大量殺戮者であると言うことを除けばね。」
 言いながら紅茶のカップを口元へ運び、何でもない軽口のように振る舞った。
 強化ガラスに映るシェーンコップの瞳が、ヤンの方へずれ、それからまた正面に戻る。
 コーヒーを飲んで、ゆっくりと喉から胃へなまぬるく下りてゆく感触に、皮膚を伝う誰かの血飛沫を思い出しながら、シェーンコップは言葉を探した。そして結局、遠回しの言い方も無意味な慰めも浮かばずに、真っ直ぐそのままを口にするしかない。
 「──私も人殺しですよ、閣下。」
 ひと拍置いて、
 「そうだね。」
 ヤンの声に、奇妙に爽やかな響きがあった。
 見えない、血まみれの手で、ふたりは互いに触れている。洗っても洗っても落とせない血の、その跡を他へ残すことを恐れて、誰にも伸ばせないその手で、ヤンはシェーンコップに触れ、シェーンコップはヤンに触れている。
 互いの膚の上に、殺して来た誰かの血の手型を残しながら、ふたりはそうして抱き合っている。
 コーヒーと紅茶で、染み付いた血の匂いをごまかしながら、あたたかな体に触れて、自分たちはまだ生きているのだと確かめ合っている。
 恋に落ちるのに、理由も理屈もいらない。求める気持ちだけが、唯一の真実だ。
 紅茶のカップをさり気なく片手に持ち替えたヤンの、空いた方の手の小指の先が、そっとシェーンコップの小指を探って来る。シェーンコップはその指先を自分の小指で絡め取った。ふたりの口元に、同時に淡く笑みが浮かぶ。
 束の間の、ささやかなぬくもりを分け合いながら、視線は合わせないままだった。

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