* コプヤンさんには「大切なものをなくしました」で始まり、「ただそれだけだったのにね」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば6ツイート(840字)以上でお願いします。
Significant
「大切なものをなくしました。」冗談めかしてシェーンコップが言う。目も口もはっきり笑っていて、明らかにヤンをからかっているのだと分かる。ヤンは笑わずに、それを無表情に受けた。
「何だいそれは。」
当然の質問だった。シェーンコップがさらに微笑む。あの、どこかいたずらっぽい、妖しいくらいに魅力的な笑みだ。ヤンはそれに見惚れそうになるのを必死に止めて、表情をことさら固くする。
「祖父が帝国から亡命して来た時に一緒に持って来た万年筆です。死に際に、形見と渡されたものです。」
「・・・それは確かに大切なものだね。」
あまりににこやかなまま言うから、一体どこまでがほんとうなのかと訝しがりながら──表情には出さないけれど──、ヤンは口振りだけは深刻そうに声の根を低めた。
「ええ、帝国に戻っても、恐らく同じものは手に入らないでしょう。ペン先が壊れてしまって使えないだけで、見た目には問題はありませんので、手元に置いておく分には気にはなりませんが。」
使えない万年筆に意味があるのかどうか、本の中身には固執しても、本そのものの装丁等には興味は湧かないヤンは、帝国製の万年筆を恐らく相当に華美なものとして想像して、持って眺めているだけでも楽しいのかもしれないと思う。
立っているだけで周囲の空気を変えるこの男も、その万年筆と同じように、使い道などなくても、そこにいてくれるだけでありがたいのかもしれない。
もっとも、ローゼンリッターの連隊長に限って、使い道がないと言うのは指揮官であるヤンの無能の現れであって、シェーンコップ自身のせいではない。艦隊戦に陸戦専門の部隊を参加させる愚──と、ヤンはあえて思った──は、幕僚たちを戸惑わせたようだけれど、ヤンの判断なら何か意味があるのだろうと、特に異論と言う声は出なかった。それを良いことに、ヤンは自分のわがままについて何も説明せず、シェーンコップ本人にすら、その真意について語ってはいなかった。
いてくれるだけでいいんだ。
使えなくなってしまった、けれど形見と言う形で、祖父と言う、大切に違いない人を常に思い出させてくれる万年筆と同じに、ヤンに、この世への執着を思い出させてくれるこの男。
この世を平和にしたいと思う理由の、養子のユリアンとはまた違う意味で、シェーンコップは、ヤンを奇妙に安心させてくれる。自分のしていることは間違ってはいない、どれほど極悪非道な結果を招こうと、少なくともその瞬間にそれが最善だったと信じさせてくれる、ヤンの背に向かって、ご英断ですなと、ヤンにだけ聞き取れる響きでつぶやいて来る、この男。
傍にいてくれるだけでいい。わたしの背を、守られていると感じさせてくれるだけでいい。
たとえヴァルハラにゆく最終列車に乗り損ねてしまったとしても、この男なら、あの見惚れるような笑みを浮かべて、次がありますよとヤンの傍らにいてくれるだろう。永遠に来ないヴァルハラ行きの列車を、ヤンと一緒に待ち続けてくれるだろう。
イゼルローンを落とすための実行部隊が必要だった、ただそれだけだったのに。作戦が終われば、それで終わってしまうはずだったのに。
終わりはしなかった。シェーンコップはヤンの手を取ったまま、ヤンはその手を取られたまま、恐らく乗ることはできないだろうヴァルハラ行きの列車を永遠に待ち続ける、その連れに互いを選んだと気づいたのは、一体どの瞬間だったのだろう。
シェーンコップの祖父の形見と言う万年筆は、もう役には立たないまま、それでも今もシェーンコップの胸ポケットに入っているだろうか。触れればその丸みが、ヤンの掌に伝わって来るだろうか。
やれやれ、とヤンはベレー帽からはみ出した髪を指先にかき混ぜる。
イゼルローン攻略のためだけに、君が必要だったはずなんだが。
ちらりと見れば必ず視線の合うシェーンコップから、また視線を外して、ヴァルハラには行かない自分たちが、やがてその場で腐り朽ち果てて、ただの染みになることを想像する。同じ色の、ただひとつの染み。それが元はふたつの別々の体だとは、見ても誰も分からない──見る誰かがいるかどうかも分からない──、ひとつに溶け合ってしまった、ヤンとシェーンコップだったもの。
イゼルローン攻略作戦の、成れの果て。
ただそれだけだったのにね。去ってゆくヴァルハラ行き最終列車の最後尾の幻を見送りながら、ヤンは喉の奥でひとりごちる。そのつぶやきは、シェーンコップには届かなかった。