* リアル獣姦展開含 *
変化たちの森 15
夏のキャンプから戻って来たアッテンボローから早速電話があり、夏中そうしていたように、ヤンをまた家に誘って来る。ヤンは頭をかきながら、今はちょっと家からあんまり出たくないんだと、後ろを振り返りながら答える。例の獣が、ヤンを見上げて尻尾を振っている。アッテンボローが、再びちょっと血相を変えてヤンの家へやって来た。そしてヤンの傍らにいる獣を目にして、
「何ですかこれ。」
「何って、見た通りだよ・・・。」
「どうするんですかこれ。」
「どうするって・・・。」
もうあの朝顔型のカラーは外れた獣は赤い首輪を着け、そこには名札が下がっている。銀色の名札にはワルターと刻印され、裏側にはヤンの名前と電話番号がきちんと記されていた。つまりそういうことだ。
アッテンボローはちょっと呆れた表情を浮かべて、それでも獣──ワルターを嫌がる素振りはなく、噛みつかれないかと、やはりその恐ろしげな見掛けには用心しながら、そっと手を出して頭を撫でた。ワルターはおとなしく、アッテンボローの掌をそこに受ける。
罠に咬まれた後ろ足の傷は順調に治っていて、もう熱も下がっている。来週か再来週にはまたビュコックと言う獣医のところにこのワルターを連れて行かなければならないのだけれど、ヤンには少しそれをためらう事情があった。ヤンは正直に、アッテンボローにそれを打ち明けた。
「金がないんだ。」
高校生がふたり、頭を突き合わせて、せっかくの夏休みと言うのに随分と味気ない愚痴のこぼし合いになる。
「頼めばまた分割でもいいって言ってもらえそうだけど、分割でも足らないのはどうしようもないだろ。」
「森に戻しちゃえばいいじゃないですか。先輩がそんな責任感じることないでしょう。」
「そうだけど──。」
ヤンは歯切れ悪く言い、また髪をくしゃくしゃ混ぜる。そうする間も、ワルターはヤンの足元でヤンの足の上にあごを乗せて、時々ふたりの会話をまるで理解している風に、大きな耳をぴんと立てた。森に戻せとアッテンボローが言った時には、じろっと灰褐色の瞳が動く。
「もう、名前も決めちゃったし・・・。」
一緒に床で寝た翌日、まだ熱が高くてぐったりしたままの獣へ、ヤンは何度も声を掛けて腹や背を撫でながら、呼び掛ける名のない不便さに不憫がつのって、その日の終わりには獣にワルターと名付けてしまっていた。
母親が読んでくれた本の、勇敢な騎士の名前で、その国の王を最後まで守って王と一緒に死んでしまったその騎士へ、幼心に感じた憐れみと熱で弱った獣への不憫が重なり、ヤンは迷いもせずに獣をそう呼んでいた。
名付けてしまえばもう後先もなく、ドッグフードを買ったと同じ店に戻って首輪と引き綱を買い、名札も手に入れ、獣は首輪を嫌がりもせず、まるでずっとヤンにそうして飼われていたと言う風に、家の中にすっかり馴染んでしまっていた。
もうひと晩、床で一緒に寝て、その翌晩にはヤンの部屋の床で寝、さらにその翌日にはヤンのベッドに入り込んで来る。ヤンはひとり用のベッドを分け合って、獣──ワルターを抱いて寝た。もうずっと、そうして過ごしていた体で、ワルターは当然のようにヤンの狭いベッドをきっちり半分占領する。
「親父の部屋と取り替えようかと思って。そっちの方がベッドも大きいし。」
自分の部屋がそうして空になったら、そちらは本棚だらけにしてもいいなと、ヤンは少しの間自分の考えにうっとりする。それを破るように、
「で、その金がないってのはどうするつもりなんですか。」
アッテンボローがヤンを現実に引き戻す。
「うーん・・・大学の学費分を少し借りるか・・・夏の間だけ、どこかでアルバイトするか。」
「後者の方が現実的ですけど、今から探して仕事なんかあるかなあ。」
「それが問題なんだよなあ。」
子どもたちの夏の間だけの仕事は、夏休みに入る前からすべて埋まっているに決まっていた。探すだけ無駄だろうと言うのが、ふたりの正直な感触だった。
「・・・仕事じゃないけど、稼ぐ方法なら、あるかもしれませんよ。もしかしたら、ですけど。」
考え込んでいるヤンに、アッテンボローが上目遣いに言う。
「何でもやるよもう、再来週にはワクチンも打たなきゃならないんだ。」
ワルターを見下ろし、精一杯腕を伸ばして頭を撫でながら、ヤンが投げやりに答えた。
アッテンボローの唇がちょっと面白そうに曲がったのを、ワルターを見ていたヤンは見逃し、その唇がとんでもないことを言い出したのに、ヤンはただ仰天するしかなかったのだけれど。
「先輩の書いた話を、売ればいいんですよ。」
ヤンはこの時、知り合って数年になるアッテンボローを、まるで見知らぬ他人のように眺めた。そばかすの散った、どこか線の細い顔立ちの口元が悪魔のように見えて、銀行強盗でも持ちかけて来る悪党の親玉みたいだと、ヤンはぼんやり頭の隅で思っていた。
銀行強盗の方がまだ現実味があると、やっとワルターから手を離し、ヤンはできるだけ年上の威厳をこめて、アッテンボローの方へ身を乗り出す。
「アッテンボロー、まさかキャンプで、変なクスリでもやって来たのか。」
ない話ではない。ヤンたちの高校でだって、ドラッグを売っているらしいと言う生徒のことは時折噂になるのだ。保護者の目を離れた子どもたちが、夏のキャンプでちょっぴり羽目を外すこともあり得る。アッテンボローに限ってとは思いながら、その時ヤンは本気でアッテンボローの正気を心配した。
「しませんよそんなの! 何言ってるんですか先輩。」
アッテンボローの本気の否定に、ヤンは思わず胸を撫で下ろし、けれど正気で言っていることならなおさら危険ではないかと、アッテンボローの両親に言った方がいいかどうか、ヤンは少しの間迷う。
「違いますよ、ちゃんとまともな話ですよ。オンラインで本にして、それを売るんです。」
「オンラインで本?」
ヤンは、想像もつかない話に目を白黒させた。
「そう、先輩、今書いたの打ち直ししてるでしょ? あれをアップロードして本の体裁にして、それを売るんです。登録するサイトによりますけど、3割くらいは先輩のものになるんじゃないかな。」
オンライン、アップロード、登録、サイト、ヤンには馴染みのない言葉がすらすらアッテンボローの口から飛び出て来て、アッテンボローがもうずっとそのことを考えていたのだと分かる。
ヤンにはさっぱり理解できず、自分が打ち直してコンピューターにため込んでいるあのテキストのファイルが、何やらワルターのために役に立つかもしれないと、飲み込めたのはその程度だった。
「・・・3割。」
「実際はもっと多いかもだし少ないかもです。調べてみないと。」
「調べる・・・。」
ヤンが嫌そうな顔をすると、間髪入れずにアッテンボローが高々と手を上げ、
「オレがやります! 先輩はオレにファイルをくれたらいいです! それもいやならオレが打ち直しはやります! 先輩はもう黙って書いて下さい!」
もうそうと決まったように言うのに、ヤンはちょっと待ってくれとアッテンボローを制止しながら、
「あんまり話が簡単過ぎるだろ。おれが書いたのを本にしてそれを売るって──」
「売れるかどうかは分かりませんよ。でも見つかるかどうか分からない仕事を探すなら、こっちも手間は同じようなもんでしょう。どうせそうしたらって先輩に言うつもりだったんですよオレ。ダメ元でやってみましょうよ、先輩。」
そちらにうまく誘導されたような気がして、ヤンは渋面を作るけれど、あてもなく仕事を探すなら、そっちも同じことかとヤンの気持ちが揺れる。
ワルターを再び見下ろして、まだ完治には遠い、包帯を巻かれた後ろ足を見て、ヤンはため息をこぼした。
何だか結局アッテンボローの口車に乗せられてるなおれ。
引っ掛かるそのことも、ワルターのためだと思うと、今はひとまず忘れてしまうのが最善な気もして、ヤンは結局、アッテンボローの提案に渋々うなずいた。
その日の残りは、アッテンボローがヤンのコンピューターを占領し、何か調べ物をしたり探し物をしたり、時々はヤンに質問をして、そのアッテンボローに紅茶を2回淹れ、途中でワルターを裏庭に出して、ヤンはただアッテンボローの作業が無事済むのを待った。
未成年がふたり、ああでもないこうでもないと、ヤンよりは多少世間知のましなアッテンボローの提案に、ヤンが大方はうなずくと言う形で、何もかもが終わった頃には外はすでに薄暗くなっている。
それでは今度はどれを本にするのか、ヤンが何とか打ち直してため込んだテキストの中から、ともかくきちんと完結しているものをと、登録できるファイルの数は一応無制限だったから、下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるとばかりに、アッテンボローはヤンにどれをと尋ねもせずに片っ端からアップロードして、そうやってできたリストを眺めると、ヤン自身もよく書いたなと、自分の暇さに少し驚く羽目になった。
夕食の時間はとっくに過ぎて、アッテンボローは慌ててヤンに送られて家に帰った。
「サイトからは、オレの方にメールが来る設定にしてますから、売れたって連絡来たら先輩にすぐ知らせますよ。」
「・・・そんな上手く行くもんか。」
「行かなくて当然でしょ。上手く行ったら御の字ですよ。」
ヤンを楽しそうに唆す割りに、アッテンボローは意外と現実的な言い方をして、それでもその口元には面白くてたまらないと言う笑みが浮かび、こんな顔はラップとジェシカが死んで以来初めてだと、ヤンは胸の奥を針にでも刺されたように感じながら、アッテンボローも結局、ヤンとこんなことに夢中な振りで、抱えた悲しみから目をそらしているのだろうと気づく。
何かしていなければ、大声で泣き出しそうなのはふたりとも同じだ。ヤンは少なくとも、目先にワルターの世話があって、それが大変だと言う振りができる。
狭いベッドでワルターを体を寄り添わせ、人間とは違うその感触がけれど時々ラップのそれと混じり合い、夢の中にラップが現れ、途中でワルターに変わり、最後にはジェシカとラップが、ワルターと一緒にいるヤンを置いて消え去る、近頃ヤンが見るのはそんな夢ばかりだ。
夢の中で、ヤンは消え去るふたりへ向かって静かに手を振り、目が覚めて泣いていることは減りつつあった。そうして、傍らでワルターが、空腹を告げるように自分をじっと見下ろしているのにごく自然に笑みを返し、ワルターを撫でながら、ジェシカとラップのいるところへ行きたいと言う気持ちが弱まっているのを感じる。
すでに悲しみの薄れつつある自分の薄情さに、それほど絶望せずにいられるのは、間違いなくワルターのおかげだ。
留守番させているワルターが心配で、ヤンは帰り道を急ぐ。帰ったら、仕事を探すために履歴書を作らないとと、ハンドルに掛けた手に力がこもった。
仕事にありつけそうな、ガソリンスタンドやコーヒーショップを思い浮かべて、考えるだけで気が重くなるけれど、これもワルターのためだと、それでもヤンの口元から不安の色は消えない。
ワルターのためだろう。責任を持つって決めたんだろう。
無責任なことはするなと、繰り返し言われたことに反駁するように、ヤンはきちんとした飼い主になるために、やれることは何でもやろうと、改めて考えながら、一刻も早くワルターに会いたくて、ほんの少しアクセルを踏み込んだ。