パラレルコプヤン。天涯孤独のヤン少年の異種同種恋愛譚。ヤンと獣。
* リアル獣姦展開含 *

変化たちの森 20

 また同じ夢を見た。血だまりの中に、あの困ったような笑顔を浮かべて佇む、ヤン・ウェンリー提督の夢だ。
 シェーンコップは目覚めに夢を破られて、それにほっとしながら額の汗を拭う。そのまましばらく、闇の中で天井を眺めていた。
 何か言いたげな、あるいはもう言うべき言葉もないのか、ヤンはただそこにいて、シェーンコップを見つめ、腕の長さの倍ほどの位置にいて、シェーンコップはけれどそれ以上はヤンに近づかず、ヤンもそこから動かない。
 助けられなかったこと、あの場で生き延びられなかったこと、双方そのように後悔を引きずって、それを口に出せず、詫びることも不自然で、所在なく見つめ合うしかないと言った風だ。
 もう少しお待ちになったら、救えたかもしれなかったのに。
 待てるものなら待ちたかったよ。
 無理矢理に浮かべる苦笑いは、自嘲をごまかしたそれだ。互いに、自分のせいと思い、あの瞬間から己れを責め続け、さぞかしヴァルハラも居心地の悪いことだろうとシェーンコップは思う。そしてヤンは恐らく、シェーンコップの今ある生を、苦いものと悟っているだろう。
 だから言ったでしょう、独裁者になってしまえと。誰も1歩も近づけない、そんな立場になっていれば、あんな風に死なずに済んだのですよ提督。
 さあてね、わたしなんかが独裁者になったら、そうなった途端、誰かに毒を盛られたと思うがね。
 毒味だってして差し上げましたよと、気がつくと声に出して言っていた。天井までの闇に吸い取られて、その声はシェーンコップにすらよくは聞こえず、ヤンの食らった毒と言うのは自分自身ではなかったのかと、片掌で目元を覆い、シェーンコップは後悔混じりに考えた。
 力を持て、それを思う存分奮えと、そう言い続けた自分は、ヤンにとってはただの毒ではなかったのか。それを笑って受け流しながら、それでもしっかりと耳から脳へ達した言葉の数々は、青いその毒液で頭蓋骨の中を満たし、ついにはあの男の呼吸を奪ったのではないのか。
 この世への呪詛で、自身が毒になり果てたシェーンコップの、その毒素を、身近にいたと言うそれだけでヤンは浴び続けて、毒蛇が自身の毒では死なないように、シェーンコップは今ものうのうと生きて、そしてヤンは死んだ。
 救えなかったと思うのは、自分が殺してしまったと言う自責を糊塗するための、別の悔いではないのか。ヤンの死を受け入れたのだと思いながら、その死は自分の手によって起こされたものだと、気づかない振りをし続ける方に、今ではシェーンコップの心は痛み続けている。
 私が貴方を死なせた。私が貴方を殺した。ヤン提督、貴方を殺したのは私だ。
 目の上に両手を重ねて、掌の中の闇をいっそう濃くしながら、湿りのない嗚咽にそんな叫びを小さく混ぜて、自分の思うことすべてがごまかしなのだと、頭の隅でさらに小さな声を聞く。
 自分の声のはずのそれはヤンの声に似て、ヤンはまた困ったように微笑み、くしゃくしゃ黒い髪を混ぜて、掛ける言葉を探すように唇を迷わせている。
 自分の手で殺したのだと思うことで、ヤンの死に自分の身を打ち込み、ヤンを救えなかった悔いと恥を覆い隠す。自分の手を離れて起こってしまったヤンの死を、自分の手元へ引きつけて、あれは自分のせいだと思い込んで、自身に打ち込まれたほんとうの痛みから目をそらしている。
 薔薇の棘に刺されたのはどちらなのか。傷口から血を流したのはどちらなのか。あるいは薔薇の花びらを食べて、その毒が回ったのはどちらなのか。
 シェーンコップは自分の体に傷口を探す。すでに傷跡だらけの自分の体に、いまだ血を流し続ける傷口があるはずだと、左の腿を探る。そうしてヤンが死んだように、自分もそうして死ぬはずだと、開いたまま塞がらない傷口を探す。血を流し続けて、その血にまみれて、ひとり死んでゆくはずの自分の姿を探している。
 血からは、毒の匂いがするだろう。シェーンコップはヤンに注ぎ込み続けた毒素が、そうしてやっと体から抜け、毒から解放されて、ヤンはそうして死んだのか。だから、ああやって死ななければならなかったのか。
 俺が殺した。シェーンコップはまた思った。両手の指を目に押し当て、そのまま指先を差し込んで眼球をえぐり出しそうに、血を流す傷口の見当たらない自分の体に、血を吹き出す傷を作るためのように、シェーンコップは眼球の潰れるほど強く、自分の目を押し続けた。
 すでに血まみれの、人殺しの手。動かない血まみれのヤンを見た、自分の目。築いて来た屍の山の頂上に横たわる、ヤン・ウェンリー。そこにいるべきではないはずの、ヤン・ウェンリー。
 貴方を殺したのは俺だ。
 わたしを殺したのは名無しの誰かだよ。君ではない。
 名無しの誰かなら、誰でもいいはずだ。私でも。
 誰でもいいわけではないし、そしてそれは君ではないよ、シェーンコップ。
 慰めるように、そして諭すように、ヤンが言う。俺は、とまた言い継ごうとするシェーンコップの唇へ、そっと乗る指先の感触がある。
 わたしを殺したのは、君ではないよ、シェーンコップ。
 もう黙れと、穏やかに告げるその指先の下で、もう一度シェーンコップの喉が奮え、けれど言われた通りに、シェーンコップは口をつぐんだ。
 眠りなさいと、その手がシェーンコップの髪に触れ、寝汗に湿った髪の根へ指先を差し込んで、ゆっくりと梳く。
 もう一度眠るといい。朝までもう少し時間があるよ。
 まだ幼かった養い子を、そうして寝かしつけたことでもあるのか、存外手慣れた風にシェーンコップの髪を撫でつけた後に、闇の中に気配が溶け去ってゆく。
 提督、と唇が動いた。
 また、会えますか。
 ヤンが立ち止まり、振り返り、肩越しに、同じ困ったような笑みを投げて来る。
 いつかね。
 足元はもう見えず、血の垂れた腿も薄暗さに溶け込み、じきに胸の辺りしか見えなくなっている。
 ゆっくりでいいよ、とヤンが静かに言った。
 君が来るのはゆっくりでいいよ。急がなくていい。いや、急がないでくれ、頼むから。
 消え去るヤンへ向かって、シェーンコップは腕を伸ばす。差し出した指先から、滴る毒液を見た気がして、シェーンコップは思わず体を起こし、そこでヤンの名を呼んだ。
 ゆっくりでいいよと、再び声が聞こえた後には、もうしんとした闇だけが残り、思わず顔を覆った掌から、汗と血の匂いが立った気がした。
 ゆっくりでいいよ。自分が殺したのだと思う人のその声が、シェーンコップの耳へ、毒消しのようにそっと染み通ってゆく。
 私が貴方を殺した、そう叫ぶ胸の中に、ゆっくりでいいよと、ヤンの声が広がり、響き、その中に啜り泣きを飲み込んで、シェーンコップは夢と現実の境い目にひとりの嘆きを滑り落として行った。

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