女性ヤン&片思いシェーンコップ、ポプラン

魔女の艱難

 そろそろ会議の始まる時間だと、会議室へ向かうと、案の定部屋の前でヤンとキャゼルヌが何か話をしているのに行き合って、話を聞かないために、シェーンコップは少し歩幅をゆるめた。
 ヤンは難しい顔で手にした書類を覗き込み、キャゼルヌは反対に明るい顔をしている。なるほど、ヤンが何か面倒を押し付けられているらしい。やれやれと思って、近づき過ぎない間に、シェーンコップはそこで一度足を止めた。
 励ますようにかからかうようにか、キャゼルヌが、あまり心配するなと言う風にヤンの背中をぱんと叩き、そこで話は終わったのか、ヤンを残してひとり会議室へ入ってゆく。それを見てから、シェーンコップはまたゆっくりと足を進めた。
 「何かまた面倒事ですかな。」
 声を掛けると、ヤンがあからさまに唇を突き出した表情で、
 「うん、補給がね、ちょっとね・・・先輩はわたしの方で調整しろって言うんだけど・・・。」
 シェーンコップが見てもいい中身なのかどうか、ヤンの肩越しに書面に視線を当てようとした時、
 「お二方、ご機嫌うるわしく!」
 スカーフをひらひらさせながら、自称第13艦隊一の色男が後ろからふたりに声を掛けて来た。
 空挺隊は今日の会議には関係なく、たまたま通り掛かっただけのようだったけれど、ポプランは明るい髪の色以上に、明るい声でその場をぱっと明るくすると、シェーンコップの肩へ馴れ馴れしく腕を回して来た。
 「少将どの、この間のご婦人は不首尾だったようで。」
 にやにや話し掛けて来るのに、シェーンコップはヤンを気にして話には乗らない。
 「会議の前だ、そんな話は後にしろ。」
 「あのご婦人については、小官の方が一歩先んじたと言うことでよろしいですかな、シェーンコップ防御指揮官どの?」
 シェーンコップが今にもポプランの顔の前に掌を突き出しそうなのに、構いもせずにポプランはにやにや顔をやめず、どうやら昨夜はそのご婦人とやらと首尾良く事を進めたようで、それを自慢するために、わざわざシェーンコップを探しに来たようだった。
 ヤンは男ふたりが、品のない話をしている──シェーンコップは相手にしていないけれど──のを見上げて、会話にもご婦人とやらにも一向に興味もなさそうに、いつ見ても元気の余っているポプランを、ただうらやましげに見ているだけだ。
 「会議が始まるから──」
 話を切り上げろと、さり気なくポプランに向かってつぶやき、シェーンコップの方は見もせずに、部屋の方へ足を進めようとした。
 「提督! まったくもう、仕事仕事で人生終わらせる気ですか。ウチに生きのいいのが入ったんですけどね、今度一緒に飲みに──」
 「わたしよりお酒が弱くて年下はお断り。」
 ポプランに最後まで言わせずに、ヤンは一刀両断した。ポプランがベレー帽に手をやり、にべもないヤンへ向かって負けずに軽口を続ける。
 「そんなこと言ってると、一生独身ですよヤン提督。」
 「一生独身で結構。独身貴族の誰かさんは、わたしなんかのことより、自分のことをもっと心配したら?」
 ヤンがにらんだところでポプランに効くわけもなく、ベレー帽を気取ってかぶり直しながら、
 「オレはいいんですよ、オレが独身を返上したら、艦隊中の全女性たちを泣かせる羽目になりますからね。」
 シェーンコップは少々耳の痛い思いで、この不真面目なやり取りを聞いている。ポプランが、空挺隊の誰かをヤンに会わせようとしている──冗談かも──と言うのに、顔に出さずに少しだけ動揺して、この軽薄男をどうやって穏便に黙らせようかと思っていると、さすがにポプランもそれ以上会議へゆくふたりを足止めするわけには行かないと思ったのか、
 「ったく、提督が男だったら、オレが手取り足取り恋愛指南して差し上げるところですよ。」
 いらないいらないとヤンは鬱陶しそうに手を振り、やっと立ち去ろうと距離を空けたポプランをあしらった。
 「へいへい、どうぞ良い1日を。」
 ぽんぽんとシェーンコップの肩を叩き、もう一度にやっと笑って見せ、それから、偶然だったけれどキャゼルヌと同じ仕草で、もっと強く、ヤンの背中を叩いた。
 ようやく、では、と気取ったポーズを見せて向こうへ歩いて行く。
 まったくあいつは、とシェーンコップがその背中を見送り、ヤンの方へ向き直ると、なぜかヤンが、何かしでかしたと言う表情で、しきりに背中へ手をやろうとしている。
 「どうかしましたか。」
 ヤンは書類ごと自分の胸の前を押さえ、もう一方の手で背中を探っていた。
 「会議が、始まっちゃう──。」
 言いながら、困ったようにシェーンコップを見上げて来るけれど、シェーンコップはヤンの様子のおかしい理由が分からず、手を出しかねている。
 それから、ヤンが2度背中を叩かれたことを思い合わせてから、まさか、と1歩近付いて、ヤンへ向かって声をひそめた。
 「さっきので、外れたんですか、もしかして・・・。」
 ヤンは半泣きでうなずいた。
 「脱がないと直せないけど・・・どうしよう・・・。」
 下着の、背中のホックが外れたのだ。サイズの合わないのといい加減に着けているのと、それで背中の辺りへ何かあれば、起こらないことでもない。嵩張る上着で、きっとそのままでも外からははっきりと見えはしないだろうけれど、シャツの下でずいぶんと気持ちの悪いことだろうと、シェーンコップは同情した。
 事の元凶のポプランに、さっきの、どこやらの女の話をヤンの前で持ち出された恨みもついでに、この件でいずれ晴らしておこうとこっそり思う。
 ここから一番近い仮眠室もレストルームも、歩いてずいぶん遠い。すでに会議の開始時間で、恐らくもう全員揃って、ヤンが入って行くのを待っているところだろう。ムライは時間を見て、すでにドアをいらいらと眺めているに違いなかった。
 考える前に、さっさとレストルームへ行くのがいちばん早道だけれど、ムライにお小言を食らうのを何より嫌うヤンは、そうと決めかねてまだ背中へ無駄に腕を伸ばしている。
 シェーンコップは通路の左右を見て、誰もいないことを確かめると、
 「失礼します、提督。」
 ヤンを壁の方に押して、上着の中へ下から両手を差し入れた。
 こういう時に、ヤンが自分を男だと思っていないのと、自分も一応はヤンを女扱いしていないことになっているのはありがたい。ヤンはシェーンコップの手をくすぐったがっても、はねのけようとはせずに、シャツの下で勝手な方向へ外れている下着の先を探る動きを許して、むしろ早く早くとシェーンコップの指先をせっついた。
 ホックはすぐに見つかったけれど、一緒に、不自然に引っ張られるシャツに手間取って、そうし慣れている風には上手くできず、女の服を脱がせるのも、着るのを手伝うのも、ヤン相手ではまったく勝手が違う。
 それでも、はたから見れば、ふたりがひどく親密に抱き合っているようにしか見せない体勢で、幸いに誰にも見つからずにヤンの下着は元通りになり、シェーンコップはヤンのシャツの背中を掌できちんと撫で下ろして真っ直ぐにしてから、上着の中から手を抜いた。
 「ありがとう。」
 ヤンが胸元を気にしながら言う。
 「ポプランの奴は、後で1発殴っておきます。」
 礼儀正しくヤンと距離を取り、シェーンコップはわざと真顔を作った。
 「そっちは好きにするといい──でも、ムライ参謀長は・・・」
 「遅刻のお説教には、同席させていただきますよ。」
 「ありがとう。」
 さっきよりもよほど真剣味を込めて、ヤンが言った。
 ポプランが持ち出した女の話に、ヤンが一向に興味もなさそうなのが物足りない気はしたけれど、問われる前に釈明するわけにも行かず、シェーンコップは黙ってヤンの背中を押し、やっとドアへ向かう。ヤンの背中から手を離さずに、さっき触れたシャツ1枚下の、背骨のくぼみと肩甲骨の盛り上がりのはっきりと分かる肉の薄さを思い出さないために、少しだけ奥歯を噛んだ。
 会議室へ入り、全員の視線が自分へ向いた瞬間、ヤンは魔女と呼ばれる司令官の貌(かお)になって、すっとシェーンコップから離れて自分の席へ向かう。その背を、ふと足を止めて見送ってから、シェーンコップは自分の席へ向かった。
 こほんと言うムライの咳払いに、ヤンとシェーンコップが肩をすくめ、互いに目配せしたのは同時だった。

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