Savage Blue
@そのバーは、大きめの通りに面していたけれど、窓は黒く塗られて中は見えないようになっている。
見るからに怪しい見掛けで、ちょっと通り掛かりに入ってみようとはとても思えない。そこへ来る客たちのためには、その方が良かった。
パートナーのAlexandra Eamesと別れて、Robert Gorenはひとり大きな肩を少しすぼめるようにして、その店の中へ入って行った。
適当に薄暗いその店の中にいるのは、ほとんど男ばかりだ。暑い季節というわけでもないのに、肩や腕を剥き出しにして、中には明日もないように抱き合っているふたり組もいる。
ここへ来ると、少し肩の力が抜けるような気がする。Gorenは、人の間をすり抜けながら、ここでは場違いな、まだゆるめてもいないネクタイのスーツ姿の自分の足元を見下ろしてから、カウンターの上にどさりと大きな革のバインダーを放ると、やって来たバーテンダーにストレートのジンをダブルでと頼む。
誰よりも頭ひとつ分に近く高い背をちょっと丸め、少しだけ落ち着きなく周りを見回した。
GorenのいるMajor Case Squadのビルからちょっと遠いこの場所で、見知った顔を見つける気遣いはない──だからこのバーに来る──けれど、いつも肩越しにそうせずにはいられない。
いわゆる整ったと言われることはない顔立ちの、けれどどこか人目を引かずにはいられない奇妙に色っぽい唇の辺りへ、素早く視線を投げる誰かがいる。その視線をとらえて、けれど応えはせずに、Gorenは差し出されたグラスの方へ向き直った。
背の高さとスーツの仕立ての良さ──Gorenの趣味ではあるけれど、半分は扱う事件の関係者へのイメージのためと、2m近い身長で既製品が合わないせいだ──で、普通のバーへ行けばうるさいほど女たちが声を掛けて来る。彼女らを追っ払う術は心得ているけれど、パートナーのEamesを含めて、女性全般に冷たい振る舞いのできないGorenは、彼女らに興味がないのだとわざわざ知らせるよりは、こうして同類の男たちの集まる場所で気を抜く方が気楽だった。
ここで誰かと知り合うとか、声を掛け合うとか、そういう期待はほとんどない。それなりに魅力的と言えないでもない外見だとは言え、同種の男たちはたいていもっと期待が大きい。だからこそ気楽とも言えた。
期待なぞせずに、周囲がひそやかに騒がしいのを横目に見て、少しばかりの酒で神経を休める。ここはそのための場所だった。
喉にひりつくジンをゆっくりと流し込みながら、すぐ横に、腕を差し入れて来た男がいた。
「ウゾをショットで。」
わりと珍しい酒の名を聞いたと、ごく自然に、これもスーツの、少しくたびれた風な袖口から上へ向かって視線を動かして、バーテンの方へ真っ直ぐに向いている男の横顔を見る。
少年っぽい瞳の、けれど顔の下半分はうっそりとひげに覆われて、おざなりな手入れを週に1度することにしていると言った感じのその伸び方を、Gorenはチャーミングだと思った。
それから、ふとその顔に見覚えがあるような気がして、こんな場所では珍しくもない動きで、男の姿をもっとよく見た。
知っているとすれば仕事でだ。目撃者だったか、それともすぐにそうでないとわかった容疑者だったか、そう考えてから、男の持つ雰囲気が自分のそれそっくりだと気づいて、思わず上着の襟辺りに警察のバッジがないかと目で探す。
男は受け取ったショットグラスを、すぐに口元に運んで、そのまま一気に煽った。強い酒が喉を通り過ぎ、胸を焼いているのが目に見えるようなその眺めに、Gorenは思わず目を細めて、この男同様に、自分も同業者にはそうとすぐわかる空気を脱ぎ捨てられずにいるのかと、ちょっとの間自分のスーツの袖口に視線を移す。
「Lupo?」
やっと思い出した、この顔と一致する名前を、グラスをとんとカウンターに置いた男の横顔に、小さくささやく。
軽く驚いた男がGorenの方を向き、呼ばれた名を否定はせずに、けれどひどく怪訝そうにGorenを見つめた。
「Ed Greenの?」
刑事とは、わざと言わない。ここで職業を隠しているのは多分Gorenだけではないだろう。Greenの名を出した途端に、男の眉がきゅっと寄った。
「・・・そっちは・・・?」
あごを振って訊く男に向かって、Gorenは少しにこやかな表情を作ってから手を差し出した。
「Robert Goren、Major Case。」
バーテンダーが向こうの客の注文を聞いている位置を確かめて、Lupoにだけ聞こえるような声で言う。
課の入っている建物が違うとわかったから、Lupoの、ちょっと険しくなりかけた頬の線がゆるみ、やっと眉の間を開いてGorenのその手に応える。
「Lupo。Cyrus Lupo、27th。」
「ああ、知ってる。」
握り返す手が、自分のそれとあまり大きさが変わらないことにも、Gorenは好感を持った。
全体にくたびれた風体、ズボンはコーデュロイだ。カジュアルと言えば聞こえがいいけれど、ようするに、とりあえずサイズと色が合っていれば何でもいいという類いのセンスの持ち主らしいと見て、Gorenはひげを剃れば途端に少年めいた風貌になるのだろうLupoのその取り繕わなさを、好ましいタイプだとちょっと微笑む。
「ここにはよく?」
取調べにはならないように口調に気をつけて、Gorenはそっと探りを入れた。
Lupoが少し表情を改めてから、辺りを見回すような仕草をして、Gorenの方へ肩を近づけた。
「・・・ひとりの時はいつも。そっちも?」
今度はLupoの番だ。相手の表情や仕草から頭の中身を読み取ることに長けているふたりは、うそをつけないことを承知で、こういう時には誰もがそうする少し照れた表情を浮かべ、また一緒に微笑み合った。
「署から少し離れてるし、誰かに会う気遣いがない。」
Lupoが言った語尾をすくい取って、Gorenはジンのグラスを口元に運ぶ途中で止める。
「・・・今日までは。」
「ああ、確かに。」
少し大きくLupoが笑った。
それから表情を改めて、カウンターに寄りかかると、ちゃんとGorenにだけ聞こえるように、声をひそめる。
「Eddieのことを知ってるのか。」
Gorenは肩をすくめた。
「話は知ってる。ウチにだって噂くらい回って来る。オレもどっちかって言うと問題アリなんでね、Captainから身辺に注意しろって言われたよ。」
「余計なお世話だな。」
「まったくだ。」
Lupoの前のパートナー、Ed Greenが、違法賭博に関係していたチンピラを射殺して実刑処分を下される直前に、そのチンピラが先に誰かを殺そうとしていたのを止めようとしていただけだったという真相がわかり、当然不起訴不処分にはなったものの、いろんなことに疲れてしまったと言い残して署を去ったのは半年ほど前だ。
Edのことはいまだ気軽に口にはできず、Edの名前が出るたびに、Lupoは背筋が硬張るのを感じる。
中東での勤務を終えて、4年ぶりにここに戻って来たのは、兄の死のせいだった。その死のほとんど直後に、パートナーが不祥事で辞職したというのは、何か自分が疫病神のような気がする。
EdのことをMajor CaseのGorenが知っているということに加えて、自分の兄が自殺したという話ももれ伝わっているのだろうかと、LupoはGorenの方を窺った。
さっきのショットで終わりにするつもりだったけれど、せっかく出会ったGorenと、同じ刑事だけれど課も署も違う、ここ以外ではおそらく交わる心配のないという気安さで、すぐには別れがたい気がした。
警察という枠組みの中で、同性愛者であるということは歓迎されているとはとても言いがたく、だからこそ誰にも見咎められることのないこんな場所まで足を運んでいるのだけれど、ここでGorenという刑事に出会ったのも、何かの縁のようにも思えた。
ゲイであることを隠しているのはきっとお互いさまだろうと思いながら、LupoはGorenに微笑みかけて、もう1杯ショットを頼むつもりでバーテンダーに向かって手を上げた。