Mike + Phil

相棒

 これはようするに、父親を求める気持ちだと、Mikeはそう判断して、Philの傍へ寄った。
 一日外を歩き回った後の、埃と汗の匂いだ。死んでしまった父親を思い出す。あの男も、まれに家に戻った時に、必ず同じ匂いをさせていた。
 横にも縦にも大きな年嵩の相棒は、機械の中ですっかり煮詰まってしまっているコーヒーに、顔をしかめながらそれでもずずっと口をつけ、隣りに立っているMikeに振り返る。
 「ひどい顔だな、何なら今日は早く上がってもいいぞ。」
 80近い老女が、人気のない町外れで死体で見つかった。
 捜索願に該当する者はなく、そして彼女の体は傷だらけで、誰かに虐待されていたのかもしれないと、死体を検分した医師が担当刑事たちに淡々と告げた時、Philはぴくりと眉を上げ、Mikeは素直に、罵りの言葉を口にした。
 目撃者はなし。彼女の身元もまだわからない。どこかで彼女の家族が、彼女を探しているのかもしれないし、あるいは、彼女の死体が見つからない、あるいは身元が分からないままのことを、心の底から祈っているのかもしれないと思うと、腹の底から湧く吐き気を、Mikeは止められなかった。
 そんな1日だ。Philがやや心配そうに、ゆるめたネクタイを、突き出た腹の前に馴染ませようと、無駄な努力をしている。
 Mikeは、そんなPhilを、どこか親愛を込めた視線で、じっと眺めた。
 「どうせ、どこからか情報が入るのを待つしか手がない。聞き込みはまた明日の朝からだ。帰って寝ろ。」
 少し視線が下になる、Philの首周りを包む白いシャツは、彼の妻が文句を言う様がきっちりと目の前に浮かぶほど、薄汚れていた。
 「帰りたいのはアンタの方じゃないのか、Phil。」
 名前を呼んだのは、わざとだ。名前の響きの優雅さとは似ても似つかない、一体どこのマフィアの首領(ドン)かと思うような風体は、けれどMikeには好ましいものだ。
 白目の勝った、鋭い目つき、きちんと整えられた暗い色の髪、重々しく喋る様は、被害者側には、いつだって頼もしく映るのだろう。
 決してうまいというわけではないのだけれど、Philのゆるめられたネクタイを、きちんと結び直してやりたいと、Mikeは唐突に思う。
 「オレはまだ、Captainと話があるんだ。」
 検事連中に呼ばれて、出掛けて行ったCreganがまだ戻らない。
 「Donnieか? 待ってたら朝になっちまうぜ。」
 Philが仕方ないさと首をすくめながら、同時に、上司を愛称---多分の揶揄と、少々の親愛を込めて---で呼ぶMikeの不作法をとがめるために、ちょっと目元を険しくする。
 とは言え、Cregan自身もPhilも、30を過ぎているというのに、何もかもがまだ若々しいままのMikeのやんちゃぶりを、やや眉をしかめながらもいとおしんでいたから、それが直かに評価に響くということはなかった。
 自分が、どちらかと言えば、年上の男たちとたいていの女たちに、可愛がられるタイプの人間だと、Mikeはしっかりと自覚している。
 その自覚ゆえに、疎まれて憎まれることも、多々あるにせよ、Mike自身は、自分に与えられる視線というものを、基本的には楽しんでいた。
 最初から好意を持っていたというわけはないけれど、今では、Philが自分を大事な相棒として、きちんと扱ってくれることに、心の底から感謝している。
 ぶ厚い背中を丸めて、Philがまたコーヒーメーカーの方へ向き直る。
 「わかったわかった、アンタと一緒に帰るのは諦める。だったらせめて、まともにメシくらい食ってくれ。」
 「・・・ひとり者のおまえさんに言われたい台詞じゃないな。」
 「ひとり者の俺の方が、マシなレストランには詳しいと思うぜ。」
 Philが肩をすくめる。今度は、薄い唇に、はっきりと笑みを刷いて。
 「給料日前に、おまえさんのオススメなんぞにホイホイついて行ったら、女房に殺されちまう。」
 「事件(コト)は俺が担当してやるから安心してな。」
 派手なチェック柄のネクタイを掌で撫でながら、Mikeも声を立てて笑った。
 「何がいい? ハンバーガーとフライか、それともテイクアウトのパスタか、サンドイッチかピタにでもするか。」
 「フィッシュ&チップスにしとこう。ビネガーは黒いヤツだ。それから、クリームと砂糖を別で、コーヒーもだ。」
 Mikeの目の前に、たった今空にした紙コップを軽くかかげて見せて、その陰で、Philは鼻の頭にしわを寄せる。
 「3切れじゃなくて、2切れにしとくぜ。アンタの腹の出具合が、最近心配だ。」
 「おまえさんはオレの腹回りの心配よりも、あったかい夕食で帰りを待ってくれる女の子を見つけるのに焦る方を先にすべきだな。」
 「余計なお世話はクソ食らえだ。」
 下品に言い捨てて、けれど軽い足取りでまだPhilの方を向いたまま、Mikeは自分の席へ足を運び始めていた。
 明日はまた、同じように気の重い1日だろう。汚物まみれの気分にさせてくれる日だとわかっているからこそ、今この時だけ、Philが与えてくれた少し愉快な気分を、もう少し長引かせたかった。
 革のジャケットを、椅子の背から取り上げながら、書類だらけの自分の机を見下ろして、こんな場所でも、大事な誰かと、たとえ忙しいエネルギーの補給に過ぎないにせよ、食事をできるなら、自分が育った家庭の食卓よりも、千倍はマシだと、Mikeはこちらへ戻ってくるPhilに向かって、すぐ戻ってくると、極上の笑顔を刷いた。

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