Rashad×GSP

微熱

 酔っ払っている振りをするのは簡単だった。
 勝った試合の後のパーティーだ、勝者本人が浮かれて、少しばかり飲み過ぎたとしても、今夜だけは大目に見てもらえる。
 Rashadは、人の熱に少しばかり疲れたような表情で、薄暗い片隅に、背中を丸めてソファに坐り込んでいるGSPを見つけた。手には水のボトル。相変わらずだなと、3杯目のビールを空にしながらそちらへ近づいて行った。
 「ひとりで何してる。」
 主役ではなくても、ウェルター級のチャンピオンを誰もが放っておくわけではないから、誰にでも愛想のいいこの男は、笑顔を振りまくのに疲れてしまったのだろう。Rashadは酔っていないと思いながら、わざと体をぶつけるようにして、GSPの隣りに腰を下ろした。
 「うるさいと、英語でしゃべるのが面倒なんだ。」
 そう言う通り、途切れのない大音量の音楽を避けるために、Rashadの耳へ唇を近づけて大き過ぎない声で怒鳴る。なるほどなと思いながら、耳にかかる呼吸のぬくみに、ちょっと肩の辺りがぞくりとした。
 試合が終わったばかりの、しかも勝った試合の興奮が抜けていない。極限まで集中力を高めたせいのそれは、リングの外で味わう興奮とは少し違う。それに、トレーニング以外の無駄は、厳しく管理された食事と睡眠以外ほとんど許されていないから、禁欲生活のタガが外れてもいた。そしてわずかに感じる、酒の酔い。
 英語でしゃべるのが面倒ならフランス語でもいいぜと、言うつもりでにやりと笑った。フランス語なんか、挨拶と数字くらいしかわからない。思ったよりも酔っているなと、思った時には体が動いていた。
 相変わらず、こちらもつられて微笑みたくなる笑顔、それに向かって唇を近づけ、試合の前後や練習の時にふざけてやる、からかいのキスよりももう少し深く、酒臭い湿ったキスだった。
 GSPがわずかに肩を引いたのを感じたけれど、唇が逃げることはせず、ただ触れるだけよりは長くそこにとどまって、離れるついでのように、ちょっと硬張った頬を撫でてゆく。今日、Liddellを殴り倒した拳を作った手だ。
 ちょっと驚いた表情が、しかめ面に変わる。たった今Rashadが触れて湿した唇を、上と下でまるで女の子が口紅の塗り具合でも確認するようにすり合わせて、
 「フランス系の人間が、男同士でも平気でキスするって思ってるんなら誤解だ。」
 本人によれば、女の子とすらろくにキスすることもないという男が、まるでRashadの振る舞いをたしなめるように言う。
 「・・・酔ってるだけだ。」
 耳元で、わざと、ささやくように言ってみた。女の子を口説きたい時に使う声音が、ウェルター級のチャンピオンで、その気になれば自分を叩きのめすこともできるだろう男に通じるかどうか、半分はいたずら心だったけれど、薄暗い照明の下ではっきりと赤くなった白い頬に、Rashadの方が驚いた。
 金網の中では誰にも引き倒されも押し倒されもしないこの男は、その外でなら案外とあっさり負けるのかもしれない。
 年よりも幼く見える顔立ちに目立つ傷跡はほとんどなく、それがこの男の強さを示している。誰かと向き合った時には、まずそんなことを確かめてしまうようになってしまった自分のプロらしさを、Rashadは心の中でこっそり笑った。
 同じ世界にいるのだと思う。彼は先にチャンピオンになり、その肩にベルトの重みを背負って、誰かが背後から走り寄って自分を引き倒そうとするその気配を、振り向くことはせずに感じ続けなければならない。その恐怖の深さと大きさに、ベルトを目指している時には気づかないのだ。Rashadもそのベルトに、今確実に近づきつつあった。
 近いうちに、同じ立場になると、確信がある。いつもの、ほとんど目のなくなるような笑い方をして、RashadはGSPの肩を抱き寄せた。たまたまそうなってしまったのだと言う素振りで、きれいに刈り上げられたうなじの辺りへ唇を滑らせる。リングの外で、練習でも仮試合でもなく、ふたりで抱き合っている姿を何の疑問もなく想像して、彼の素肌の腰へ滑る感触が、、誰かを殴るための手の中に湧き上がって来る。
 今夜勝った勢いで、そんな勝ちも目指してみようかと思った自分を、酔いのせいに慌ててしながら、負けるのは自分の方だとRashadは思った。思いながらまだ、GSPを抱き寄せたままでいる。

2009/6/6−初稿、2009/8/8−加筆修正
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