TUF1/Nate×Chris

At First Sight

 惚れっぽい性質(たち)であることは自覚している。そしていつも、相手が絶対に自分には振り向いてはくれない類いの人間だと、それもわかっている。
 いつだってそうだ。淋しくなるとたまらなく人恋しくなる。そうなると、誰だっていい、たまたま優しくしてくれた誰かに、必ず恋をする。一方的に惚れて、それを隠せなくて、気がついた相手はたいてい困惑と嫌悪の表情を浮かべ──予想したその通りに──て、背中を向けて去ってゆく。
 いつだってそれの繰り返しだ。
 8週間、外の世界とは基本的に切り離されて、トレーニングだけの日々を送ると、そう契約に同意した時に、予感がした。
 いくつ部屋があるかわからない豪邸に、16人男ばかりが集められて、そこから車でジムへトレーニングのために送り迎えされる以外は、基本的に何も許可されていない生活に片足を突っ込んだ瞬間、面白そうだとへらりと笑ったChrisの視線の先に、物静かに肩をすくめている彼がいた。
 例えるなら、まさに鋼めいて、きちんと使うために鍛えた筋肉の形なぞ、Chrisに珍しいわけでもなかったけれど、彼の沈んだ色合いの緑の瞳には敵意も悪意もなく、自分を見つめているChrisに気づいて、ふっと唇の端を上げ、その微笑みが、まるでそよ風のように、自分の頬をなぜて行ったように、Chrisは感じた。
 彼に向かって目を細めた時には、彼はもう視線を他へ移していて、Chrisはおかげで、こっそりと彼の立ち姿を隅々まで盗み見ることができた。
 身長と胸の辺りの厚みから、自分と同じMiddleの選手だろうと思う。締まりのやや物足りないChrisとは違い、彼はどこもかしこも引き締まっていて、今すぐ金網の中へ入れと言われたら、この場で服を脱いで言われた通りにしそうな、そんな雰囲気があった。
 束ねた針金のような、その針金の1本1本は、両端が鋭く尖っているような、そんな印象を受けた。触れても大丈夫だ。けれど触れる場所に気をつけなければいけない。
 目を引かずにはいない、造作のきれいに収まった顔立ちは、それでも鼻筋の不自然さで何度もひどく殴られたことがあるのだと知れる。けれどそれ以外、顔には特に目立った傷跡はなく、それが彼の強さを示しているのだと思って、Chrisはごく自然に湧き上がって来る競争心に、ジムバッグのストラップを強く手の中に握りしめた。
 皆で集まると、ただそうなったという振りで彼の隣りに坐る。どさりと腰を下ろしても、薄く浮かべた微笑みを困惑に変えることもせず、彼はChrisに向かって握手の手を差し出して来る。
 「Nate Quarryだ。」
 「Chris Leben。Middle Weight。アンタは?」
 「同じだ、Middle Weightだ。」
 思った通り同じ階級だ、思いながら、差し出された手の中に、自分の指先を差し出してゆく。マニキュアを黒く塗ったChrisの爪を見て、Nateと名乗った彼がまた笑う。さっきよりも大きく、面白そうに笑う。
 細まった緑色の瞳の美しさに、Chrisは思わずぽかんと口を開いた。
 指の長い、骨張ったNateの手。子どもじみた自分の手とはまるきり違うその手が、自分の手を包んで、握り返す。力強い全身の印象とは逆に、彼の穏やかさそのままのような、優しさの強い握手だ。これはただの挨拶だと言うのに、Chrisはもう自分の心臓の音で鼓膜が破れそうだった。
 これから何週間か、ここで集められた男たちと共同生活をする。一緒にトレーニングをして、ここに閉じ込められて過ごす。この、Nateと名乗った男とも、一緒に。
 もう、恋に落ちていた。少しの間見つめて、名乗り合って、挨拶に握手を交わしただけの相手に、もうどうしようもなく恋していた。
 Chrisの方を向いて、Nateが何か言う。Chrisはきちんと受け答えしながら、まるっきり上の空だ。
 そうして、不意に、何かを見るつもりだったのか、あちらを向いたNateの右耳が、レスリングや格闘技の選手にはよくあるように、すっかり流線を失くして膨れ上がっているのを見つけて、Chrisは唐突にうれしくなる。
 同じだ。自分と同じように、この男も痛めつけられて、血を流して、それでも飢えたように殴り合うことをやめられない、同じ類いの人間なのだとはっきりと悟って、Chrisは今すぐ彼に抱きついてキスしたい気分になった。
 自分と似たところなどどこにもないように見えるこの男も、自分と同じ側にいる人間なのだと知ると、もっと似たところはないかと、探るような目つきになる。似たところを見つけられれば、もっと近づけるような気がする。彼に、これからきちんと認めてもらえて、受け入れてもらえるような気がした。
 似ていれば似ているほどいい。同じ階級で、同じ家に住んで、同じジムでトレーニングをして、それならいっそ、同じチームで同じコーチということになればいい。
 Nateがどんな男なのか、早く知りたくてたまらなかった。そしてもう、あれこれと想像をめぐらせて、自分が思うNateと実際のNateに、大した違いはないと考え始めてからやっと、ここに来た目的を慌てて思い出して、Chrisは咄嗟に姿勢を正し、Nateの方へ向いていた両膝を真正面に向け直す。
 そうだ、ここへは、闘いにやって来たんだ。
 勝ち抜いて、最後に残って、プロの格闘技の選手としてひとり立ちできるように、そのために、皆はここへ集められたのだ。
 みんな敵だ。やっと他の顔を見回して、Chrisはひとりでうなずく。そうしても、Nateへ視線を戻した途端に、敵という言葉が胸の内から一瞬にして消え失せる。自分に向けて微笑んでいる彼と、金網の中で殴り合う自分の姿が想像できない。
 淋しいと、まだ感じてすらいないのに、自分の住んでいる場所や友人や仲間を恋しがるための時間すら経っていないと言うのに、Chrisはもうこの男に恋をして、ひとり勝手な眩暈の中に落ち込みそうになっている。
 あごやこめかみを殴られると、一瞬で意識が飛ぶと言う。幸いに、まだそんな目に遭ったことのないChrisは、この、世界中が揺すぶられているようなこの感覚は、殴られた時のそれに似ているだろうかと考える。そして、このNateと言う男は、殴られて白っぽく揺れる世界が途切れる瞬間を、味わったことがあるだろうかと、早く訊きたくて仕方なかった。
 殴るため以外には、滅多と使うこともない両手で、Nateに触れたいし、身長のわりには長く見えるNateその腕が、自分を抱きしめてくれればいいと思う。
 そんなことは多分、絶対に起こらないだろう。
 突然起こった、事故のようなこの恋は、一体どんな風に終わるだろうかと、Chrisはまた上の空で考える。
 まだ笑顔以外見ていないNateの、困惑と嫌悪の表情を想像して、うまく思い浮かべられないことをひそかに喜びながら、そんな表情で見返されるまで、そう大した時間は掛からないに違いないことをさっさと悟って、Chrisはもう失恋の気分を味わっている。
 殴られて感じる痛みの上にかぶさって来るエンドルフィンは、胸の痛みには効かない。
 彫刻のようなNateの横顔に、へへっと笑いかけると、Nateも何も言わないまま笑い返して来る。
 この笑顔だけを覚えていたいと思いながら、Chrisは胸の痛みに負けずに、笑みを深くした。

戻る