恋一夜
濡れた髪を
はじめて見せた夜
心が泣いた
抱かれていながら さみしくて
かさねてゆく
唇でさえ たぶん
答えだせない
熱くなる肌を 信じるのに
瞳を閉じて 願いが
かなえられたと 感じた その瞬間に・・・
まだ深い愛がかならずある
わからない わからない どうなるのか
きりがない きりがない ふるえる胸
あなたの腕に狂いながら こわれしまいたくなる
どこまで好きなればいいの 涙に終わりはないの なぜ
爪の先が
シャツの背中堕ちて
めまいの嵐
譫言みたいに あなたを呼ぶ
求めあうまま つかんで
確かめあった ぬくもり そのさきに・・・
燃えつきる愛がかならずある
苦しくて 苦しくて かすれる声
せつなくて せつなくて 消えない夜
ふたりであたえあえる夢を 嘘になんかしたくない
どこまで強くなればいいの 痛みをふりきれるまで
拭き終わった髪を、元基は後ろに払った。 まだ残っていた水分が、 頬の辺りに跳ねる。反射的に、目を閉じて、軽く首を振った。
薄闇に、目の前にいる彼の輪郭が、ぼんやりと浮かぶ。
その、記憶とは重ならない輪郭の実体を、これから記憶するのだと、元基はまた、心の中で呟き返した。
瞳を開け、流れ込んでくる不躾な明かりに、元基は目眩する。
ベッドで藤田は、そんな元基をさっきから、伺うように眺め続けていた。膝を抱え、不安げな色の瞳で、元基をじっと見ていた。
「明かり、消しませんか?」
出来の悪い操り人形のようにのろのろと動いて、藤田の言う通りに、元基は部屋の明かりを全部消してしまった。
それでも薄いカーテンを透かして、消えることのない街なかの明かりは、部屋の中を、魚の泳ぐ水槽のように見せている。四角く切り取られ、閉じ込められた空間に泳ぐ、薄く冷たい体をした小さな生き物。熱帯魚のようだと、ふと元基は自分のことを思った。
その連想の通り、泳ぐように足を運び、ベッドに滑り込む。藤田の隣で、小さな動きで、元基はすっかり裸になった。剥き出しになった肩に、急に空気が寒い。
言い出した藤田の方が、けれど元基よりも不安がっているのを、元基は知っている。今だって多分、藤田の心臓は、早鐘のようだろう。
ずっと 俺は 、ファンやってましたから、元基さんの。どうせ信じてもらえないんでしょうけど。元基さんが言ったって------俺たちのこと、DOOMのこと聴きたがってるって聞いた時、俺がどんなに驚いたか、わかりますか?
酔っていたのは元基の方だった。友達なんていない、誰も本気で自分のことなんか心配しない、そんな意味のことを、どうした話の流れか、藤田に向かって口走ったことは覚えている。
藤田クンが好きだって言ってるのは、オレの歌であって、オレ自身じゃないでしょ。だって藤田クン、オレの何知ってる? どうしてそういう風になるんですか? 全部知ってなきゃ、好きになっちゃいけないんですか? 俺は元基さん、歌だけじゃなくて好きですよ。みんな最初はそう言うけどね。最初だけ、はね。オレってねぇ、人に嫌われるタイプみたいだからさ。だーれも俺のことなんか、ただの人間としては好きじゃないよ、きっと。そんな風に言うの、やめて下さい、お願いですから。
かすれた声で、藤田が言った。語尾が震えかけていた。
喋る声が稚じみる元基の声とは対照的に、話す時の藤田の声は、ひずんで平たい歌う声とは似てもつかず、ひどく深く甘い。耳にしっとりと流れ込んでくるように、元基は感じていた。会話の深刻さとは裏腹に、元基は、静かに喋る藤田の声を、心地よい旋律のように、耳の奥で反芻していた。
その声をずっと聞いていたくて、その声で聞く、好きだ、という言葉が、たとえその場限りの嘘であっても元基には心地よくて、元基は限界を越えて藤田を追い詰めてしまった。藤田がそれを、自分から言い出すように。
じゃあ------寝ますか、俺と。
諦めたように、投げ出すように、そう言った藤田の胸に、元基は黙って飛び込んだ。
意外と藤田も、こんな機会を待っていたのかもしれないと、その時元基は思った。
人の言葉どころか、体の繋がりさえ信じきれないくせに、元基はそれでも人のぬくもりに、今はすがりたかった。
孤 (ひと) りと思うことは、元基をひどく寒くさせる。自分を惨めだと思えば思うほど、誰かの肌の暖かさが恋しくて、そのために、藤田の気持ちを利用したようなものだった。
藤田もいずれ、自分から離れてしまうのだろうかと、元基は考える。こんな風に、近く体を合わせて、言葉にはしない心の奥底を、互いに覗いても---いや、だからこそか---、今は自分に優しいこの男も、いずれは自分の元を去って行くのだろうか。
ぎこちなく腕を巻きつけてくる藤田に、瞳を閉じて体を添わせながら、元基の内は一向に満たされない。
どこかの気狂いが、自分を侵しながら殺してくれでもしないかと、ふと思う。そうすれば、自分は幸福に死ねるのに、と思う。
努めて言葉は交わさず、妙なうしろめたさとともに、ふたりは抱き合っている。これはいけないことなのだと、こんなことをすべきではないのだと、ふたりの奥底はずっと言葉なく囁き合っている。
けれど、だからこそ、やめてはいけないと、元基は思う。
体は正直に昂ってゆく。膚の熱さを信じて、置き去りにされたままの心を、それでも添わせようと、元基は唇を噛んだ。
ぬくもりを欲しがったのは自分で、そしてそれはかなえられたのだと、元基は信じたかった。そう思いながら、藤田の背が、恋しいと思う、今抱きしめたいと強烈に思うそれではないことを、元基は両腕一杯に感じている。
透明になろうとすればするほど、混沌と、自分の内は乱れてゆく。冷えた無機質な視線が、意地悪くその混乱を眺めている。
哀しいと、元基は思った。
背筋に添って、いつもの、爆発の感覚が駆け上がる。
藤田が何か囁いたようだったけれど、元基はもう聞いていなかった。
体の形を整えられながら、ああと、藤田の言ったことに元基は思い当たる。
まぎれもない他人の体と、不自然に繋がりながら、また、死にたい気持ちが湧き上がる。 元基は、目の前の藤田の首に両腕を伸ばした。胸を合わせるようにそれを引き寄せ、そして、唇を重ねた。
Neil、Neil------ 飼い犬の名前でも呼ぶように、ふたりきりの時には、元基は用もなく彼の名前を連呼した。 それを咎めもせず、そのたびにNeilは、 そのたびに子犬を抱き上げでもするように、元基を抱き寄せ頬ずりする。
長くNeilの腕の中にいると、元基はいつも目眩した。白っぽく揺れる感覚の中で、またNeilの名を繰り返す。熱に浮かされた、うわ言ででもあるように。そんな時いつも、幸せすぎてこんな風になるのだと、元基は思った。
最初の夜、まるで空気のように、Neilは元基を抱いた。元基を怯えさせないように、ゆっくりと時間をかけて、薄くて華奢な、触わるだけで壊れてしまいそうな硝子細工でも抱くように、元基に触れた。元基はただ、Neilにしがみついて、子犬のように震えていた。
初めての形に、体を折り曲げられた時の、奇妙な羞恥心------そう、それは、ひどく奇妙な感覚だった。
そんなことについての少しばかりの知識は、逆に元基に恐怖心を煽り、 その形で初めて他人と繋がった時、元基は、自分のその羞恥と恐怖が女のものであると思った。以前、女としてこんな経験をしたのだと、はっきりと思い出していた。
自分の細胞が、指先から順に、女のそれに変化してゆく様が、鮮やかな映像で目の前を流れてゆく。
女の元基は、ひどく稚ない、けれどみだらな表情をしていた。
子どもじみた小さな体の上に大きな男を乗せて、体が裂けそうなほど足を開き、子犬の鳴き声にか細い喉を震わせている。それはほんとうに、母親を恋しがる、子犬の鳴き声にそっくりだった。
彼女は喜んでいるのだと、元基は思った。
Neilにしがみついて、Neilがそうしやすいように、元基は自分から大きく足を開いた。
自分を抱くNeilが、自分を男に戻してくれるのだと、元基は確信していた。そして、細胞が再び男に戻る感覚は、心地よく元基を満たした。
人が語る言葉には、種類がふたつある。元基の額に接吻しながら、まだ熱の残る体を 近くに寄せ合ったまま、Neilは囁いた。
ひとつは唇が語る言葉と、それからもうひとつは------と、Neilは人指し指を、元基の胸から腹、そしてさらに下に滑らせた------体が語る言葉。元基の体は意外にお喋りだ。でも、もう少し、素直になってもいい。
美しく、Neilが、笑う。
その瞬間、Neilに愛されているのだと、元基は信じた。Neilが口にする囁きよりも、Neilの肌がたった今語りかけた想いを、元基はより素直に受け取った。
元基の細胞のひとつびとつにNeilが言葉を満たし、そして元基は、Neilのいる世界でだけ、自由な呼吸を許される。唇と体の両方で言葉を交わし、元基はこの世界を至上と思った。この聖域は永遠で、何らの侵略もないと信じていた。Neilは全身全霊で元基を満たし、元基は液体のような自身でNeilを包み込んだ。
女であったことのある自分だからこそ、子宮のような感覚でNeilを包めるのだと、元基はふと思いさえする。
このままずっと一緒だ------かすれた声で元基は繰り返す。それに答えながらNeilはまた、元基を抱く腕に力を込める。
同じ夢をふたりは見ていた。少なくとも、あの時までは。
元基さん------と、藤田が動きを止めて呟いた。
焦点の合わない視線を向け、元基は女の感覚のない自分を、藤田の下で持て余していた。
硬いままの体。開かない、男のままの躯。
藤田が元基から離れて、不安な目をしている。
「何、考えてるんですか・・・?」
体を起こし、元基は藤田の唇を塞いだ。煩わしい嘘や言い訳は、するのも億劫だった。そのまま体を下に落とし、何も言わずに、ただ唇を開く。
元基の動作に驚いた藤田が、少しばかり体を引いて戸惑って見せたけれど、息を止めて、それからゆっくりと体の力を脱いたのを、元基は微かに感じた。
藤田の指が、元基の髪に触れる。
首を忙しく振りながら、目を閉じ、開いた唇から舌を出し入れしている時の自分の顔が、女の時の自分の貌とそっくりであることを、元基は何故か知っている。
ちゃんと女になって藤田を受け入れるべきだと元基は考えていた。
やっと顔を上げ、藤田の肩を押して仰向けにすると、元基は白痴の表情で藤田の上にのしかかる。
細胞のひとつが、ぱきんと音を立て、体からはらりと剥がれ落ちてゆく。女に変わる前兆だと、元基は白い頭の中で思った。
藤田の手を借りずに、自分で体を繋げると、元基は無感覚の体を、ただルールにでも従うように動かし始めた。
だめだよ、オレだけここに残るなんて無理だよ。
困ったような表情で、元基は言った。苦い顔で、Neilは首を振りながらうつむいた。
どうして------? ずっと一緒にいるって言ったのに。こんなのって、ない。
口にせず、元基は心の中で呟いていた。
VowWowを脱ければいい。元基ならどこでだって歌える。何もわざわざアメリカなんかに行くことはないんだ。
Neilが、たたみかけるように言った。
でもバンド辞めたらオレ、即刻強制退去だよ。なんのサポートもなしで、オレみたいなのがビザ取ってここにいようなんて、それこそ無理だって、Neilわかってるんだろ。
------結婚でもできるなら、ともかく。
それを口には、もちろん出来なかった。してはいけないと、わかっていたから。
元基はイギリスへは残れず、Neilはアメリカへ行く気はない。それだけのことだった。もう一緒にはいられない、ただ、それだけのことだった。
VowWowにいるからこそ、元基はイギリスで暮らせた。同じバンドのメンバーだったからこそ、ふたりは一緒に暮らせもした。VowWowを失えば、元基は何の力も持たない、ただの異国人になる。この国は、ただの外国人に、甘くもなければ優しくもないことを、元基はよく知っている。
仮に、運良くここに残れたとして、けれどNeilの世界でだけ、自分は生きていけるのだろうかと、元基はふと考える。
毎日毎日、抱き合って、キスして、一緒に寝て、多分一緒に音楽も演って、でもずっと、Neilの傍。Neilはオレの心臓で、血で、音で、全部で、世界で、もし万が一Neilを失ったら、オレは全部いっぺんに失くすんだ。全部、いっぺんに。
Neilなしでは、もう呼吸すら、ひとりですることを思いもしない自分をそこに認め、元基は愕然とした。
そして、それを否定する自分が、そこにいた。
もう一度、ひとりに戻らなければいけない。速やかに。
呼吸も心臓も血液も細胞も、現実には他人と共有は出来ない。何もかも、元基が元基自身の意思で生きるのだから。共有していると思うのは、ただの錯覚に過ぎないのだから。
だから、オレは、Neilはいなきゃダメなオレに、なっちゃいけない。
女の自分が泣き喚いていた。男の腕に押さえつけられ、踏みにじられようとしていた。女は、いつもの白痴の獣の顔ではなく、人間の貌で、自分を侵そうとする男に必死で抵抗していた。男が、怒りを込めて女の顔を撲りつけ、両手でその首を締め上げると、女が壊れてしまうのに、そう時間はかからなかった。
青白く体温を失った、女だった肉体の残骸の向こうに、元基はNeilを見ている。
女は逝った。殺したのは、元基自身だった。
もう、Neilの声は永遠に聞こえないだろうと、元基は思った。
「藤田クン、オレが好き?」
「好きですよ。」
間を置かずに、藤田は答えた。
藤田を見下ろすようにして、元基は、その瞳に映る自分を見ていた。
きっともう誰も、オレを子宮にはしてくれない。
藤田は自分の空気にも心臓にも細胞にもなれないと、元基はすでに悟っていた。
Neil以外の他人の侵入を許してしまった元基の体は、内側から渇き始めている。心さえも今、もうひび割れ始めていた。
Neilだけだったのだと、ようやく理解して、自分を嘲笑ってやりたいほど、悔しいと、元基は思った。
「ほんとに、オレが好き------?」
「好きです、ホントに。」
あやすように、なかばからかうように、藤田がまたさらに優しい声で答える。
白けた気分で元基は、おとなしく藤田の隣に体を横たえた。当然のように、藤田の腕が元基を自分の肩に抱き寄せる。
静かにそれに従いながら、閉じた瞼の裏に、元基は、藤田の血にまみれた自分の姿を見た。
小さな肉片になった、藤田、だったもの。血の海に元基は坐り込んで、それを玩んでいる。今手にしているのは脳髄らしかった。足元に転がっているのはつぶれた眼球だろう。向こうに砕けた頭。虚ろな眼窩が血の涙を流している。
おかしな、想像。
声を殺して喉を鳴らすと、唇をいびつに歪めて笑い、元基はようやく眠るために瞳を閉じる。
いつか自分は藤田を殺すのだろうと思ったのが、夢と現実のどちらの自分なのかなど、元基にはもうどうでもいいことだった。
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