序 * 6/19
私と言う一人称を使った記憶がほとんどない。地元言葉では、いわゆる僕だの私だのと言う表現はなく、地元言葉での人称は、地元を離れた時に使わなくなった。地元へ戻ればその人称を使うが、それ以外の時は少々妙な人称を使う。
僕と言う人称を、十代の一時使った。これは母が非常に嫌がったのを覚えている。
私なのかわたしなのかワタシなのか、自分のことを考える時に、字面では恐らくわたしと言うひらがながいちばんしっくり来る気がするのだが、文体も語彙も誰に対しての文章なのかも、その辺りすべてを少しの間忘れて、ここでは私と自分のことを称してみたい。
長い間、私の普段の生活での人称は「I」である。これは、性別も年齢も社会的立場もまったく何も付加されない、非常に淡白な極めて記号的一人称であり、ごく普通の一人称を、自分の母語である日本語では使用しない私には、ある意味非常にありがたくもある。
日本語で使用している人称は、初めての人には少々説明が必要な場合があり、そして場合によっては失礼な物言いと取られかねない言葉であるので、なぜそんな面倒臭い人称を使い続けているのかと、自問もすべきかと思うが、普段肉声で使わない人称をわざわざ変更すると言うのも、必要に迫られなければ必要はないのである。
私は、自分を私と称したことがほとんどなく、現在の私はほとんど常に「I」であり、日本語の便利なところは、私と発言すべき場では「自分」と言う人称が使用可能な点である。
私が、私と言う人称を拒否し続けたことにそれほど深い意味があるとも思われないが、まったく自分ではない一人称や二人称や三人称を使った文章を書き続けて、今になって、では私を使って、私が私である文章を書くと言うのは一体どういうことになるのかと、ふと思ったのが今日のことだった。
私は長い間私ではなく、他の人称や人称ですらない呼び方で自分を表わして来た。それを少し変え、ついでに私になる私の、私でなくては出て来ない素のようなものを抜き出して、私らしく何か書いてみようと決めた。
これは私が私になり、私と言う私を理解するために、形になるように表現した上で眺めて理解したいと言う欲求と衝動を現す場である。
こうやって書き出すことが、私の本音であるのか、相変わらずの小説のようなものの体を取った、何か自己表現のようなものなのか、あるいはまったくの嘘八百なのか、何が出て来るのかは私にもわからない。
私は、私を私と呼ぶ私をよくは知らない。私を私と呼んでいた私は、私を私と呼びながら、実際はどちらかと言えばわたしであり、しかもそれは、文章を書く時と礼儀を持って大人たちと接する時にだけ使われる、ある意味特別の人称であったので、その頃私と私を呼んでいた私は、あまりに私の実情とは掛け離れた、よそゆきの私であった。
わたしとひらがなで言うなら、若干は素へ近づけるような気もするが、この場ではあえて私と漢字を使って、私すらよくわからない私と言う私を、ここへ引き出せたらと思う。
小説かも知れず、散文かも知れず、あるいはただの出来の悪い雑文になるかもしれない。私はただ、書きたいと言う衝動に従って、私と言う私を表わしてみようと試みるだけである。
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文章を書くと言うことは、呼吸をすることと同じだ。考える必要はなく、気がつけば頭の中に言葉を連ねていると言う有様だ。呼吸ができなければ苦しいのと同様、書けなければ苦しい。頭の中に続々と現れる文章を吐き出す術がないのは、時に七転八倒の苦しみになる。
何かを生み出すために書くわけではなく、何か善行でも施すために書くわけでもなく、それは単に書くためだけと言う行為で、そこには何の意味も重さもない。呼吸や排泄と同じだ。しなければ死ぬ目に遭う。
売文と言うような目的もなく、またその技術も知性も気概もなく、ただ呼吸と同じに文章を連ねて、趣味と言うには漠然とし過ぎていて、職業にするにはあまりに浮わついたイメージが強く、そしてこれで身を立てるには、想像を絶する努力と運が必要になる。と言う程度の想像力があるのが、凡愚の何よりの悲しみだ。
プロの野球選手が、夜中に起き出してバットを振る練習をするとか、どこかの職業作家が月産六百枚(原稿用紙)とか、子どもの頃はそんな話を聞いて、彼ら彼女らの努力と気力の度合いに感嘆したものだったが、今大人になって思えば、あれは努力でも何でもなく、彼ら彼女らは、ただそうしたい、そうしなければならないという衝動に身を任せただけだったのではないかと思われる。
その衝動がなければ、そもそもプロの域には達せられない。
好きも嫌いもなく、バットを振らなければ、書き続けなければと、常に背中を押される気持ちがなければ、人とは違う域へなどたどり着けるものではない。
凡愚の苦しみは、同じ衝動があっても、吐き出すものと形がないことだ。書きたいが、書きたい衝動は背中を押して来るが、空の自分の中からは何も吐き出せない。吐き気があっても空の胃からは、嗚咽とせいぜいが胃液しか出ないのと同じだ。
それを才能と言うべきかどうかは、あえて知らぬ振りを決め込んで、それでもその衝動を吐き出すために、あれこれの手段を意地汚く使っても来た。
ある作家は、この衝動を鬼と呼び、背中に取り付いた餓鬼と同じだと表現した。
私にとっても、この衝動はやはり鬼である。角があるかどうかも怪しい子鬼ではあるが、間違いなく肩の辺りに乗って、私の背を押し続け、耳元でなぜ書かない、早く書けと叫び続けている。
書かずにはいられない。表現するものがあるなしに関わらず、頭の中に浮かぶ言葉を吐き出さずにはいられない。
物語らしきものを綴って、あまりの愚鈍に完結さえさせられないとわかってはいても、書き出さずにはいられない。
言葉は、膿のようだ。脳にできた、あるいは、生まれた時にはすでにあったのかもしれない、脳を損なう傷口から、熱を持って垂れ流れる膿だ。
傷口は治る様子などなく、乾く暇もなく、膿を流し続けている。それを外に出さねば、ただでさえ嵩の少ない脳が頭蓋骨の中で圧迫されて、いっそう小さく縮こまる。
私は、生きるために書き続けねばならないと、常に感じている。書けない自分が恐ろしく、書けない自分はゼロ以下になり、最早呼吸すら許されない存在になるのだと感じている。
そうして一方で、その呼吸代わりに、では大層なものを書いているのかと自問もする。答えは当然否である。
私が吐くのは、人の呼吸には使えない二酸化炭素であり、これは植物が吸収してくれるので、すべて害で無駄だとは言わないが、私に限って言えば、常にこの世の空気を汚しているような、そんな肩身の狭い思いもしている。
それでも私は書かずにはいられない。私がこの世に垂れ流しているのが、二酸化炭素と意味も重さもない言葉の連なりなのだとしても、それをやめるわけには行かない。
私は、そう言った意味で、世間にとっては毒にすらならない害毒であるが、害毒でなくなってしまえば、私は私でいられなくなるのである。
私が私でいられなくなると言うことは、また世間には何の衝撃もないが、私の世界にとってはそれなりに大切なことなのである。
私は私で在るために、呼吸のように文章を書き続けるのである。酸素未満の重さと価値の、私の脳の膿である言葉を、垂れ流さずには生きられないのである。
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秘密 * 6/20
交通事故で死に掛けた私は、けれどリハビリ施設ではもっとも損なわれていない患者だった。
手足が揃い、脳の形も事故前とそれほど変わらず、ともかくも自力歩行ができて他人と意思の疎通ができる私は、もう右腕の肘から先しか動かない心筋梗塞後の患者や、糖尿病で両足を切断した患者や、何が原因か、全身麻痺の少女と、和気藹々とは言い難い夕食を共にする。
心筋梗塞の患者は、時間は掛かっても器用に牛乳のカートンの上部を自分で開け、そして自力で食事をする。思わず手を出したくなるが、私は黙って自分の食事に集中する。
自宅へ帰れば、ひとりきりになってしまう人たちなのだ。
ひとりで歩いて食堂まで来れる私は、今では自分で着替えもできて、床に落ちたものも自分で拾える。排泄介助も必要ない。今日はベッドまで自分で整えた。
ほとんど寝たきりのひと月の後で、今私が夢に見るのは、自分の家のベッドで眠ることである。
そうして私は、心の内で、生き延びてしまったことを強烈に後悔している。
生き延びて、これからも生きようとしている人たちの間で、私は生き延びてしまった自分を嘆き、目も言葉も腕もあることを喜びながら、それでも確実に損なわれてしまった自分のことを嘆いている。
歩けることを喜びながら、排泄や風呂のたびに看護師を呼ぶ必要がなくなったことを喜びながら、本が読め、療法士と話のできることを喜びながら、私は自分が生きていることを後悔している。
轢かれたのが私であったのは賢明だ。
子どもではなく、妊婦ではなく、働き盛りの若者ではなく、脆いお年寄りではなく、適当に若く健康で、世話の必要な子もない私で、ほんとうに良かったと目覚めてから思った。
そして、事故前後の記憶のまったくない私は、これなら知らずに死ねたのにと、次の瞬間に思った。
轢かれたのは私であるべきだった。だがなぜ、私は生き延びてしまったのか。
私の命は、他の誰かのそれと引き換えにできるほど重くはないと言うことなのか。私ひとりの命では、代わりに誰かを救う価値などないと言うことなのか。
なぜ彼ではなく自分だったのか。なぜあの人ではなく自分だったのか。なぜ、自分ではなく彼女だったのか。
なぜ、私が生き延びてしまったのか。
夕食は、いくつかの種類から事前に選べるが、それでも味気はない。こうやって、自分の口と歯と舌と手と指で食事のできることに感謝して、味に文句を言えるのも自力で普通に食事ができるからだ。
生きると言うのは、生きていることを後悔し、食事に文句をつけ、そう言ったことを心の中に抱え込んで日々を過ごすことだ。
言葉がよくわからない振りをして、私は最低限の礼儀と笑顔だけを保って、味気ない夕食を口に運ぶ。生きることに正面から向き合っているように見える他の患者たちの、その心根の気高さに圧倒されながら、それを卑屈に隠して、私は硬い肉片を自分の歯とあごで執拗に噛み続ける。
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私に傘を差し出す彼女の肩はすでに濡れ始めていた。
折り畳みの小さな傘は、恐らく出掛けにきちんと天気予報を見て、雨が降ると言うのを信じてきちんと用意して来たのだろう、彼女の律儀さを表わしている。
雨が降ると大声で言われようと、その時に降っていなければ傘を持ち出すことなど考えもしない私とは真反対の、その彼女の優しさは、びしょ濡れになり掛けていた私の、他人への思いやりなどない心をひどく打った。
彼女が私に、傘の中へ入れと言う仕草をする。傘は、彼女ひとりがやっと濡れずにすむかもしれない小ささなのに、彼女は私にそこへ入れと言い続ける。
入れば、否応なしに体が近づく。まずそれを考えるのは私の邪念であって、彼女の世界に向けた親切心を、私は心の中でそうやって踏みにじっている。
小さな傘の下に体を寄せ合って雨をよける。降る雨に覆われ、そして薄暗い昼間、傘の中のことなど外からは見えず、彼女と私はその小さな空間へふたりきりで閉じこもる。
ふたりきりと思うのは私だけだ。閉じこもると思うのも私だけだ。
雨の中、傘の下へ頭の半分を差し出し掛けて、私は彼女に恋をしていた。
彼女のこの、万人に向けられる優しさを、勘違いしているだけだと私は知っている。彼女が微笑むのは、単なる優しさであり、そこには何の特別の意味もないのだと私は知っている。にも関わらず、私は彼女と恋に落ちる。私が一方的に想いを抱くのに、"彼女と"と言うのも妙な言い回しだと思いながら、まだ傘の下へ完全には入らず、私は彼女を見つめていた。
この雨がやめば、終わってしまう恋だ。あるいは、私は想いを抱(いだ)き続けるかもしれないが、どの道何がどうなるわけもない恋だ。
行きずりのびしょ濡れの私に、彼女は、自分の小さな傘を差し掛ける。彼女は赤の他人と分け合えるほど優しさにあふれ、私はその優しさを素直に受け取る術を知らない。
貪欲で傲慢な私は、彼女の優しさを値踏みし、検分し、自分の邪念と隣り合わせに、では彼女の邪念は何だろうと推察する。私に優しさを浴びせて、彼女に何の得があるのだろう。私と傘を分け合って、自分ももう肩や髪を濡らし始めて、彼女は何を求めているのだろう。
求められて、与えられる何もない私は、ただ彼女に恋していた。目の前の、傘を差し出す彼女をいとおしいと思い、彼女のために、この雨が一刻も早くやむことを願い、そして雨がやめば、彼女はこの場を立ち去れるのだと、そう考えている。
自力では恋などできない私は、雨の始まりとともに恋に落ち、雨の終わりとともに失恋する。立ち去る彼女の背にせめて、名前を尋ねるくらいの勇気は湧くだろうか。
雨はまだやまず、私たちは中途半端に濡れながら、傘の円の端と端で見つめ合っていた。
降り続ける雨の中、私は彼女に恋し続けている。
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「××の○○って曲ある?」
私のCDの棚へ手を伸ばして娘が訊く。
「CDではないなあ。」
記憶をたぐって、いつ頃の曲だったかを思い出しながら、確かその曲が出た頃はまだCDプレーヤーを持っていなかったはずだと考えながら答えた。
娘は大袈裟に舌打ちの音を立て、唇を尖らせた表情を私に見せた。
「こら! あんたお父さんに。」
私と一緒に、テーブルの角を囲むように食卓にいる妻が、娘へ向かって叱る声を飛ばす。この手の行儀の悪さにはまったく寛容ではない妻は、娘の、思春期を過ぎてからも続く私に対する態度の悪さを、いまだただの反抗と見ているらしい。
異性の親と同性の親の違いなのか、私には娘のその類いの態度は親しみのこもった甘えにしか見えず、恋人らしい存在のあったことはあるにせよ、それをわざわざ私の前に連れて来ると言うことをしたことのない娘にとって、私は安全な異性なのだろうと理解している。
風呂上りに素っ裸で私の目の前を横切り、仰向けに寝転んでテレビを見ている私の顔の上を、わざわざまたいで行くと言うことまでする。娘がどれだけ傍目には性的に恥じらいのない、見せつけるようなことをしようと、私にとって娘は永遠に自分の子どもであり、娘にとっては私は永遠に父親でしかない。
出会った頃の妻によく似た、いっそう若い自分の娘の素肌を見てどきりとしないこともないが、血の繋がらない職場の若い女性に対してさえもう父親以外の気分では接せられない私には、そのようなことは極めて性的な匂いの薄い出来事だ。
娘は飽きずに、きちんと並べた私のCDの群れの背にほっそりとした指を伸ばして、きれいに磨いた爪の色がやや派手なのは気になるが、そんな仕草を見るたびに私は、ぜひ自分の贈った指輪を着けてくれないだろうかと夢想し始めた頃の、妻の可愛らしい姿を思い出す。
今では水仕事ですっかりその可憐な手も荒れ、青く血管が浮き、皮膚の張りもないその手を、だが私はいまだ人目のないところでそっと自分の手に取り、指の腹で撫でる。
昔は私の指を弾き返すようだった弾力は失せ、私の指が動くにつれ引きつれるように波打つ薄くなった皮膚は、だが昔より柔らかさを増して、昔とは違ういとおしさが湧いて来る。
妻が年を取ったように、私も老いているのだ。妻はそれを私に知らせ、娘もそれを知らせて来る。鏡の中に見る自分の顔が、15の頃とさして変わったようにも思えないのに、広くなった額や少なくなった髪の嵩や、もちろん白髪交じりの髪の色も、そんな変化を、ひとりきりだったら自分はどんな風に受け止めたのだろうかと、朝覗く鏡の中の自分の顔の上に時折問いを投げ掛けてみるのだ。
「全部パソコンに移しちゃえばいいのに。その方が絶対楽だけどなあ。」
1枚2枚と棚から取り出して、CDのケースを開けながら娘がぼやくように言う。
テレビ回りと手持ちのステレオ機材は私の領分だが、コンピューター回りは完全に娘の城だ。私はいまだ、コンピューターの電源を切る手順をたまに間違える。
私が持っている、それなりの数のCDを全部コンピューターに移すのが可能なのかどうかわからないが、やるとなれば作業は娘の担当になる。それがどのくらい時間の掛かる作業なのか、娘にねだられて揃えた我が家のコンピューターで事足りる作業なのか、あるいはそれは、もっと性能のいいコンピューターを新たに買うための、娘の方便なのか。そんなことを考えるのは、現実味がない分案外と楽しいものだ。
お父さんはあの子にほんとに甘いから。
妻が時々そんなことを言う。世間の父親に照らし合わせて、私が特に自分の娘に甘い父親だとは思わないが、コンピューターが欲しいと娘が言った時に、私はあっさりと買えばいいと言った。
恐る恐ると言う風に私に話を持って来た娘は、まずは値段を告げ、それから目的を並べた。正直なところ、ステレオ一式を揃えるのに、ふた月分かみ月分の給料全部を注ぎ込んで私の母である妻を激怒させた私の父(娘の祖父だ)に比べれば、その頃の私のひと月分の給料の半分ほどだった、娘が告げたその金額は大したものとも思えず、私と一緒で、趣味は違うが音楽の好きな娘に対して、私はどこか同志に対する親愛のような、娘に対する父親の親愛とは別の気持ちもあり、それが私をあっさりとうなずかせた要因でもあったと、妻にほんとうに買ってやるつもりかと半ば諌めるように言われた後で、ひとり考えたものだ。
第一、妻に黙ってステレオを揃えた私の父とは違い、娘は一応は母(私の妻だ)に伺いを立て、お父さんに訊いてみなさいと言われて素直に私のところへやって来たのだから、この素直さと真面目さは親の教育の成果じゃないかと言って、自画自賛もいい加減にしろと妻に呆れられた。
娘は丁寧な仕草でCDのケースを開け、中のCDを決してぞんざいには扱わない。そうする仕草が、私のやり方とそっくりだと気づいてから、やはり私は自分の父親のことを思い出した。
娘を、抱いてあやして育てたのは妻だ。常に傍にいて、健康な時も病気の時も怪我の時も、片時も目を離さずに娘を育て、私は妻がそうしやすいように金を稼ぎせっせと家へ運んだだけだ。それでも、そうする私の背中を、娘はきちんと見ているのだと、もうすっかり大人に育った娘を見ていて私は思う。
私がちょうど、家ではたまに好きな音楽と本のことを語るだけの父親の、背を丸め手を汚して必死に働く姿を目に焼き付けていたように。
音楽が好きで絵を描く娘は、音楽は好きだが他のことはまるでだめな私よりも、多少は創造性のあるように見えて、それは恐らく妻の血筋なのだろう。
若い頃には読書日記などつけていたこともあったが、近頃では滅多とペンを持って紙に向かうことすらない。
今はブログって言うので、パソコンで日記もつけられるんだよ。
娘が、よくわからない言い方で教えてくれるが、コンピューターで聞く音楽にすら耐えられない私には、恐らくそれは無理だろう。
コンピューターは便利だと言うが、私は便利さよりも自分がこだわるものの方を大事にしたい。娘がどれだけ言っても、iPodとやらを持って通勤電車に乗ることはないに違いない。
娘の、CDを扱う手つきに、赤ん坊の娘をあやしていた妻の手つきを思い出しながら、私は3人分のコーヒーを淹れるために、食卓の椅子から、よっこらしょっと声に出しながら立ち上がった。
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朝、目覚ましの鳴る少し前に目を覚ます。目の前ににゅっと突き出された、猫の前足。白いその足の、人間で言えば足裏に当たるその部分は、黒くぽちりと盛り上がっている。
まだはっきりとは目覚めないまま、今は一体何時かと思いながら、私はその猫の前足へ視線を据える。時々、傍若無人に人を踏みつけてゆく足だ。爪が伸びている。出掛ける前に切ってやらなければと思う。まだ夢うつつで、考えたところで覚えているかどうかは極めて怪しい。
白と黒のその猫は、白っぽい桃色の鼻先の3分の1ほどが、墨でもなすったように黒い。その鼻が全部桃色なら、もうちょっと可愛げのある顔立ちだろうにと思う。そう思うのは人間である私の勝手だ。
白と黒のその猫は、4つ足の裏すべてが黒いが、ひとつだけぽつんと、鼻先と同じ桃色の足裏をしていて、外で暮らしたことのないその白黒猫は、おかげでその桃色はほとんど子どもの時と変わらずふっくらつやつやとして、生まれたての赤ん坊の頬に似て、眺めているといつもつい触りたくなる。
白黒猫のそのぽつんと桃色の足裏は、人間で言えば右手の人差し指に当たると言うところか、その桃色の足裏を見掛けるたび、私は何だか、その白黒猫に、人差し指を突きつけられているような気分になるのだ。
生まれた直後から人間に世話され、常にたっぷりと愛情を受けていたこの白黒猫は、誰かにいじめられたこともなく、私が手を振り上げてもきょとんとこちらを見上げるばかりだ。
抱かれるのも膝に上がるのも大好きで、爪を切らせてくれと爪先をつまんでもろくに抵抗もしない。
与えられた食事をにぎやかに食べ、病気もせず、怪我もなく、引き取った瞬間からまるで生まれる前からの友人のように私のふところへ飛び込んで来て、白い腹を見せてごろごろと喉を鳴らす。
深く考えもせず引き取ったこの白黒猫の、鼻が桃色だと言うことに、私はしばらくの間気づかなかった。
毛色の濃い猫ばかりと一緒にいて、この白黒猫の可愛らしい、まさしく桃の花のような鼻先の色は私には初めてのことで、引っ繰り返した爪先の、ぽつりと鮮やかに桃色なのも、私には初めてのことだった。そう言えば黒でも濃い茶色でもないと気づいて、その愛くるしい桃色に、私は思わず微笑みかけたものだ。
大人猫ばかりを引き取って来た私の元へ、子猫でやって来たのも初めてだったし、首や耳の柔らかい部分を、寝ている間に吸われるのも初めてのことだった。
白黒猫の、桃色の足裏を見るたび、私は何だかとても得をしたような気分になるのだ。
黒い部分よりも少し長い白い毛は、毎日風呂に入ってでもいるようにとことん白く、その柔らかさと来たら、獣医のところの看護士(と、動物相手でも言うのだろうか)に当たる女性たちが、診察後も白黒猫を抱えたまま、
「やわらかーい。」
とその腹やら胸をずっと撫でていたくらいだ。
母猫と兄弟姉妹猫たちと一緒に保護され、他の仔たちがもらわれて行った後に、1匹だけ残っていたのがその白黒猫だった。
可哀想と思ったわけでも、それなら自分がと思ったわけでもない。何となく出会って、何となく引き取って、すでに何匹もの猫の世話をしていた私の家に、また1匹新しい猫がやって来たと言うだけのことで、何も特別の理由があったわけでもない。
白黒猫が格別可愛らしかったわけでもなければ、格別可哀想な見掛けだったわけでもなく、1匹だけ売れ残っていた(ひどい言い方だが)と言うのも、引き取る手続きをしながら世間話の流れで聞いただけで、白黒猫の過去や私が引き取る前に身の上に起こったことなどに、私が格別興味があったわけではなかった。
たまたま通り掛かった、昔別の獣医が同じ場所にいて、その獣医が私の最初の獣医だったと言う、ただそれだけで懐かしさに視線を送った先に里親募集中の貼り紙があって、その時たまたま時間があった私が、何も考えずにふらふらと中へ入り、入ったすぐそこへ置いてあった小さな檻の中で元気良く騒いでいたのが、この白黒猫だったと言うだけの話だ。
目が合い、私はほとんど脳を動かしもせずに、この猫を引き取ろうと決めてしまっていた。
私の中で何が起こったのかよくわからない。ほとんど即断で、この子猫は私と一緒に暮らすのだと決め、すでにマイクロチップも予防接種も去勢も済まされていたその白黒子猫は、その時もその後も、ほとんどまったく私の手を煩わせなかった。
運命だとか何だとかそんなものではなく、鼻先と足裏ひとつだけ桃色のこの白黒猫の、この可憐な彩りが、私の人生に必要だったのだろう。たくさんの彩りではなく、ほんのわずか、指先でつついた程度の皮膚の上の赤みのような、この彩りが、私に必要だったのだろう。
白黒猫は、毎晩私の傍へ来て眠る。子猫の頃は喉の上へ体を伸ばして寝ていたが、大きくなるにつれ、それは私の息の根を止めかねない重さになり、飼い猫の重みにより窒息死と言うのも悪い死に方ではなさそうだったが、幸い私が眠ったまま死ぬ羽目になる前に、猫の方が寝場所を変えてくれた。
ベッドの半分を猫に取られ、もう何年も手足を伸ばして寝たことがないが、猫の感触がなければ、きっと私の眠りはとても淋しいものになるだろう。
もうすぐ目覚ましが鳴る。今日は白黒猫を抱き上げて、あのぽつんとひとつだけ桃色の前足を確かめてから出掛けよう。何の変哲もない猫の前足の桃色の愛らしさを眺めて、冷たい桃色の鼻先に私の鼻先をくっつけて、服についた猫の毛はちゃんと払ってから、今日も私は、猫たちのために無事に帰宅すべく、途中の事故にも突然の病気にも気をつけて仕事へ出掛けてゆくのだ。
私はもう、猫より先に死ぬことはできないのである。
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私たちは付き合って日も浅く、お互いまだ若かった。
互いに好意を抱いていたから、流れで何となく付き合うことになり、毎日会わなければ死にそうだと、そんな風に思う激しさは、少なくとも私の方にはなかったが、代わりに大きな喧嘩も行き違いもなく、ぬるいよりはもう少し温かい湯に常に浸されているような、そんな私たちの付き合いだった。
結婚しようかと、彼が言い出したのは最近のことだ。言われるたび、私はそれを右から左へ受け流し、いつかそんなことになったらいいねと、笑顔で答えるだけだ。
私たちは、未来を一緒に考えるにはまだ若過ぎるように思えたし、私は一生を添うのがこの人でいいのかと、正直迷う気持ちもあった。
話にだけ聞くような、恐ろしいほど激しい恋が世間にあるものと子どものように信じているわけではないが、それでもこの先にそんなものが転がっていて、足元をすくわれるように溺れ込んでしまう、そんな恋がどこかで私を待っているのではないかと、心の片隅で思うことはある。
その激しい恋の相手がこの人であるようにはとても思えなかった。
いつものようにいつもの場所で待ち合わせ、今日は一体何の日か人通りが多く、
「公園の中を通ろう。」
と彼が言うのに手を取られ、私たちは進行方向を変えて、もっと静かな通りへ向かった。
「何だろうね、あれ。」
「さあ。」
私が訊くのに、彼は気のない返事をし、繋いだ手だけはしっかりと握り合って、私たちは何の変哲もない道を一緒に歩く。
公園はすぐそこで、思った通り小さな林と遊歩道からなるそこには、今日もあまり人気はない。
静かなそこへ入り込みながら、私はふと、この人との恋はここまでの道とこの公園のようなものなのかも知れないと考え始めていた。
どこにでもある風景の、どこにでもある道。平たく舗装され、つまずいて転ぶ心配はない。右へ曲がろうと左へ曲がろうと、3本先の道へ進もうと、舗装の具合はどれもそっくりだ。足裏に伝わる感触は、せいぜいが今日選んだ靴が触れる、その感触の違い程度で、道そのものには、感じるほどの違いもない。
公園は木々の葉が色を変えるとしても、すれ違う人たちはほとんどなく、ただ静かなだけでひたすらに退屈だと、この日の私には殊更そんな風に感じられた。
私はこの恋に飽き始めているのだろうか。この人と一緒にいることに、すでに倦み始めているのだろうか。結婚すれば死ぬまで一緒にいるはずのこの人との時間を、無感動で単調だと感じ始めているのだろうか。
彼と手を繋ぎ、遊歩道を歩きながら、私は考え事を続けていた。
自然にうつむいていたせいか、不意に、遊歩道の両脇に植えられている芝生からぽつんと外れて、小さな雑草が花を咲かせているのが突然目の中へ飛び込んで来る。私は慌てて歩幅を変え、危うく踏むところだったその紫色の花を、辛うじて飛び越えるように避けた。
その拍子に彼の手を強くつかんだらしく、彼は私の手を上へ持ち上げるように引き上げ、私の唐突な動きを助けてくれた。
「大丈夫?」
「うん。」
踏まずにすんだ花を、私は肩越しに振り返って姿を確かめ、彼の方を見上げた。彼は私に微笑み返し、また手を握って来る。
遊歩道が終わる手前、また同じ花が、今度は彼の歩く側へぽつんと咲いていた。
それを見ながら、同じ花の種から咲いたのかもしれないと、さっき自分が避(よ)けた花のことを思い出しながら考えていると、彼は私の方へ半歩寄って来て、私の体を軽く押すようにした。
そうやって、歩きながら肩を抱き寄せられることもあったから、私は彼の動きを不思議にも思わず、体は少し近づいたまま、寄って来た彼のために私も少しだけ押された方へ動いた。
そうして歩き続けて、彼はちょうど、足先の半分くらいの距離を開けてその花の傍を通り過ぎ、花の傍らへ足を踏み込みながら、その動きはさっきよりも優しく穏やかな風に私には見え、そして彼は、確かに視線を落としてその花を眺め下ろした。
通り過ぎながら、彼の視線の位置は花に据えられたまま、彼の顔が横向きに動き、ほとんど肩越しに振り返る形になったところで真正面に戻る。
私は、彼の横顔を見上げた。
彼はあの花を避(よ)けたのだ。踏まないように、さっき私がそうしたように、彼も同じように、地面に咲く雑草の花をいとおしんで通り過ぎたのだ。
突然、緑の匂いが私の鼻先に鮮やかに立ち上って来た。
遊歩道の終わりに差し掛かりながら、私は彼に恋していることを自覚し、そしてたった今、また彼と恋に落ちたことを知った。
彼がまた結婚の話を持ち出したら、その時はもう少しきちんとした返事をしようと決めて、私は彼の方へまた体を寄せ、そうして自然に、彼が私に合わせてくれている歩調を、わずかではあったが、彼に合わせてほんの少し早めた。
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外国人 * 6/26
彼女と私は、この国ではどちらも外国人だった。
この国の言葉を互いの間の共通語として使い、私は彼女の母語をまったく解さず、それは彼女の方も同じことだった。
「悪い言葉はすぐ覚えるから。」
彼女はそう言って、ほとんど頑なに私に彼女の母語を教えようとはせず、彼女が私の前で母語を使う機会など皆無だったから、相変わらず私は彼女の母語に無知なまま、彼女も私の母語をあえて習おうと言う気はないらしく、お互いに共通語だけを使って(幸いに私たちは、その言葉にそれなりに長けていた)互いを理解する。
それでも、互いにどこかで拾って来た知識で、私たちの母語は巨大な大陸とわずかな海を隔てているにも関わらず、言語的には文法が似ている同士だとか、文化も何となく似ているところがあるとか、互いの歴史を紐解いて、交差する部分は古代へ逆戻りしなければならない遠さだと言うのに、そんなことすら私たちの間では、私たちが恋に落ちた理由の、大きなひとつのように思えた。
私はそんな風に彼女に恋し、彼女の方はと言えば、常に笑みを浮かべてこちらを慰撫するような態度で、それが彼女の国の人々の評判のように、声を荒げることもなければ私を押さえつけようと言う素振りもないまま、手応えのなさをまれに物足らなく思うこともあったが、私はそれを、彼女に大切にされている証拠だと素直に信じた。
彼女は自分の友達といる時には、私に気を使ってか友人たちに対しても共通語を使って話し、それは恐らく、彼女の国の人間たちの数が、この国では圧倒的に少ないと言う、一種の肩身の狭さのようなそんな理由もあったのだろう。
不思議なことに彼女らは、少人数で群れはするのに、いわゆるコミュニティと言うものを作ろうとはせず、この国へ来ても大半が移民が目的ではない彼女の友人らは、この国へ根を下ろすための土台をほとんど必要とはしていなかったようだ。
私はと言えば、先にここへやって来た家族親戚知人の類いを頼り、ほとんどもぐり込むようにこの国へやって来て、自国で得た知識や学歴などはまったく意味を失ったゼロの状態で、まずは生活を築くことが先決と言う、充分な金を持たない誰もが一度は落ちる底へ落ちて、そこから這い上がる途中だった。
私は幸いに大学へ入り、それなりの職も得て、同国人のコミュティを適当に利用しながら、真面目な青年らしいと言う扱いを受けていたが、ただひとつ、私が外国人の、しかもこの国の人間ではない彼女とわざわざ付き合っていると言う点が、コミュニティの人間たちを苛立たせていた。
自分の娘や妹や姉や従姉妹と言う、私と生まれ育ちが同じ、同じ言葉を使う女性たちをひっきりなしに目の前に差し出され、私が自分の国(正確には、村である)にいれば、それを拒むことなどできなかっただろうし、差し出された彼女らにも拒む権利などないはずなのだが、ここは幸いに私たちの国ではなく、気に入らなければNoと真っ直ぐに言うことが許される土地だ。
不思議なことに、私たちは、そのYesとNoを自らの意志で選べると言うことを理由のひとつとしてこの国へやって来たはずなのに、相変わらず私たちの一部の心の中は自国へいた時のままで、結局はその自由を自分自身が享受するのは構わないが、他人が享受するのは受け入れ難いと言う、愚かな頑迷さはなかなか消すことができないらしい。
そんな中でも、幸いに、彼女の国の人々は私のコミュニティでは評判の良い方で、私が彼女との将来を真剣に考えていると言うことは忌々しくても、彼女本人の人柄は比較的簡単に受け入れられ、私と彼女が結婚前でいる限りは、私の人たちは、彼女をひとまずな仲間のようなものとして受け入れていた。
前述の、私たちの文化が少しばかり似ているとか、言葉の成り立ちの流れがどこかで繋がっているとか、政治的に恩恵を受け取り合ったことがあるとか、前の戦争時(私の祖父母たちの世代にとっては、大変重要なことだ)の関わりが比較的薄かったとか、彼女は私の人たちにとっては、近しくもあり遥か遠くの国の人であり、その微妙な距離のおかげで、彼女の国と彼女の国の人たちは、私たちの敵ではないと言う辺りへ都合良くきれいに納まっていた。
私は、私の知人友人と話をする時には遠慮なく自国語を使い、彼女はそれに対していやな顔はまったく見せず、私たちの会話へ割り込もうとしたこともない。
この国の言葉にまだ慣れていない私の人たちは、自然彼女に話し掛けることを遠慮することになるが、それを無視と取ったりすることもなく、彼女は常に穏やかな笑みを浮かべて、ほんのわずか距離を置いて、母語を使って会話する私たちをただにこにこと眺めている。
ある時、彼女が突然彼女の母語で私に話し掛けた。ひとり言かと思った私はそれには驚いただけで訂正も反応もせず、その日の夕食の買い物の途中だったから、私はただ目の前の棚を見上げて、彼女は何を買うのかと考えていただけだった。
そしてまた、彼女が何か言った。共通語ではなく、彼女の母語でだった。
「なに?」
「何でもない。Yesって言ってくれたらいいの。」
「何を言ってるかわからないのにYesとは言えない。」
「そう?」
彼女は心底愉しそうにけらけらと笑い、意味の分からなさに戸惑って、それが不機嫌になって表情に出た私を、またおかしそうに笑った。
それから、何かあると彼女は私に向かって彼女の母語で何か言うようになり、最初はひとり言めいていたのに、少しずつ明らかな話し掛けになり、最初はただ戸惑うだけだった私も彼女のその気まぐれに少しずつ慣れ、とうとう彼女がそうやって何か言うたび、わけのわからないまま、私も、YesとかNoとか、あるいはそう思うそう思わない、と言うような反応を返すようになった。
そしてある日ついに、その日私は多分疲れていて、頭の中が混線していたに違いない。彼女の母語を一体どんな風に聞き取ったのか、何を考えもせず、彼女に答えるために口をついて出たのは、私の母語だった。
私は、自分が何をどう答えたのか自覚もなく、彼女はきょとんと私を見て、そうしてやっと私は、自分が共通語ではなく母語で彼女に反応したのだと気づき、自分の馬鹿さに思わず顔を真っ赤にした。
その私に、彼女が、彼女の母語で何か言った。とても優しい、共通語を使う時よりも自然な発声の、少し高く幼く響く、彼女の、心の中心を撫でるような声だった。
私は彼女を見つめて、今度はしっかりと意識して自分の母語で反応し、彼女もまた彼女の母語で私に言葉を返して来た。
彼女はひそかに私の母語を学習して、もしかしたら私や私の友人たちの言うことを、実はきちんと理解していたのかもしれない(そう信じているわけではないが、可能性の話だ)。
それほど自然に素直に、彼女は私の母語に、彼女の母語で反応した。正しい反応かどうか、そんなことは重要ではなく、その時私は、私たちがとても気持ちを通じ合っていると、心底感じたのだ。
言葉の内容ではなく、正確な言葉のやり取りではなく、私たちはただ声とその調子だけで、どれほど彼女が私を大事に思っているのか、私がどれほど彼女を好きか、それを伝え合えたのだ。
買い物が終わるまで、私たちは何度も、それぞれが自分たちの母語を使って言葉を交わした。文字通り、私たちはただ"言葉を交わした"のだ。
私たちは恐らく、周囲に反対されてもこのまま結婚するだろう。
今の問題は、私たちの間に子どもが生まれた時に、どこでどう育て、どの言葉を家族の共通語にするかを決めなければならないことだ。
私が彼女の国へ行くか、彼女が私の国へ行くか、あるいはこのままこの国にとどまって、3人の外国人が寄り集まった家族を作るのか。
そんなことを楽しく想像しながら、私は今、彼女の母語をきちんと学習することを、ひそかに真剣に考えている。
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私は時々Honeyと呼ばれる。良くある親しみの表現で、女性同士でも家族の間でも恋人同士でも、特別と言えば言えるし、誰をそう呼んでもさほど支障はない、無難な親愛表現とも言える。
私自身に関して言えば、特別と言う振りをして、結局は前の恋人の名前と言い間違えないようにと言う、極めて現実的な措置なのではないかと、こっそり考えている。
もちろん、今私をHoneyと呼ぶその人に向かって、冗談でもそんなことは言わない。
彼は私を色んな呼び方で呼ぶ。Honeyと言ったり、Monkeyと言ったり、Babyと言ったり、私の母語の、その手の恋人への呼び掛けの素っ気なさとは真逆に、どれもこれも甘ったるくて耳障りだけは確かに良く、しかし実のところ、身のない言葉遊びだと言う印象なのは、言葉のせいではなく、その言い方を使う彼本人のせいだ。
彼が、前の前の人と私の名前を呼び間違えようと、私は一向に構わない。たまたま名前の始まりの音が同じで、その名前も私の名前も、音節の数が同じで、そしてその人は、彼にとっては色んな意味で大事な人だったらしいから、まだ写真がアルバムでたくさん残っていたり、それを彼の母親である女性が必死に私の目から隠したり、私は一向に構わないが、彼らは私が傷つくと思っているようだ。
別に。私はただ肩をすくめる。
彼の母上は、私をSweet Heartと呼び、時折もっと甘ったるくSweetieと呼び、彼の妹は、Honeyを短くしたHonと言う呼び方をすることもある。彼女のHonと言う発音は、鼻に掛かってとても優しげで甘くて、彼女のそう呼ばれるのが、私は一番好きだった。
彼にそんな風に呼ばれると、なぜだか鳥肌が立つのに。
前の人がたくさんいると、名前を覚えたり間違えたりしないようにするのが大変なのだろう。第一、一体いつまで続くかわからないのだから、覚えるのが無駄だと考えていても不思議はない。
さて、私と言えば、そんな呼び掛けには当然馴染みはなく、幾らされても自分がすることはない。バスの運転手に、良い1日をSweet Heartくらいに言われて、思わず肩をすくめてしまうことはあるが、そう呼ばれようと呼ばれまいと、基本的に、私にとっては何の違いもない。
そう呼び掛ける人がいれば、Friendlyな人なのだと思うだけだし、決してそういう風には言わない人は、ああ親しい人をきちんと選んでいる人なのだと、そう思うだけだ。
私をHoneyだのBabeだの言う彼を、私はBuddyと呼んでいる。短くして、Budと言うこともある。乱暴に言えば、ダチ公!くらいの言い方だろうか。
色気のかけらもない言い方なのは百も承知だ。彼に対する親しみの、精一杯の表現ではあるが、彼を、いわゆる恋人と呼ぶことすら抵抗のあるほど、こんなことに不慣れな私が、彼をHoneyと呼び返したりDarlin'(これは彼の母上のお気に入りだ)と呼んだりすることができるわけもない。挑戦する気もない。
彼をBudと呼ぶ時に、私はことさら声を低くして、まるで彼の男友達たちがそうするように、彼の肩を叩いたりもする。
彼にも誰にも秘密だが、私にはもう、過去にHoneyと呼んだ人がいる。私はその人を、今も心の中でHoneyと呼び続けている。
出会った頃には20半ば手前だった彼は、数万人の前でギターを弾く人だった。私は彼に憧れ、彼のようにギターを弾けたらと願い、彼のように音楽を生み出せたらと、常に夢見ていた。
私は、これ以上ないほどの敬愛を込めて、彼をひそかにHoneyと呼び、彼にはもちろんきちんとした名前があったが、私はずっと彼をHoneyと勝手に呼び続け、彼が姿を消してしまった後も、彼は私にとってはずっとHoneyであり続けた。
私にとってのHoneyは彼だけであり、それが単なる親愛の呼び掛けなのだとしても、私にとってのHoneyは永遠に彼ひとりであり続けるのだ。
彼以外の人を、私はHoneyと呼ぶべきではないのだ。
私をHoneyと呼ぶ彼に、これまで何人Honeyがいたのか、これから何人のHoneyが現れるのか、私は知らない。その時々でBabeになったりSweet HeartになったりするそのHoneyの、その内何人を彼がきちんと名前でずっと覚えているのか、恐らく私には関係のないことなのだろう。
私は、ある意味彼にとって特別な人間ではあるが、それほど特別と言うわけではない。彼はこれからも、何人もの人をHoneyと呼び続けるだろう。私は彼以外の人を、BudとかBuddyと呼んだりするかどうか、今はよくわからない。
Honeyと呼ばれる私は、私と言う人格の中では珍しい存在ではあるが、それは私に決定権のある存在ではないから、いつ消えてもおかしくはない。私に決定権のない私の人格のひとつと言う、この中途半端で根無し草のようなHoneyと呼ばれる私を、多分私はあまり自分に親しい存在だと思っていないのだろう。私であることは間違いがないが、私であると確固と言い切る権利を、私自身が持たない私だからだ。
だから私は、他の誰も、Honeyとは呼ばない。私のHoneyは、ギターを弾く彼だけなのだ。私のHoneyはこの世にただひとりであり、私が消えても、私のHoneyである彼はこの世に存在し続ける。
彼が、私が彼をHoneyと呼んでいることを知らなくても、私が彼をHoneyと呼び続ける限り、彼は私のただひとりのHoneyであり続ける。
彼は私のHoneyであり、彼は私がそう呼ぶ唯一の人であり、私の中で彼の名にはHoneyがすでに含まれてしまっている。
私はギターを弾くこの彼を、そんな風に愛しているのだ。
私や他の人をHoneyと呼ぶ彼は、もちろん私にとって特別な人ではあるが、私がHoneyと呼ぶ彼の特別さには残念ながらかなわない。
私はそんなことは一言も漏らさず、彼をHoneyと呼び返さない理由を説明することもせず、彼をBudと呼び続ける。それが私にできる、特別な彼への精一杯なのだ。
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皮膚 * 6/28
誰かの素肌に触れることは、とても素敵なことだ。
手を繋ぐこと、頬に触れること、頭を撫でること、抱き合うこと、口づけること、もっと直裁に、誰かと寝ること。
特定の誰かがいるならいちばんいい。その人に触れたいと思うことは、世界に許されている。その人が触れてもいいと言ったなら、いつでも触れることができる。それはとても素敵なことだ。
特定の誰かでなくてもいい。たまに会った知人友人、抱き合うことの許される相手。たまたま出会った子ども。頭を撫でてもいいだろうか。機嫌のいい赤ちゃん。訊けば多分、頬をつついても許される。泣かさない限り。
誰かと触れ合うのは素敵なことだ。誰かと手を繋いで歩けるなら、それはとても素敵なことだ。
雨の日に傘ひとつを分け合って、それを口実に肩を寄せ合って、雨と湿った空気といつもよりも見通しの悪い視界のおかげで、ひっそりと傘の下の空間に、大切な人と閉じこもっていられるのはとても素敵だ。
挨拶代わりでもいい、あるいはもう少し親密でもいい、口づけられる相手がいるなら、それはとても素敵なことだ。頬や髪や手や指や肩や首や、あるいは唇や。
誰かの体に腕を回す。腕の長さは足りないかもしれない。余ってしまうかもしれない。相手の体は冷たいかもしれないし、あたたかいかもしれない。思ったよりも柔らかいかもしれないし、想像よりも硬いかもしれないし、案外骨張っていたり、案外ふわふわと頼りなかったりするかもしれない。
抱き合ってじっとしているのは案外苦痛かもしれない。いつ腕をほどこうかとか、もうちょっと力をゆるめてくれないかなとか、もう離れてもいいだろうかとか、意外と雑念の混じるものかもしれない。
見た目ほどロマンティックではなくても、それでも誰かと抱き合うことは素敵だ。
腕の輪の中に誰かの体を収め、あるいは誰かの腕の中に自分の体を収めて、心臓の音や体温を限りなく近くする。相手を、そこへ寄せることを許し、相手に寄ることを許される。それはとても素敵なことだ。
皮膚に隔てられた人間たちは、他人のその皮膚に触れることを渇望し、それは恐らく、その皮膚の消滅を願ってのことなのだろう。
皮膚を失くし、そこに現れる粘膜や筋肉や血管や臓器は自分のものではなく、それでも、誰かとひとつになるために、それを隔てる皮膚を、まず失くすことを願わずにはいられない。
皮膚は、人間たちを個にし、世界と他の人間たちと分け、「自分」で在ると区別をつける。個は孤独に繋がり、孤独を恐れて、人は他人の皮膚を恋い慕い、自分の皮膚を厭う。
自分を自分たらしめている皮膚を、人はある時憎み始め、剥ぎ取ることを夢見て、それは、孤独への怨嗟の声でもあるが、皮膚を失くしたところで孤独が失せるわけではないと、気づくのは皮膚を剥ぎ取った後だ。
自分の皮膚を剥ぎ、誰か──欲した誰かの皮膚をまとう。そうして、自分ではない誰かを、皮膚を失くした自分の上に重ねて、自分と誰かが融合したような気分にはなれるのだろう。
自分と誰か。ひとつのもの、と言う錯覚。
私とあなた。あなたと私。ふたりはひとつ。
そんなはずはないのに。
だからこそ、自分ではない誰かに触れることは、とても素敵だ。
私は自分の皮膚を剥ぎ取っては生きてはいられないし、誰かの皮膚を剥ぎ取って、身にまといたいとも思わない。
世界と他の人とを隔てるこの私の皮膚は、私と言う存在の外側を造り、それを他人に晒し、彼ら彼女らに、私と言う人間を各々認識させる。
世界にとって、私は皮膚だ。
皮膚を剥ぎ取られれば死んでしまうだろう私は、死んだ後には肉と骨の、元は人間だった生き物の残骸となり、それはもう私ではない。しゃべり、考え、書き、誰かの皮膚に触れたいと願った私ではない。皮膚を剥ぎ取られた私は、私ではない。
そんな大事なものを、私は、誰かに触れさせて欲しいと思う。誰でもいい時もある。通りすがりに、ふと触れた肩や、転んだ後に差し伸べられる手や、そんなものが、私の世界、つまり私の皮膚をひと時あたためてくれる。
あるいは、特定の誰かと、どこかへ閉じこもり、特殊な触れ方をしたいと思うこともある。剥ぎ取れない皮膚の代わりに、服を脱いで、交換できない皮膚の代わりに、服を交換して、そんな風に、特定の誰かの皮膚に、触れたいと思うこともある。
世界は皮膚に満ちていて、けれど触れられるのはほんのわずかだ。世界中に敷き詰められるほどの皮膚に触れたいわけではなく、ごく少数の、大事な人たちの皮膚に触れてみたいと思う。
手を繋ぐのは素敵だ。指を絡めて、掌を合わせて、歩きながら時々肩をぶつけて、剥ぎ取った皮膚を交換するよりも、それはとても健やかな触れ合い方だ。
誰かの素肌に触れること。誰かに自分の素肌を触れさせること。自分の皮膚を憎まないこと。誰かの皮膚に執着しないこと。世界にあふれるありとあらゆる皮膚を、素敵だと思うこと。
あなたの膝小僧と、あなたの背中に、いくつ傷があるか、私はいつか数えてみたい。
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